ほんとのことを言うと
ちょっぴり
ちくちく心がいたんだ。
心理学で言うところの「レジリエンス」は
(自ら)回復する力のこと。
からだの傷あとは残ったとしても
じゅくじゅくしたままではなく治るように
こころも回復する力がある。
何事もそうだけど、個々によるし、
高める工夫もできる。
さておき
こちらの用紙は、
「パートナーからの暴力」(DV)について
いま、渦中にある方むけの指標、
回復するための気付きのきっかけとしたものだと
思います。
人によっては、とても助かるものだと思います。
今あるいは過去、当事者だった方々がいて
ピアサポートもある。
とても良いものだと思います。
「モラハラ」というのは
モラハラ加害者が「世間一般のモラルをきっちり守っているしなんなら作ってる」存在かのように立って、
被害者を「きさまはモラルに反してるんだ」とまるで裁判官のように振る舞い、被害者を大量殺人犯かなにかのような「悪人」につるし上げて、大勢が「いますぐ広場で首を落とせ!」とか「そおら石を投げろ!」「火であぶれ!」とかいう状況にいるような感覚にさせて
「身に覚えはないけど、みんながいうからきっとそのとおりなんだ」
「自分が間違ったり非常識すぎて怒らせてるんだ!しっかり謝って、みんなと同じようにしなきゃ!」
とか
「旦那さまがお怒りなのは、ごもっともなんだ!!(仲良しの家庭の奥さまはつつがなく常識であらせられるのだ!)」
みたいに思ってしまって、
怒る怒らないというアンテナで動いてしまう…
たぶん?そんなかんじ
でさ。
ワタシσ(´・д・`)
「えと、、、そもそも、パートナーじゃないです」
ってほそぼそ、ぼそぼそ言って
「(書類上、国のシステムとしては)夫婦関係にあります」
って言うけど
夫婦
⇒お互いに好きで結婚したからだ
⇒パートナーだ
⇒夫婦間DVだ
⇒身体暴力はないのか
⇒モラハラだ
⇒カサンドラとか「あたしがいないとこの人はだめ」って思ってるんだな。ふむふむ。
って自動的に進むようです。
でもね、
ビザのために結婚する
住まいや仕事を得るために結婚する
保険金目的のために結婚する
配偶者なら外の物を渡せるから受刑者が結婚する(純粋な恋愛の結果だ!っていう人にはすみません。どっちもいることでしょう)
遺産目当てで結婚する
とかもあります。
1年半くらい
「友達」でもない人につきまとわれ
というか、軟禁みたいな。
24時間隣にいる。
逃げられないし
なにも言えない
隣にいるから
たすけて
が目の前の人に言えない
それから
犯罪者から犯罪にあう
正気をたもつだけで精一杯
苦しい。
スマホのまだない時代。
ケータイは持てなくなって
電話とメールしかできない携帯電話だけ持った。
なにもかもをなくした。
だれともつながってない。
よくしりもしないし
わけのわからない
くるった人といて
まいにちがしばられていて
わけのわからないことばかり言われてて
お金をとられて…
私が養うとかおかしいのに。
ただの赤の他人…
でもどうにもならなくて。
1年半もそうだったら
もうむりなんだ
だれもたすけてくれない
りかいもしてくれない
なぜかわからないけど
いや、きっと子供の頃からの悪いことで
神様が私にばつを与えたんだ。
これは神様からのばつだから
甘んじて受けねばならないのだ
と思うしかなくなって
でもつらくてつらくて
ずーっと泣いてました。
泣いて過呼吸になったら
キレてくる。
逃げ場はどこにもなかった。
そうして、ますます、逃げられなくなった。
だから
「パートナー」
「旦那さん」
ってコトバは、
ほんとうは
私の心がチクチクしてた。
いたかった。
泣いてるだけでは
どこでも、だれも、たすけてくれなかった。
もし、母が生きていたら
いちもにもなく、助けてくれたろうに。
【神様のばつなんだ】と思った【悪いこと】一部?
主に母とのこと。
おかあさんをぶった。
文句いった。
犬や猫にもっと優しくしてやらなかった。
学校の飼育係で気の毒なうさぎやにわとりたちに
もっとなにかできたはずだ。
でも私がばかでまぬけだったから
うさぎの赤ちゃんも死んでしまったんだ。
もっとできることがあっただろうに。
障害児兄にだって
亡くなる前には、私は家にいないこともあった。
母が「いもうとはどこいった?って言ってたわよ」
と言っていた。
兄ともっといてやればよかった。
もっとやさしくできたらよかった。
なぜ、私はそういうふうにしなかったのか。
やろうとも思わなかったのか。
母は胃ガンで死んだ。
そう、乳ガンのとき、私はつきそわなかったなあ。
お料理だの掃除だのもしてなかったなあ。
お母さんが言わずともやるべきだったよ。
不安や寂しさで、いちばんつらい母本人に
私は八つ当たりしてしまった。
もっとやさしくしてやるべきだったのに。
胃ガンが背骨に転移して再々…?入院して
寝返りしたら骨折するからだめって言われて
母は文句も言わずにベッドにじっとしてて
モルヒネがちょっと多くなったときに、
へんな顔つきで左右に手を振りだして
あ、と思って医師に伝えたら流量減らしてくれて
元に戻ったのだけど
あとになって
あんな状態でも「寝返りはだめ」は守ってた。
意識がぶっとんでるままにしてやったほうが
よかったんじゃないか?
と思った。
『ウエストサイドストーリー』とか
『サウンド・オブ・ミュージック』とかが母は好きで
レコードをしょっちゅうかけてた。
小さいうち私は母とお風呂に入りながら
それこそ毎晩
「おかーさーん、うた歌って。
おかーさんは本当に歌がうまいね」
とねだった。
なのに、思春期こえた頃には
私はピアノのレッスンのおかげ?か
「お母さんは歌詞いい加減だしリズムや音階がいくらかズレる」とか指摘してた。
なんてひどい娘なんだろう。
合唱団の歌の練習につきあった。
そんなときには娘なのだから
「おかあさん、うまいね!」
って言っておけばよかったのに。
母は毎日が地獄の労働なのに
やるように指示するとかいうのはなくって
母の、私の心に土足で入ってくる姿勢が
とってもいやで、それが憎らしいし
とてつもなくいやだったのはそうだけど
そこしか目につかなくなってた。
そりゃあ身体障害児でなければ
その頃、長兄は二十歳頃なんだから
いっぱしのおとなぶってたかもしれない。
でもそうじゃないのに。
ばかであほまぬけな私は
そのことにちゃんと気付きもせず
(あるいは不都合だから?それとも
父のうけうりしてた?)
のんきに好き勝手してるだけで
しかも母は
「あたしはね、笑うのがへたなのよ。
あんたはいつも笑ってていいわね」
「あたしはね、あんたがいるから
生きていけるのよ」
と、よく私に言った。
わたしはただただ
「ふーん(なんかきもちわるいな)」
って思うだけだった。
若い頃の母の白黒写真。
「かわいげのある女の子」のとるポーズ。
やせてて、靴が大好きな女の子だった。
22で父なんかと結婚してしまって、
翌年には超重度の兄が生まれて
必死に過ごして50代で疲れはてて
病気になって死んだ。と思う。
人の5倍も10倍も動いてたモン。
ミュージカルの国、アメリカ。
…だけじゃなくて、
恋愛話が大好きだったんだよね。
憧れてたらしい。
40歳になっても
きっと60歳になっても
人の本質はもうあんまり変わらなくなって
あっというまに、駆け降りるように人生の終わりを迎えるのかもしれない。
少女時代に憧れてた【恋】ってのは
ひとそれぞれ、違うもの。
時間がたつと、人の記憶は整理されて
純度と濃度の高いコトばっかりが色濃く残る
かもしれない。
だから、40より60
60より80のほうが
なんかきっと、濃縮されんだよ。
しらんけどさハハハ
で、だから、時間は圧縮されちゃって
ほんの数年、数日の感覚。
20歳、10歳の頃も
おとといと、先週くらいな気持ちになっちゃう。
それで『サウンド・オブ・ミュージック』なんて
観たり聞いたりしたら、
いっぺんに心は広い空に飛んでいっちゃうわけだ。
昔の私には、
恋愛なんかキョーミゼロで
なにがいいのやらあほくさく見えたけど。
THE少女 な母にはいつだって最高にステキに見えただろうね。だってさ。マリアは修道院にいたのに、家庭教師にいったおうちで、母親になったし、恋をして、結婚したし、みんなで山を越えた。
現実の母の人生は
まるで違ったもんね。
でも、自分らしさはもってたんだろうね。
きっと。心の中に。
まあ、そんな母親。
でも、生きてたらきっと助けてくれたろうになあと思います。
だってやっぱり【おかあさん】だもんね。
でも、いまの私。
娘がこんなんだったらもうがっかりしょんぼり。
だよね。。。(つд⊂)
クリスチャンの先生とお話して
私の影響はやっぱり絵本が大きいのだろうなと思って。
(旧約の罰を与えられるもの)
信仰心ないけど、っても先生は「ある」と仰るけど。
それは○○教ということではないんだろう。
ジョバンニは「ほんとうのほんとうのたったひとりのかみさま」がいると言ってたなあ。
賢治は法華経信徒だから「神様」じゃない。
その先生が
「(罪を)おゆるしください、と思う」と仰って
私はよく理解しました。
…しょっちゅう同じことしか書いてない。
今回はざっくりだけど事実を書いたけど。
まとめて書いたことないや。
だって、法律で「夫婦」ってなっちゃったらさ
そう言わざるを得ないじゃん。。。
だけど、意志マイナスなことだってあるんだよ。。。