神山魚貫(かみやま なつら)は、江戸時代後期の歌人。(1788-1882)
埴生郡飯岡村(現在の成田市飯岡)に、農家神山三郎左衛門の長男として生まれました。
幼名を周助といい、魚貫・松廼舎を号としました。
号を魚貫としたのは、佐原の歌人、伊能魚彦を慕いその上に貫き出ようと望んで名付けたといわれています。

魚貫は14、15歳のころから生地の下総(しもうさ)埴生郡(千葉県)で農業にはげむかたわら、独学で和歌など古典を学びました。
百人一首が教科書で、唯一師と呼ぶ和算家、飯島武雄に文法や言葉の活用を学び、
その後20余年間は一人で古書を読み続け、独自の作風を築き上げていきました。
処女歌集『苔清水』の序に「百人一首の言葉穏やかで、
やわらかい調子が耳について忘れられず、和歌を詠もうと決心した」と書いています。

こうして努力を重ねた魚貫は、百人一首はもとより
八代集(古今和歌集など平安前期~鎌倉初期までの8つの勅撰和歌集)をすべて暗唱できるほどまでになり、
また歌人として名を知られるようになりました。

天保年間になると門人として入門する者が増え、「門生名簿写」によれば、
国学者の椿仲輔、伊能頴則(いのう ひでのり)、木村正辞(まさこと)、鈴木雅之らをはじめ、170余名にも及んでいます。

魚貫が詠んだ和歌は2万首ともいわれ、
主な著作には
『苔清水』
『詞の道芝』
『松廼舎文集』などがあります。
80歳を過ぎても矍鑠とし、詠歌に親しんでいました。
書道にも熱心でした。
生涯、自分の心を自然の中に映して久住に生き続けた魚貫も、
明治15年(1882)2月3日、95歳の長寿を全うし、生涯を閉じました。

<情報元:成田市のホームページ より>