株の日記は書いてなかったので、書いてみる。10月11日に資生堂(4911)を@2250にて5000株購入。後出しみたいだけど、いま現在@2260なので、別に影響ないでしょ。買ったのは11日に急落していたから、チャート的には直近まで緩やかな上昇基調だったのを見て打診的に買ってみた。


■資生堂(4991)

http://quote.yahoo.co.jp/q?s=4911&d=c&k=c3&h=on&z=m


 11日の取引終了後に、5%報告書から、これはモルガンが持ち株6.6%のうち、4.3%を外したからだということが判明したけど、今日に至るまで、特に悪材料は出ていない。もしかすると「北朝鮮」がらみの地政学的リスクヘッジの日本株外しの一環だったかもしれない。先月には年初来高値も更新しているし、なにより取り組みが良くって貸借倍率で0.42倍。信用も約270万株の売り長だったのが大きな理由でもある。翌12日からは逆日歩も0.05円だけど点灯した。

 アメリカ市場が史上最高値を更新し続けてる状況から、日本もここのところ主要銘柄を中心に上げてきていたけど、この流れはもう少し続くんじゃないかと予想。そうすると売り方はジワジワ締め上げられていくことになるかもしれない。というよりも、短期で元のトレンドをフォローするんじゃないかと思って買ったので、目安は2350円台の到達。

 11日の急落後は75日線をサポートしながら緩やかに戻してきてるけど、これは予想していた戻しじゃないし、あまり時間をかけると、2300円台で買った人たちからの失望売りも出てきかねない。イメージ的にはここ数日でポコンと戻す感じにならないと、一旦外した方がいいかもしれないと思い中。多少の損きりはやむを得ない。株は大損しなければいいのだ。


 昨日、今日と新興に少し資金が入り始めてる感じがある。短期的な戻しかもしれないので、まだ手出し無用と思っていたけど、先月300万やられたEトレの戻りが調子良さそうなので、とても悔しい。新興は半年前に比べて、どこも下がりに下がりまくってるから、もし、本当に戻りに入ったんだとしたら、上値は相当高いとこにある。いつでも乗れるようにしておかなければ。



 言葉というものは時代に即して変化していくべきものである。


 現代の日本には数多くの「熟語」があるわけだけど、これらの多くは意外にも明治維新以降、西欧文明の概念を導入する際に、向こうの言葉の翻訳として生まれたものが多い。ということはご存知だろうか。江戸時代中期から、日本では「蘭学」として「オランダ語」が、数少ない貿易相手国の言葉として学ばれてきたことは、誰でも覚えてる"数少ない"日本史の1つだと思うけど、西欧社会の勢力地図の変化に伴って、主に英米で話されていた英語が、日本で急速に認知されるようになったのは、実に幕末から明治維新にかけてのことだ。その例として、福沢諭吉が横浜の外人居住地域に行った時、「外国語」と思って、一生懸命勉強してきたはずのオランダ語がまったく通じないことに驚いて、それから英語を学ぶようになった話は有名だ。インターネット以降、「世界語」として急速にその地位を高めた英語に接している現代の日本人からすると意外な感じがするかもしれない。

 福沢諭吉らが「英語を勉強した」と言っても、今日のそれとはまったく状況が異なるわけで、なにしろ初めて日本人が接する言葉だから「訳」がない。そして、福沢らは1つ1つ、日本語を当てはめていきながら、時に日本にそういう概念がない言葉は、自ら新しい日本語を"作って"作業を進めていったわけだ。

 現代の中共が掲げる「共産」ということばも、実は福沢が「communism」を翻訳する際に作った言葉だ、ということを知っている中国人はたぶんいないと思うけど、国父である孫文が用いた「中山」という号が、孫文が日本留学中に今の芝にあった「中山忠能侯爵」の家の前を通りかかった際に、その名前にあやかるようにと付けられたということを知る中国人もいないと思うけど、とくかくそういうことなのだ。


 福沢らが作り出した日本語は本当にたくさんありすぎるので、ここで全部を取り上げることは出来ないけど、「スピーチ」を「演説(初めは「演舌」)としてみたり、「ディベート」を「討論」としてみたり、「コンペティション」を「競争」としてみたりしたことは有名だと思うけど、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」というあの言葉も、まだ「平等」という言葉がなかった時期に、福沢らが、アメリカの独立宣言の中にある「All men are created equal.」という文言を、苦心の末にそう訳したとか、まあとにかくそれは大変な作業だったわけだ。ということも、今さら自慢気に書くまでもなく、多くの人が知ってることだろうと思うけど、その中でも、一番印象に残ってる逸話が「Love」についての話だ。

 福沢らが初めて「Love」という言葉に出会った時、日本語にそれらしい言葉がなかったので、福沢らが相当考えた末にたどり着いた訳が「ご大切」という言葉だったらしい。これはとってもいい訳だと感心した記憶があるけど、この「Love」って英語がいつの頃から「愛」って訳されるようになったかは定かではないけれど、明治維新以前、つまり江戸時代以前の「愛」という日本語には、どちらかというと「性愛」という艶っぽいニュアンスが強かったらしいんだけど、少なくとも福沢の時代には「Love」の訳としては相応しくなかった、ということは想像に難くない。

 普段、「愛する」とか「愛してる」とかって文句がいやにこそばゆくって、こっぱずかしくって、恋人や奥さんになかなか言ってあげられない日本人の男性諸君は、自分も含めてとっても多いと思うんだけど、もしアメリカ人の恋人に「ねぇ、あなた。I love youって言って。」とせがまれても、「うん、大切にするよ。」って言うんだったら、かなり言いやすいんじゃないだろうか。僕らのDNAには「愛」って言葉を恥ずかしがる気持ちが書き込まれてるのかもしれない。福沢諭吉ってやっぱりすごい。


 そこで「愛国」。今、「愛国心」とか「国を愛する」とか、言うとか言わないとか話題になってるけど、やっぱり「愛国」って言葉からは、「愛国精神」とか「愛国主義」っていう、戦前の薄暗いイメージとか、戦後の赤尾敏 辺りの、ちょっと右に寄り過ぎちゃってるっていうか、そういうイメージを連想する人って今でも、自分を含めて多いと思う。「patriot(パトリオット)」とか「Nationalism(ナショナリズム)」はあって当然というか、国家としてはやっぱり必要なものだと思うんだけど、それを「愛国心」とか「愛国精神」とか言われると、どうしても二の足を踏んじゃう人って多いんじゃなかろうか。

  そこで「ご大切」。「自分たちの国を大切にする」とか、「自分たちの国を大切に思う気持ち」って言えって言われたら、ごくごく自然にそう言えるし、そう思ってる。もし、西欧文明圏の人が「I love my country.」って言ったら、「ああ、外人っぽいねえ」って思うだけなんだろうけど、「私は日本を愛してます」っていう日本人がいたら、「ん?」って思うかもしれないし、「I am a patriot.」ってアメリカ人が言うのと、「私は愛国者です。」って日本人が言うのと、やっぱりニュアンスが違うと思う。
 つまりこれって「愛国」っていう言葉にアレルギーがあるだけなのであって、「国を大切に思う心」は誰だって持ってるし、そう思ってるって話なんじゃなかろうか、これ。もしそうならば、この件は日本人の「国を思う心」に問題があるんじゃなくって、現代の政治家や英語学者のあまりに乏しい語彙力と創造力の欠如の方に問題がある。

 もし、福沢先生が今生きてらっしゃったら、なんていう日本語を当てはめる?考え出すかな。とりあえず、こんな、単なる言葉遊びの次元で右往左往する現代の日本のリーダーたちを、「父ちゃん、情けなくって涙出てくるよ。。。」って思うことだろう。だって彼らの中には、福沢先生の塾を出ている人間もたくさん含まれてるんだから。


 なにかいい言葉、ないですかね。


 ジョンイルの核実験について、マスゴミがどこも、同じようなネタばかりタレ流し続けてるのを見るにつけ、この日本という国は、本当にその経済規模に見合ったジャーナリズムを持ち合わせていないことを痛感するわけだが、それはともかく、今回の新総理は、就任直後に、これ以上ないってくらいのステージを用意されたとってもラッキーな総理であると思う。私は安倍クンを全面支持するというわけではないが、まあ、せっかく総理になったのだから、ここはぜひがんばって欲しいと思う。

 就任前には「タカ派」とか言われてた安倍クンも、就任後は当然のごとく全体最適を考慮しながら進めなければならないわけで、公約違反とまでは呼べない程度の、多少の修正は許容範囲内であるというか、むしろそうしてもらわないと困る。全ての日本人の代表者たる総理大臣が、いつまでも一議員と同じ調子で「タカ派」をやられては、それこそ国益を逸する可能性がある。

 ともあれ、さすが「元・タカ派」と言おうか、今回のジョンイルの核実験に対する安倍クンの動きは迅速、かつ手順はきちっと踏んでいるようなので、頼もしく思っている。しかし、留意して欲しいことは、あまり日本が先行しているイメージを持たせ過ぎると、他国に消極的な空気を醸成する可能性があるということだ。「日本に任せておけばいい」という空気が出てくるのはマイナスだ。今回の北朝鮮問題に関しては、どう考えても日本が自力で解決出来るレベルの問題ではないのだから、やはりアメリカを前面に立たせる仕掛けが必要だ。それが国際社会の政治力学というものだろう。

 幸いなことに、今回は中国・ロシアとも、それほど強い反対姿勢というか妨害はしていないので、国際社会は比較的一丸となって北朝鮮に対する対策の準備を、着実に進めている感がある。これは日本にとってラッキーであるといえるが、やはり日本が前面に立つのは得策ではない。裏で強行に安保理に働きかけるにしても、表面上は「アメリカ対北朝鮮」という構図を作り出すくらいの演出が出来れば尚良い。繰り返しになるが、現在の日本に今回の件に関する解決力はない。


 ジョンイルが核ミサイルを持ったということは、従来の極東アジアの安全保障体制を根本から覆すもので、言い換えれば日本も新しい自国の安全保障の枠組みを構築しなければならない。これは朝鮮戦争後初めて、約50年ぶりのことである。北朝鮮の核ミサイルは、もし実戦配備されれば(されるだろうけど)日本の「専守防衛」を一気に飛び越えてくる。

 「専守防衛」は言うまでもなく「やられたら、やり返す。」という考えだが、核ミサイル攻撃の場合「やられたら」次はない。北朝鮮は現在、長崎型プルトニウム水爆17-8発分を保有していると巷では言われているけど、そのうち数発が東京都心部に落ちただけで、日本は一極集中が行き過ぎたその首都と、政治経済界のあらゆるリーダー層を含む2,000万人を瞬時に失うことになる。それでもアメリカなら、ワシントンがやられても、即座に報復体制に入ることが出来るかもしれないが、日本の場合、東京の機能を代替出来る都市はない。

 最悪の場合、国家としての機能が麻痺した状態で、北朝鮮、それに併呑される韓国、もしくは野心を擡げた中国の侵略という目にあう可能性もある。そうなれば、日本民族は建国以来経験したことのない悲劇に見舞われることはまず間違いない。上に挙げた国々は、世界でもブレーキの利かないことでは1,2を争う民族だからだ。特に日本に対しては、その残虐性をさらに増すことは容易に想像できるだろう。「通州事件 」に遡らずとも、「天安門事件 」、「チベット動乱 」、さらに「法輪功の弾圧 」と、かの国の残虐性は未だなんら変わっていないのが現実だ。

 日本人は「他国を侵略する野望」など、20世紀の遺物のように感じるところがあるが、日欧米先進諸国以外の国々というのは、未だ20世紀に生きているということを知る必要がある。特に「特定アジア3カ国」はそうだということを強調しておきたい。


 アングロサクソンが主導する国際社会というものは、往々にして未知の侵略者に対して、まるで性善説で対応するかのように寛容な態度を取ることがある。というよりもしなかった実績がある。1938年のミュンヘン会議 はその好例だ。英首相チャーチルは後に、「第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう。」と述べている。このミュンヘン会議が、ヒトラーに対する「太陽政策」であったこと、そしてそれが大きな失策であったことは明白だ。ヨーロッパはこの「失策」によって、大きすぎる犠牲を払うこととなった。

 皮肉なことに、同じドイツ人のビスマルクが「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言ったように、国際社会はヒトラーとの歴史から学んだことがあるはずだ。それは「太陽政策は侵略者を増長させる」ということだ。ヒトラーを懐柔しようとしたミュンヘン会議のあと僅か2年後に、パリは陥落するのである。今ここで、北朝鮮に対して、「様子を見よう」、「話せば分かる」と言った甘い判断で対応することは、とても危険だ。なぜなら、「核攻撃に次はない」からである。一度、完成してしまってからでは全てが手遅れになる。「パリ陥落」には「ノルマンディー上陸」があったが、「東京への核攻撃」に、次の手はないということを、まず日本人が強く認識することが必要だ。


 ちょっと文章が硬くなっちゃったけど。

2006年10月12日。

いったいなんて中途半端な日なんだろう。


 もともとブログはやろうかなとか思ってたんだけど、そうそう、ちょうど8月15日にでも始めようかなと思ってたんだけど、ちょうどロンドンにいたこともあって、なにやらバタバタ忙しく、結局気が付いたらそのまま旅に出ていたので、まんま流れていたんだった。

 自分は意外と語呂合わせとか、ゲンとか担いじゃう方で、なにかを始める時とかって、ゾロ目とかナントカの日とかに合わせがちなんだけど、なんで今日からやろうと思ったのかなあ。。。。でもきっと、こうやって記念の日とかは増えていくものなんだろう。歴史は今日も作られている。


 このブログのことは、リアルな友達とかに言わないつもり。2ちゃんとかはもう何年も出入りしてるけど、って言っても「2ちゃんねらー」ってほどでもないんだけど、オフ会とかも行ったことないし、ほんとの意味でのバーチャルな自分って、構築したことなかったんだよね。だから1からはじめます。

 とか言っても、人前で自分を使い分けたりするの、まったくもって苦手っつか、出来ないので、たぶんリアルな自分のまま、書き続けるでしょう。続けられれば。だから、あくまで誰も知らないってだけ。うたまろっていう名前は・・・ま、いいや。テキトーでもないんだけど、まあまあまあ。


 このブログは主に政治経済ネタが多くなるかな。てか、今頃始めたのの意味でもあるんだけど、先日の北チョソの核実験から、これから日本はものすごい勢いで変わってくと思うから。いわゆる「普通の国へ」ってやつだけど。なので、自分が好むと好まざると、大きなテーマになってくんじゃないかと予想。

 あと株かな。作家とかじゃないから、どうしたってネタは自分の生活から切り出してくるしかない。ってなると、株か。あとはまー、海外に行くこともあるだろうし、それがらみで文化論とかも関心あるので、そっち系とか。あんましタラタラと身の回りの日記書くってスタンスでは、ありません。今のところ。


 あ、このブログのスキンは文字の色とかサイズが上のアイコンで変えられるみたいです。お好きな色とか配置でお楽しみ下さい。「SAVE(クッキーに保存)」ってので、固定できるみたいです。


 とりあえず。

 そゆことで。