amebaの皆様、ご無沙汰しています。堀川ひとみです
このブログ、ご存知の通り、更新が止まっていました。
更新を毎回心待ちにしてくださっていた読者の皆様や訪問者の皆様には
大変申し訳ないことと思っています
ただ、
オフィシャルのほうでの更新を頑張るとメルマガが出せなくなる
イベントの準備で制作をしている時にはオフィシャルも更新できない
こういった現状を考えると、私の中では常に、
少ない発信エネルギーをやりくりしている かつ
内に向かうエネルギーと発信エネルギーの元になるエネルギーの総量はいつも同じ
という公式が成り立つようであるので
更新はこれからも極度のマイペースとなる可能性が高いです
まぁ、「完全に忘れた頃に更新されるブログ」みたいな位置づけでいていただければ幸いです
さて。
本日は、今年に入ってから私が感じている矛盾について書きたいと思います。
私が感じている矛盾。
それは・・・
発達障害について講演や啓蒙を行うと、逆に線が引かれる。
ということです。
(だから啓蒙やめよう、とかそういった意図は一切ないです。必要とは思います。)
線はどこに引かれるか。
発達障害者と非発達障害者の間です。
「え?それってどういうこと?意味わかんない!」
と思う方もいると思います。
このからくりを説明します
発達障害の認知度を向上させることにも繋がると考え、
「私は発達障害です」とカミングアウトして、啓蒙活動をしたとします。
すると、それを告知された人が、
いままで「同じ人間だ!」と思っていた人から「発達障害なんです」と言われることで
相手との間に線が引かれてしまうんです。
同じ人間 っていうのは ある意味
運命共同体
っていうか
同じ努力や同じつらさをかかえて、それでも頑張って来た仲間みたいな感覚だと思うんですね。
「発達障害だ」と言うことで、お互いの付き合い方や対処法がわかって、双方のストレスが改善したり、人間関係がスムーズになるケースがある反面、「仲間」から抜け駆けしたようにとられ、「逃げている」と言われたり、疎遠になってしまうことがあるんです。
そして、その瞬間に引かれた線は、相手が忘れるまでは、そして自分が認識しなくなるまでは、永遠に残ってしまうんです。
私の講演会を聴いてくださった方なら
私が「発達障害者と非発達障害者」という見方ではなく、
あくまで「ひとりひとり お互いに理解し合う」という方向へ持って行くようにお話しているということはご存知だと思います。
でも、そのための前置きとして、「私は発達障害なのですが・・・」という発言は必要で、そこで引かれた変な線はずっと消えないものとなるのです。
つまり、上記のように考える私にとっての啓蒙活動というのは
発達障害の認知を広めようとすると、まず一線引かなければいけなくなる
という諸刃の剣
なんですわ・・・。
これは、ひとつの段階を越えたってことかなと思う訳です。
3rd album「最初の人」は、私が世間に向けて発達障害を語るのに充分な役目を果たしてくれたと思います。
私はこれからも大切な「お仲間とその周り」の皆様へ、メッセージや作品を発信していくつもりです。
だけど、発達障害の人たちが苦労していることは、非発達障害の人も程度の差こそあれ、一度は経験していることでもあったりすることを、ここ何年かで痛感しています。
そこで、私は線を引かずに作った作品で、これからもお仲間の皆様へメッセージを送っていきたいと考えています。
(コンセプトアルバムのコンセプトは移ろい行くものなので、当初は講演会向けに需要があるなら、お仲間さんに向けた曲を別枠で作っていこうと考えていました)
音楽のもとに集まる人たちに派閥も好き嫌いも性別も年齢も国籍も障害も関係ありません。
私はシンガーソングライターとして、広くたくさんの方々に音楽を届けたいと昔も今も変わらず願っています。
これからも、私のうたをあなたの傍らに置いていただければ
この気持ちは変わりません
こころより 感謝をこめて

このブログ、ご存知の通り、更新が止まっていました。
更新を毎回心待ちにしてくださっていた読者の皆様や訪問者の皆様には
大変申し訳ないことと思っています

ただ、
オフィシャルのほうでの更新を頑張るとメルマガが出せなくなる
イベントの準備で制作をしている時にはオフィシャルも更新できない
こういった現状を考えると、私の中では常に、
少ない発信エネルギーをやりくりしている かつ
内に向かうエネルギーと発信エネルギーの元になるエネルギーの総量はいつも同じ
という公式が成り立つようであるので
更新はこれからも極度のマイペースとなる可能性が高いです

まぁ、「完全に忘れた頃に更新されるブログ」みたいな位置づけでいていただければ幸いです

さて。
本日は、今年に入ってから私が感じている矛盾について書きたいと思います。
私が感じている矛盾。
それは・・・
発達障害について講演や啓蒙を行うと、逆に線が引かれる。
ということです。
(だから啓蒙やめよう、とかそういった意図は一切ないです。必要とは思います。)
線はどこに引かれるか。
発達障害者と非発達障害者の間です。
「え?それってどういうこと?意味わかんない!」
と思う方もいると思います。
このからくりを説明します

発達障害の認知度を向上させることにも繋がると考え、
「私は発達障害です」とカミングアウトして、啓蒙活動をしたとします。
すると、それを告知された人が、
いままで「同じ人間だ!」と思っていた人から「発達障害なんです」と言われることで
相手との間に線が引かれてしまうんです。
同じ人間 っていうのは ある意味
運命共同体
っていうか同じ努力や同じつらさをかかえて、それでも頑張って来た仲間みたいな感覚だと思うんですね。
「発達障害だ」と言うことで、お互いの付き合い方や対処法がわかって、双方のストレスが改善したり、人間関係がスムーズになるケースがある反面、「仲間」から抜け駆けしたようにとられ、「逃げている」と言われたり、疎遠になってしまうことがあるんです。
そして、その瞬間に引かれた線は、相手が忘れるまでは、そして自分が認識しなくなるまでは、永遠に残ってしまうんです。

私の講演会を聴いてくださった方なら
私が「発達障害者と非発達障害者」という見方ではなく、
あくまで「ひとりひとり お互いに理解し合う」という方向へ持って行くようにお話しているということはご存知だと思います。
でも、そのための前置きとして、「私は発達障害なのですが・・・」という発言は必要で、そこで引かれた変な線はずっと消えないものとなるのです。
つまり、上記のように考える私にとっての啓蒙活動というのは
発達障害の認知を広めようとすると、まず一線引かなければいけなくなる
という諸刃の剣
なんですわ・・・。これは、ひとつの段階を越えたってことかなと思う訳です。
3rd album「最初の人」は、私が世間に向けて発達障害を語るのに充分な役目を果たしてくれたと思います。
私はこれからも大切な「お仲間とその周り」の皆様へ、メッセージや作品を発信していくつもりです。
だけど、発達障害の人たちが苦労していることは、非発達障害の人も程度の差こそあれ、一度は経験していることでもあったりすることを、ここ何年かで痛感しています。
そこで、私は線を引かずに作った作品で、これからもお仲間の皆様へメッセージを送っていきたいと考えています。
(コンセプトアルバムのコンセプトは移ろい行くものなので、当初は講演会向けに需要があるなら、お仲間さんに向けた曲を別枠で作っていこうと考えていました)
音楽のもとに集まる人たちに派閥も好き嫌いも性別も年齢も国籍も障害も関係ありません。
私はシンガーソングライターとして、広くたくさんの方々に音楽を届けたいと昔も今も変わらず願っています。
これからも、私のうたをあなたの傍らに置いていただければ
この気持ちは変わりません

こころより 感謝をこめて
