六月の記事へのコメントいただいて、見過ごしていました。

本当にごめんなさい。


さて、チキンナゲット、家で作れますよ。
成型をもっと丁寧に手にお水をつけてツルンと作ると

市販のもののようになります。

ソースはケチャップでも。



鶏むね肉一枚にたまねぎ四分の一個をフードプロセッサーにかけます。

塩胡椒して、卵一個の白身をいれて良く混ぜます。

黄身に大さじ四杯の水とおおさじ二杯の小麦粉を入れて良く混ぜ。

手に水をつけて成型した鶏肉を漬けて、パン粉をまぶして揚げます。


おおさじ4のマヨネーズに大さじ1のマスタード、大さじ1の蜂蜜を加えて良く混ぜ

ソースにします。お子様用にはマスタード省略で。



お弁当にもおすすめですよ。






フードプロセッサーでなくても、チョッパーかブレンダーがあれば

子どもやお年寄りのいる家庭ではとても便利です。

歯の治療時や、口内炎、喉が痛くて嚥下困難な時に重宝します。

私はひき肉もチョッパーで作っています。

あっというまにできて、脂肪も少なくできるし、何よりどんな肉なのか

自分で調整できるので安心です。


何もかも自家製は無理ですし、子どもも市販のものをお友達と食べたい時もあるでしょう。

でも、簡単に作れるものは家で作る習慣を親が身につけるのは大切な事だと思います。

↓がお手軽です。


ツインバード/TWINBIRD【送料無料】チョッパー付ハンディーブレンダー KC-4817W
¥3,180
楽天

ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺(さかい)の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも
ほろびずとても 何事ぞ
君は知らじな あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣(けもの)の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されん

ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守(も)り
安しと聞ける大御代(おおみよ)も
母のしら髪(が)はまさりぬる

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にいづま)を
君わするるや 思えるや
十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ




ご存じ与謝野晶子の旅順包囲網の中の弟への祈りです。

弟さんは死なずに帰ってこられました。


反戦の詩として広く知られたものですが、私は特に三番が素晴らしいと思うのです。

(これは曲がついていて歌われたものらしいですね)


自分は闘いにでないで、かわりに人を殺して死ねとすめらみことはおぼしめすだろうか、

そんなことはあり得ないと晶子は言うのです。



私が言いたいのは、戦争反対ではなくて

晶子もきっとそうだったと思うのですが

自分の代わりに人に死ねとは言えない、ということです。


旅順が落ちようが落ちまいが、そんなこと知ったことか。

商人の家の掟に旅順のことなんか書いてないわ、というのです。


アメリカの海兵隊の若い軍人の姉もきっとこういうでしょう。

日本の防衛のために死ぬなんて、そんなことはやめて、と。

自らは戦に出ないで

アメリカ兵だけに人を殺して死ねとまさか日本人は思っていないわよ、と。


この詩は反戦の詩ではなく

何でもいいから、あんたは生きて帰って来なさいや、という詩なんですよ。


だから私は好きです、この詩が。


徴兵制が敷かれたらどうするの

日本が戦争に巻き込まれる


つまり、わが身は一寸も痛むことなく、他国の軍人の命の上に生きのびていこうよ、ということですか。


周囲で喧嘩があって、巻き込まれるのがいやだから、武器を捨てる、戦わない、

何とか話し合いで解決するように努力する。

話せば理解しあえるのだ。

こっちが鍵を閉めなければ泥棒は入ってこないのだ。


それ、本当に信じていますか。


私だって、私の息子や孫だけは、世界中の人が死んでも

生き残ってほしいですよ。

修学旅行の船が沈んでも、息子や孫たちだけは、ちゃんと生還してほしいわ、当たり前だわ。


でもね。

そんなこと、大人が言って歩いちゃおしまいだよ。


世界中の軍人も日本の自衛隊も死んでも仕方ない。

ウチの子たちだけは徴兵しちゃだめよ、って。


それが平和を願う母の意見かなぁ。


あんたは死んだらあかんよ、何があっても生きて帰っておいでよ、とは言う。

死ぬことが名誉なんてことは絶対にない。

軍神になんかならんでよろし。


私たちがアメリカの戦争に巻き込まれるのがイヤなように

アメリカの母たちは日本の防衛戦争に我が子が巻き込まれるのはまっぴらでしょう。


じゃ、どうしたらええんや・・・・。


それはねぇ・・・・・・ここには書きません。

我が胸の裡に深く畳んで、オウム真理教に似た輩に

決して騙されない、決して加担しないと決意しています。














この世の中が悪くなった一因に●●●の責任は大きいと思う私ですが

どうして学校で「道徳」を教えなくなったのか、不思議に思う今日この頃です。

君に忠、親に孝というのがカンに触る、押し付け、右傾化への危惧、特別に学校で教えることではない。

読み、書き、そろばんすら満足に教えられんクセに・・・、ケッと思うことはさておいて。


ツイッターで、誰かがリツィートしたから私のツイッターへにも表示されたんでしょうが

大阪のおそらく地下鉄と思われる車内に、チンドン屋さんまがいの格好をした人の画像が

載っていて、こんな電車乗りたくない、というコメントも掲載されていました。


私はすぐ削除したのでどこから来たものか不明ですが

撮られた人は明らかに精神を病む険しい顔つきでした。

病態なんですよ、彼のその格好は。

病人でなく、趣味だとすれば、撮影許可はとったのでしょうか。


例えば、趣味でバットマンの扮装をした人がいたら「写真撮らせてください、ツイッターに載せていいですか」くらいのことは言って写真撮りますよね。


チンドン屋さんみたいな格好した人の写真を載せて

何がおもしろいのでしょうか。


笑うというのは本来こういうことではないでしょう。

嗤っている自分を恥としないんですね。


昔もヘンな格好したり、おかしなこと言いながら徘徊している人はありました。

そういう人を嗤ったり、指さしたり、ましてや写真を撮ったりしたら

親や先生に叱られました。

とおりすがりの人にも叱られました。

それは「してはいけないこと」だったんです。


なんでしたらあかんのや、と今の人なら尋ねるかもしれませんね。

あのね、そういう人の家族の気持ちになってみなさい。

彼があなたの父親だとしたら、兄だとしたら、弟だとしたら、息子だとしたら

ツイッターの画像を見てどう思うのよ。


赤の他人のケロイドの痕や麻痺している表情を画像にしてツィートしますか?


もうほとほとネットやマスコミの「おもしろいほうがいい」という姿勢に

呆れかえってしまいます。


笑うというのは高等な精神作用であるはずです。

病態を嗤う、弱さを嗤うというその姿勢が、いじめやホームレス殺人に結び付くと思います。


「笑たらいかん」とは、幼い頃からよく言われてきたこと、そこには

おもしろがっていいことといけないことの区別を教えるという意味があったと思います。

つまりは、わきまえよ、ということですね。


ましてや、ツィッターで晒し者にするなんて。

それにコメントする人間がいることに愕然とします。


「道徳」は人間が生きて行く限り、教えずにすまされるものではありません。

国旗、国歌を歌うか歌わないか、モンスターナントカと言ってる前に「道徳」を

どう教えるか自分の胸に尋ねてほしい。

子供が英語を喋れるように血道を上げるのもいい。

でも、親が「道徳」を教えなくて何を教えるというんでしょうか・・・・。


いくら教えてもわからないバカはどんな時代にもいます。

しかし、今ほど教えることすら放棄された時代はないのではありませんか。