私たちは毎日「選択」をしています。
今日の昼ご飯を何にしようかとか
今から遊ぶか、勉強をするのかとか
「あれか、これか」と何度も悩むような小さな選択の積み重ねが
すなわち人生に通じているともいうことができるでしょう。
先日観たNHKの「コロンビア白熱教室」でシーナ・アイエンガー教授曰く
『選択は人生を切りひらく力になる。わたしたちは選択を行い、そして選択自身がわたしたちを形作る。』。
つまり、What I select is what I am. です。
この「選択」は各々の持つ価値観や文化によって大きく異なることになるでしょう。
先ほどのシーナ・アイエンガー教授の講義の内容を参考に考えます。
下の絵を見てください。この絵を見て、あなたは何通りの選択肢があると思いますか?
ほとんどの人は「4通り」と答えたでしょう。
だって4色のクレヨンがあるのですから。
じゃあ、この絵を
色が識別できないような人が見たら?
選択肢は「使うか使わないかの2つ」でしょう。
もしくはクレヨンを使ったことのない人が見たら?
選択肢はこれもまた「使ってみるか使わないかの2つ」でしょう。
屁理屈ではありません。
このようにクレヨンを見ている人もいるのです。
つまり
私が見ているものは世界の一端にすぎないのです。
私たちは私たちの文化、生活習慣の中で自分で常識を作り上げている。
だから
多くの場合、私たちの選択の支配者は
What I see
ではなく
What WE see なんです。
この「多くの場合」に埋没しない人の多くは
多様な関係の中にある様々な価値観を感じ取りながら生きているのでしょう。
内向的に1つの関係の中で生きるのは楽ですが、それに終止してしまっては
何が本当の「自分」なのかを見つけられないのではないでしょうか?
結局は集団の中の一人になってしまい、個を確立できないのではないのでしょうか?
つまり、
挑戦しましょう
何にでもいいんです。
人に言えないような小さなことでもいい。
そうすればそこに人が集まるはず。
そこからまた一つ関係性が出来上がるはず。
自分には器量がないとか才能がないとか言ってるうちは
まだ本当に自分の無力さを味わってはいない。
むしろ味わうのが怖いから逃げていたいだけ。
無力さもすべて味わいましょう。
それがまた新たな挑戦につながるはずです。
大学は「問いを解くところ」ではなく「問いを作るところ」です。
自分の問いを作れるような挑戦に満ちた大学生活を送れるよう、自戒の念を込め、
もし高校生に読者がいるのなら彼らに向けての励ましの念を込めて書きました。
以上。
