埼玉県日高市のこんにゃく屋 関本屋 -36ページ目
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こんにゃく精粉の作られ方

 前回のお話ではいつ発明されたかということでしたが、
今回は「それではどのように精粉にするのか?」という
ことをお話します。


 精粉ができる以前に、既に凍みこんにゃくという
水で戻して食べる乾燥こんにゃくがありました。
凍みこんにゃくは冬場に外で薄切りにしたこんにゃく
を並べて乾燥させたもので、保存のきく食べ物です。


これにヒントを得たのかどうかは定かでは
ありませんが、こんにゃく精粉を作る過程において
まず始めに芋を薄くスライスして串に刺し、
天日干しにします。この状態のものを荒粉と呼び、
粉にする前の重要な前工程です。
この切干にした荒粉を臼で突いていくと
精粉ができあがります。


 こんにゃく芋といえば現在は群馬が有名ですが、
数十年前までは埼玉県でもあちこちで栽培されていました。
昭和初期は関本屋にも精粉工場(現在は閉鎖)があり、
近所の子供たちが輪切りにしたこんにゃく芋を串にさして
工場に持ち込み、お小遣い稼ぎ(1本5~10銭程度)を
していました。






蒟蒻凍人は精粉嫌い?

今ではすっかりお馴染みのこんにゃく。
そんなこんにゃくにも江戸時代に
蒟蒻百珍という調理本が出版されています。
当時は豆腐百珍、海鰻百珍などの本が既に出ており、
料理文化が花開いていました。
弘化三年(1846年)に刊行していますから、
こんにゃく精粉が発明(安永五年=1776年)されてから
数十年の時が経過しています。
ということは精粉を使ったレシピが載っていても
よいのではと思いましたが、
載っているこんにゃく製法は生玉から作る方法のみ。
著者の蒟蒻凍人は精粉のこんにゃくが好きでは
なかったのでしょうか!?
 ですが、生芋は10月あたりから収穫され、
翌年の冬の間のみしか採れません。
ですので旬の時期は限られてしまい、
現在のように芋を冷凍保存するようなことでも
しない限り通年で生芋こんにゃくを食することは
できなかったはずです。
山奥で採れたこんにゃく芋を粉に加工する
ことにより、容易に遠い都市部まで運ぶことができ、
また一年通してこんにゃくが食べられるるように
なったことを考えると、こんにゃくを普及させたのは
精粉技術が発明されたことが大きいのではと
思ってしまいます。

こんにゃく粉っていつできたの?

「こんにゃく粉っていつできたの?」
仕事をはじめてから、何ら疑問も無くこんにゃくを
作っていました。
粉からこんにゃくができるということについて、
深く考えることを止めていたという表現が合っています。

気になったので本で調べてみました。
こんにゃくが精粉化されたのは江戸時代後期の
常陸国(茨城県)、中島藤右衛門という農民の
発明であったといいます。

精粉化にはいくつか理由があると思いますが、
粉にすることにより芋とちがって長期保存できる点が
大きな特徴でしょう。
また、芋のマンナン成分のみを抽出したものですから
同じこんにゃくを作るにも芋と粉では使用する分量が
全く違います。現代のように輸送手段の発達していない
時代ですから、粉となったほうが軽量であり、
遠い地域へ運ぶのに容易であったに違いありません。

東北地方では白こんにゃくが主流であるのも、
こんにゃくが栽培できない地域へも精粉として
運ばれ、こんにゃくを食べる文化が広まっていった
と想像できます。


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