うたまるです。
男の子(子1)と女の子(子2)と男の子(子3)の3人を育てています。
さて、私たちは「平和ボケしている」と言われますが
果たして本当にそうでしょうか。
私は、「世界の出来事を自分事としてとらえられる人が少なくなっている」のではないかと思います。
何故なら、SNSの流行により、自分の興味のあるものとないものに情報量がくっきりと差がついてしまっているからです。
そして、「たのしいこと」「きれいなこと」「かわいいもの」「キラキラした世界」をたくさん見てきた人たちが、
どうして世界で起こっている戦争の裏側や、
情報操作や、環境破壊に目が行くというのでしょうか。
そういう「怖くて」「醜くて」「ドロドロしていて」「みんなが近寄りたがらないもの」には目を向けず
そのくせ、SNS上で繰り広げられる「いじめ」がすべて自分に向いている悪意のように感じてしまうのではないでしょうか。
平和ボケというよりも、与えられた情報が狭くて、多いから、それで世界がいっぱいであるように思うのではないかと思います。
それ以外のことは考えられなくなり、
私たち人間がどうあるべきか理解することを放棄し、
生きていることで精一杯になる。
生きていることで精一杯なのに
「平和ボケ」と言われることに憤りを感じている。
そういうことなのではないかと思います。
私たちは生きることを精一杯やっています。
しかし、なぜか生きづらいと思っている人もたくさんいる。
頑張っているのに報われない絶望感を抱えながら生活している人が多いことも知っています。
物価高なのに、お給料は上がらない。
食べたいものも食べられない。食べさせてあげられない。
行きたいところにも行けない。行きたいとさえ考えられない。
そういう「生活していくうえでのちょっとしたしんどさ」を抱えている人が、世界の問題に目を向けられるでしょうか。
今生きていることに精一杯なのに、隣の人の「しんどさ」まで抱えられるでしょうか。
子どもを3人抱えて毎日てんやわんやしているママたちに
水質汚染のことやアマゾンの火災のことについて目を向けろという方が無理難題なのではないかという気さえします。
私たちは変わらなければなりません。
人の情報に右往左往するのではなく、
自分の選んだ道がたとえ間違っていようとも、
自分の足で歩いていく決意をもって。
それが人間としての軸というものではないでしょうか。
そのような人は「平和ボケしている人」と
私は思いません。

