この世の中が悪くなった一因に●●●の責任は大きいと思う私ですが
どうして学校で「道徳」を教えなくなったのか、不思議に思う今日この頃です。
君に忠、親に孝というのがカンに触る、押し付け、右傾化への危惧、特別に学校で教えることではない。
読み、書き、そろばんすら満足に教えられんクセに・・・、ケッと思うことはさておいて。
ツイッターで、誰かがリツィートしたから私のツイッターへにも表示されたんでしょうが
大阪のおそらく地下鉄と思われる車内に、チンドン屋さんまがいの格好をした人の画像が
載っていて、こんな電車乗りたくない、というコメントも掲載されていました。
私はすぐ削除したのでどこから来たものか不明ですが
撮られた人は明らかに精神を病む険しい顔つきでした。
病態なんですよ、彼のその格好は。
病人でなく、趣味だとすれば、撮影許可はとったのでしょうか。
例えば、趣味でバットマンの扮装をした人がいたら「写真撮らせてください、ツイッターに載せていいですか」くらいのことは言って写真撮りますよね。
チンドン屋さんみたいな格好した人の写真を載せて
何がおもしろいのでしょうか。
笑うというのは本来こういうことではないでしょう。
嗤っている自分を恥としないんですね。
昔もヘンな格好したり、おかしなこと言いながら徘徊している人はありました。
そういう人を嗤ったり、指さしたり、ましてや写真を撮ったりしたら
親や先生に叱られました。
とおりすがりの人にも叱られました。
それは「してはいけないこと」だったんです。
なんでしたらあかんのや、と今の人なら尋ねるかもしれませんね。
あのね、そういう人の家族の気持ちになってみなさい。
彼があなたの父親だとしたら、兄だとしたら、弟だとしたら、息子だとしたら
ツイッターの画像を見てどう思うのよ。
赤の他人のケロイドの痕や麻痺している表情を画像にしてツィートしますか?
もうほとほとネットやマスコミの「おもしろいほうがいい」という姿勢に
呆れかえってしまいます。
笑うというのは高等な精神作用であるはずです。
病態を嗤う、弱さを嗤うというその姿勢が、いじめやホームレス殺人に結び付くと思います。
「笑たらいかん」とは、幼い頃からよく言われてきたこと、そこには
おもしろがっていいことといけないことの区別を教えるという意味があったと思います。
つまりは、わきまえよ、ということですね。
ましてや、ツィッターで晒し者にするなんて。
それにコメントする人間がいることに愕然とします。
「道徳」は人間が生きて行く限り、教えずにすまされるものではありません。
国旗、国歌を歌うか歌わないか、モンスターナントカと言ってる前に「道徳」を
どう教えるか自分の胸に尋ねてほしい。
子供が英語を喋れるように血道を上げるのもいい。
でも、親が「道徳」を教えなくて何を教えるというんでしょうか・・・・。
いくら教えてもわからないバカはどんな時代にもいます。
しかし、今ほど教えることすら放棄された時代はないのではありませんか。