今回は
「Z750FOURはZ2ではない」
これを最初に言い出したのは誰なのか、
何故そのような発言があり、どのように広まった話なのかを
徹底して解説していきたいと思う。
以下の文中ではこの主張を指して「非Z2論」と呼ぶ。
これが如何に問題があり、根拠のない話であるかについては
一つ前の記事にて詳しく解説してあるので御覧いただきたい。
メディアによる最初の「非Z2論」とは
雑誌記事に書かれた初の
Z750FOUR「非Z2論」は、
雑誌ロードライダー 1983年1月号 Z750特集 に掲載されている。
73年の750RS発売から10周年を記念した特集記事の
「プレスライダーが語る “リメンバーZ2”放談」と題された企画の中で
白抜きの人物の
「Z2って呼べたのも、2型までだと思うんだけど…。」
赤抜きの人物の
「そう思う。」
という発言が確認できる。
これは型式や型番の誤解であったり、なにか道理の通るような話ではなく
単に好きとか嫌いとかいう主観的な評価に基づいたものである。
つまりはA4、A5に対する誹謗でしかない。
この記事はかつて750RSに乗っていた五人の座談会企画で、
彼らの前には当然のように酒瓶が並んでいる。
書籍では本名かつ顔出しもされているが、
雑誌ライターではない一般男性であるので
ここでは名は伏せ画像処理を施す。
タイトルに放談(言いたいことを遠慮なく話すこと)とある通り
元々好き勝手に喋って良い場として用意されていて、
内容は昭和真っ只中の価値観であり、現代の感覚とは相当なズレがある。
たとえば83年時の中型に対して
赤抜きの人物が
「高すぎるんだよ、あんなプラスチックだらけのオモチャバイクが」である。
これは現代においては非難されるような
何かを高く評価する際に別の何かを貶める、という行為だが
昭和の価値観ではこれを
対象への理解度が高いからこのように言えるのだ、と解釈されていた。
このようなエンスー的な仕草が、この記事の他車への侮辱の根本にある。
また、750RSとVT250Fの定価がほぼ同じ40万円程度とあるが
インフレによって73年と83年の消費者物価指数には2倍以上の差があり、
ざっくり言えば73年に40万円で買えたものは
83年には80万円以上支払わなければ買えないため
単純に新車時価格のみを比べることは適切ではない。
この5人の座談会の影響が後年まで残り続けたのは
彼らが元プレスライダーであり、
かつてプレスライダーという職種は
日本の二輪文化の形成に大きく寄与するほどに
強い影響力を持った存在だったからである。
そのため単にA4、A5に対する誹謗であったとしても
当時を一番よく知る元プレスライダーがそう言っている、となれば
読者には説得力をもって受け止められたはずだ。
インターネット普及以前は情報源といえばまず雑誌であり、
ユーザー側でその情報を検証するのは難しいことであったため
このような特定車両にリスペクトを欠く発言をカットせずに掲載した
ロードライダーの編集者の責任は重いと言わざるを得ない。
この場にはA4、A5に乗っていた者は一人もおらず、
それどころか750RSすら
出てすぐ買って潰した、2年乗っていた、というような話で
この10年に渡って乗り続けている者はいない。
そもそもロードライダーは82年創刊で、
70年代当時から同誌にいる編集者もいない。
こういった偏りのあるメンバーによる座談会であるから
ここで語られている非Z2論とは
酒の席での与太話程度のものでしかなかったことがわかる。
Z750FOURがZ2人気を落としたのは本当なのか
この記事ではもう一つ、
後年に影響する重要な要素が語られている。
それは赤抜きの人物による
「3型以後人気がだんだん落ちてきた」
正確にはA4は4型だが、
Z750FOURが人気を落としたという意味合いの部分である。
私自身も、70年代当時の雑誌記事を追うまで
A4、A5がZ2ではないなどと言われるのは(言いがかりとはいえ)
マイナーチェンジで人気を落としたことが原因だろう、と考えていた。
これが前提としてある場合、不条理に対し正しく反論したとしても
不人気ゆえの僻み、と片付けられてしまうことがある。
この時にはまだ「だんだん」と付けられているものの
後の90年代には多くの書籍で、
Z2人気はZ2Aがピーク、A4は車重が増しリミッターが付いた等の
まるでデチューンを受け人気が地に落ちたかのような印象操作が成されており、
不人気というイメージで語られることは無理もなくなってしまった。
しかし、実はZ750FOURに対するこの印象は正しいものではない。
なぜなら76年~79年前半までの間、
Z750FOUR~Z750FXの後期Z2系は
国内最高の動力性能で人気を保ち続け
名実ともにこの時代の覇権を握っていたからだ。
つまり本当の70年代当時は
750RSに惚れ込んだユーザーたちに迫るほど
Z750FOURのスタイリングを好み、クラストップの高出力や
ダブルディスク、トリプルディスクといった
新装備に強く惹きつけられたユーザーも多かったのである。
それはこの先、80年代が終わるまで
750RSとZ750FOURに価格差が付かなかったことからも明白だろう。
─当時国内最高の動力性能を誇ったZ750FOUR
まず当時のモーターサイクリスト誌上における
750RSとZ750FOUR
0-400m加速と最高速テストのデータをご覧いただきたい。
1973年12月 750RS(初期型Z2)
0-400m 13.35秒 最高速度 183.45km/h
1975年8月 750RS(Z2A後期)
0-400m 12.52秒 最高速度 176.5km/h
1976年6月 Z750FOUR(A4)
0-400m12.82秒 最高速度 189.5km/h
1977年11月 Z750FOUR(D1)
0-400m12.91秒 最高速度 184.6km/h(リミッターカット済)
A4はわずかに最大トルクが薄い代わりに
高回転高出力型に調整されている、という
カタログスペック通りの実測結果が出ている。
また、A4後期以降の180km/hリミッターが効いたとしても
Z2Aは180km/hに届いてすらいないので、
「200km/h近く出るZ2がリミッターで180km/hまでしか出なくなった」
というような後の時代でのイメージは全くの誤りである。
もともとストック状態のZ2の最高速は180km/h前後、というのが正しく、
これをして「虎が猫になった」などと侮辱した後年の書籍があるそうだが
それはまったく的を射ていない。
フラットな目で見れば、上記の記録で最も速いのはA4ということになるだろう。
(D1はリアディスクの重量増で0-400m、最高速では一歩譲っているものの
車体ディメンションの変更を受けているため
コーナリングを考慮すれば更に速いことは間違いないはずである)
補足:77年7月のモーターサイクリスト誌上で
カワサキ貸与の調整済かつ、それまでテストライダーが乗っていたという
ベストコンディションのA5においては
200km/hを超える記録が出ていることを確認した。
(0-400m13.09秒 最高速度 206.8km/h)
一方でKZ1000による最高速トライアルでは
なかなか200km/hが出ず苦心している記事もあり、
この頃の車両は
コンディションで(記事中では主にキャブセッティングによって)
記録が大きく左右されることがわかる。
ストック状態での結論は上記の通りで変わらないが、ノーマルのA5でも調整次第では200km/hの達成は可能、
おそらく他の年式でも可能だろう、ということを追記させていただく。
A4はクラックの入る不具合を修正するためのフレーム肉厚増加、
GT750に劣ると言われた制動力の強化のためのフロントWディスク化で
車両重量は増加しているものの、
出力特性の変更や車体バランスの調整で結果的により速くなった。
これが750RSとZ750FOURの新車時、実測結果から読み取れる事実である。
そもそも750RSと比べてデチューンされているようであれば
モリワキがスーパーバイクレースのベースマシンに、
オートショップフクイ、城東カワサキなどの名だたるショップがデモカーにと
Z750FOURを採用するはずがない。
80年代以降の書籍がカタログスペックを並べただけのものばかりなので
その間に漫画やムック本で伝説のバイクとして扱われ、
イメージを上げ続けた750RSよりも
Z750FOURは遅くなったなどという誤解が生じたのである。
─実際はクラストップの人気を維持していた
このような動力性能に裏打ちされる形で
76年~78年の間、Z750FOURは
雑誌の読者人気投票企画で頂点の人気を維持し続けている。
ヤングマシン誌
1977年1月 '76年度マシン・オブ・ザ・イヤー
最優秀者部門 1位 Z750FOUR 19648票
これは前年1位であるZ2A後期の15879票よりも多い得票である。
この後77年、78年も共にZ750FOURが1位であり、
750RSから数えて6年間人気首位を維持している。
オートバイ誌
77年11月 読者選考 国産人気車ベスト10
全クラス2位 Z750FOUR 942票
78年10月 ザ・ベストバイク'78 国産人気車ベスト10
クラスA(大型)1位 Z750FOUR 5228票
77年に始まった人気投票企画で
そのためにこの年はまだ投票数自体が少ない。
最初の全クラス1位はCB400T。
これは75年10月に改正された免許制度によって
中型以下のユーザーが増加したことを反映してのものである。
このとき10位以内に入った750ccクラスはZ750FOUR一台だけであり
翌78年からは排気量ごとに区分けする、として
より現実に即した人気投票になった。
79年10月の1位はZ750FX、Z750FOURは3位。
モト・ライダー誌
77年3月 '76人気ナンバーワンMOTO
1位 Z750FOUR
78年3月 '77人気ナンバーワンMOTO
2位 Z750FOUR
78年の1位はこちらもCB400T。
Z2は(人気が長く続いて)さすがに飽きてきた、
という趣旨の編集者の発言がある。
これはもちろんこのとき現行であるD1のみに向けられた言葉ではなく
Z2系すべての車両を含んでのことである。
モーターサイクリスト誌
79年1月 国産車人気投票
401cc~750ccクラス 1位 Z750FOUR
78年10月に
モーターサイクリスト誌で初めて行われた人気投票企画でも1位を獲得している。
これらの結果から
Z750FOURはフラッグシップとして販売されていた期間中
主要なバイク雑誌の4誌すべてで必ず1位を獲得しており、
常に頂点といえる高い人気を維持していたことがわかる。
そのためロードライダーの座談会記事中にある
青抜きの人物の「FXで少し人気を持ち直した」というのも事実とは言い難い。
実際には79年の半ばまで人気首位を保っていた後期Z2系だが
更にハイメカである4バルブのCB750Fの登場により敗北した、というのが正しく
それはこのときの現行機種だったZ750FXの責任という訳ではない。
基本設計が同一のまま6年を経たことで
750RS・Z750FOURはもちろんZ750FXまでもが
もはや古いものと判断されたことが理由である。
このように座談会の記事では
自分が思い入れのあるバイクにとって都合良く話が展開されており
A4・A5に対する誹謗にはツッコミ不在のまま進行している。
つまりここで語られているZ750FOUR像というものは
彼らの主観的なもので、ほぼ現実に即したものではない。
現にこの座談会記事のすぐ脇には
「販売店のオヤジさんが語るZ2販売秘話」として
当時の北多摩モータース代表であった
根本都雄氏のインタビュー記事が掲載されており
人気が落ちた主要因はCB750Fの発売である、としている。
もし仮に、
750RSがマイナーチェンジせず
車名も外装もそのままに販売を続けていたとしたら
人気を落とすことはなかった、つまり
CB750Fに敗北することはなかったのか、といえば
そのようなことは絶対にありえないだろう。
Z2が人気を落とした理由は
80年代を迎える直前の時代の流れによるもので、
マイナーチェンジに失敗したからだ、などという指摘は全く妥当ではない。
このようにZ750FOURはA4からD1の全期間で
クラストップの国内人気を保ち続けていたにも関わらず、
後にZ2人気を落とした元凶であるということにされたのである。
─Z2Aが人気のピーク、の裏にある当時の時流
後年の書籍で語られる、Z2人気はZ2Aがピークという話は
販売台数から見れば確かにそうなるのだが、
これも実態は当時の時流の影響を大きく受けたものである。
73年、初期型Z2は3722台しか作られず、
ユーザーに与えた衝撃の大きさに比べて
少ない台数から入手困難、希少化してしまった。
上記の北多摩モータース根本氏は、3ヶ月待ちはザラで
絶対数が少なかったのだと語っている。
そのため翌74年にカワサキはZ2Aを大増産、
2年間で計12581台と
必要とするユーザーに行き渡るだけの台数を生産した。
この増産の背景には
75年10月の免許制度改定へ向けた駆け込み需要もある。
その半年後、
76年4月から77年6月にかけて販売されたA4、A5は
合わせて4700台程の生産と初期型Z2に近い水準まで戻っており、
これは既にZ2Aが行き渡った後、さらに免許制度改定後の
不測である750ccクラスの売れ行きに備えてのことであって、
A4は人気がなかったので生産数を絞られたというのは誤解である。
Z2Aが人気のピークというのは
このような時代背景の上で成り立ったもので
つまり言葉から想像されるような、
Z2Aの人気は初期型Z2を越え、その後A4で下落した、というようなものではない。
もしA4の減産を人気が落ちたせいだ、とするならば
76年のA4の生産を絞ることになるほどの大幅な人気の低下は
前年の75年、Z2A後期の時点で起こっていなければおかしいはずである。
そのため、Z750FOURは人気がなく売れなかったという話も
台数のみを見て当時の時流を見ず、
後年の想像から作られたほとんど架空の話といってよい。
このようにZ750FOURが性能を落とされた、人気を落としたなどという話は
80年代後半~90年代の、つまりあいつとララバイ以降の
メディアによる印象操作の影響が大きく、事実とは異なっている。
Z750FOURは750RSから性能は向上し、
結果78年までの販売期間すべてにおいて
国内で首位の人気を保ち続けることに成功しているのである。
何故彼らは「非Z2論」を語ったのか
これは後年のメディアによる印象操作が行われたのは何故なのか、にも通じる。
この座談会の記事が掲載された83年は、現代から振り返り見れば
歴史上で最もZ2の評価が低かった時代だったといえる。
ロードライダー誌でZ2の特集が組まれたのは
750RSの発売から10年という節目だからであって、
人々の興味は既に
80年代前半を代表するCB750FやVT250F、RZ250という
バイクブームを牽引する新型へと移り変わっている。
これらの車両は明確に先進的な機構を採用しており
70年代を象徴するZ2系を全車まとめて古いものとした。
この時期には、当然750RSも古臭いものとされていたのだ。
座談会の彼らが
最近のバイクはプラスチックだらけのオモチャであると揶揄しているのも
Z2へ向けられた「時代遅れの古いバイク」であるという
世間一般のユーザーからの視線に対するカウンターであると考えられる。
彼らはこのZ2人気の下落は
A4へのマイナーチェンジを切っ掛けとするものである、として
Z2からA4以降を切り離し、
人気を落としたのはZ750FOURであり、Z2ではない、
Z2には蔑まれる要因などないということを暗に主張しているのだ。
このような話が出てくる時点で、
型式と同じZ2という表記で書かれてはいるものの
「Z2」がこの時既に本来の意味からは逸脱し
型式を超越した何かである、として扱われ始めていることがわかる。
これは後の90年代に
旧車ブームから多数出版されたムック本によって
Z2は称号だとか、伝説だ、神話だという形で言語化され
ブームを煽るために使われることになる概念である。
メディアによる印象操作はこれを目的としており、
座談会の彼らと同じ論法によって
伝説のバイクであるZ2の不人気時代を隠蔽、
その責任をZ750FOURのみに転嫁することで
不人気だったのは
旧車ブームを牽引するZ2ではなくZ750FOURである、ということにしたのである。
これは上で述べた通り事実ではなく、不条理で歪な話だといえるだろう。
─初期型礼賛という思想の影響
座談会の彼らと同様に
元プレスライダーである、楠みちはる氏はインタビューで
「当時、クルマにもバイクにも初期型信仰があり、
マイチェン=堕落と言われました。
実際にはそんなことはないけど
〈扱いやすさ〉と〈面白さ〉は両立しにくいのは事実ですね」
と語っている。
記事中ではK0を指しての話だが
初期型Z2もこのように尊ばれていたことは間違いない。
70年代当時に、この初期型礼賛が
どれほど普遍的なものだったのかは推し計りかねるものの
この思想は後の非Z2論に影響を与えている可能性が高い。
83年に雑誌記事で公になるより以前にも、
Z750FOURはZ2と認めない、などという話が
小規模なコミュニティ内では語られることはあったはずで、
それはこのような初期型礼賛という思想に根ざしたものであろう。
以前にZ1についての記事で紹介した
Z2は2型で750RSにマイナーチェンジしたという、
つまりZ2AすらZ2ではないという誤解も
カタログ表記の誤読以外にこのような思想が影響しているのかもしれない。
楠みちはる氏がかつて所有していた車両と
あいつとララバイ作中の車両は共にZ2Aであるから、
A4発売以前はZ2Aすら堕落したと誹謗にさらされることがあったのだろう。
80年代前半にはこの初期型礼賛思想は既に廃れており、
多くのユーザーは当然新型のほうが良いと考えている。
だからこそこの時期にはバイクブームが起きているのである。
座談会の彼らの中にすら
750RSに乗り続けているものが一人もいない、ということが
古いものが良いという思想は
もはや一般的ではないことの証明になっている。
しかし彼らは自身がもう乗っていないにもかかわらず、
新型を求めるユーザー、開発競争に邁進するメーカーという
この80年代前半の世論全般、切り替わった新しい価値観によって
750RSを否定されることは良しとしなかった。
今のバイクはプラスチックのオモチャで
Z2はA4になって駄目になっていった、と主張し
古いものとされたZ2から
その中において新しいA4以降を切り離すことで
古いものが良い、マイナーチェンジは堕落という
70年代の価値観の正しさを証明し、時代の流れに抗おうとしたのだ。
あるいはもっとシンプルに、
自分の青春バイクだけが素晴らしくて他は駄目、
と言いたかっただけなのかもしれないが。
K0や初期型Z2に向けられた初期型礼賛や
希少性によるプレミア的な付加価値、
これらは旧車に対する価値観の基本として
80年代後半から徐々に復権、90年代に一大ブームを巻き起こすこととなる。
Z750FOURに対しては、その過程において
こういった思想が極端に行き過ぎた形で表れてしまったといえる。
非Z2論はどのように広まり、真実であるかのように定着してしまったのか
まず前提として、
この83年1月のロードライダーの特集は非常に秀逸な記事である。
座談会の記事も、他車を揶揄する部分以外は
70年代当時の様子を詳しく知ることができる良質なもので
Z1誕生経緯を追ったヒストリー解説、
そして開発者インタビューに関しては
全員がまだカワサキに所属している時のもので非常に貴重だといえる。
後の高級ムック本にも引けを取らないほど内容のレベルは高く、
誤った数値もあるもののデータは豊富で充実、
これ以上の書籍は80年代はおろか90年代でも珍しいほどの出来である。
そのため、問題のある「非Z2論」を含めた形で
記事が後の雑誌の参考にされ、転用されてしまった。
過去に製造台数についての記事で述べた通り、
2000年代に至るまで多数の書籍に掲載され続けた誤った数値は
この特集記事のカワサキ提供のデータが初出である。
以下のZ2、ZⅡ、ゼッツーの表記は
既にこれらが混同されつつあり問題があるが
それぞれ元の書籍の表記に合わせる。
まずミスターバイク誌が86年8月号に
総力特集 ZⅡ命 という記事を掲載する。
これにはA5の解説に
「190km/hメーターになっている」という
ロードライダーの記事とまったく同じ誤り(正しくは180km/hメーター)があるため
それを参考にしていることは間違いないものと思われる。
上がロードライダー、下がミスターバイクの記事。
このZⅡ命という特集内のZ2Aの解説には
「マニアの中にはZⅡと呼べるのはこのモデルまで、と言う人も多い」
と書かれており
83年には「だと思うんだけど…」という主観で曖昧に語られていたものが
マニアからの伝聞という形ではあるものの、断定する形になっている。
ここで言われているマニアというものは
サイドカバーの変更に触れている点から
ロードライダーの座談会の彼らそのものを指しているか、
またはその影響下にあるフォロワー、
加えて同特集内で
ZⅡ再評価には漫画の影響が大きい旨が書かれていることから、
その漫画とは違う車両であることを理由として
Z750FOURはZⅡではないとした半可通のことであろう。
彼らが熱中していたのは漫画の主人公とその愛車であり、
本来の型式Z2という車両についてではない。
80年代前半と違い、旧車の価値観が復権しつつある80年代後半においては
漫画の影響を除けば
ZⅡからZ750FOURを除外するような理由は全くないからだ。
ここでいうマスコミとは
私が記事中、メディアと呼んでいるものだが
この雑誌内では漫画を含めるとしており、現代で考えるよりも
このあいつとララバイという漫画の影響が相当に大きかったことがわかる。
次にオートバイ誌が翌87年8月号に
大魔神Z2と題した特集記事を掲載する。
ミスターバイクと同じモーターマガジン社によるものであるから
この「マニアの間では「750RSこそZ2!」とも言われている」という記述は
前年のミスターバイクをそのまま参考にしたものだろう。
こちらは以前の記事で詳しく解説しているが、
より資料が充実したため
詳しい記述の当記事を以前の記事の補足とさせていただきたい。
この両誌の編集者は
マニアによる非Z2論を掲載するに当たって
ロードライダーの座談会の記事を参考にしているものと思われる。
マニアがこのようなことを言っているが
以前に元プレスライダーも同様の話をしていたので
載せても構わないだろう、と解釈してしまったか
もしくはそれが正しいと思っていた、ということである。
そもそもその編集者がZ2に興味を持って記事を書いていたのかも
定かではない。
87年のカワサキの広報誌であるThe Kawasaki Vol.1には
Z2Aをして
「いわゆる“ゼッツー”と呼ばれるのは本来この時期までである。」
と掲載されている。
この広報誌の記述も以前の記事で解説した通り
このころ最盛期を迎えたララバイ人気で
ゼッツーを求めるユーザーは
漫画と同じモデルを求めているため
750RSを売っておけば間違いない、という意味と見るのが自然である。
90年には
書籍THE KAWASAKI Z ISMにおいて
Z2の称号化が行われ、750RSはZ神話の中心として
A4、A5の切り離しが進む。
前年に発売されたゼファーの人気によりネイキッドブーム、
またその原点として旧車も流行しており
この頃にはZ2の金銭的な価値がさらに上昇している。
750RSとZ750FOURに価格差が付き始めており
上記のメディアによるZ750FOURへの印象操作は
このあたりを起点としている。
90年代以降についてはこちらの記事でまとめている。
94年、ミスターバイクBG増刊
絶版車バイブル KAWASAKI Z SPECIALは
Z2Aの項目に
「ここまでを “Z2”とするものは多い。」と書かれている。
この書籍の価格相場表では
Z2全体で50~75万
Z750FOURよりも750RSが20万円ほど高い、と書いてあり
この後、より広がってゆく価格差が新たな非Z2論の根拠とされることになる。
しかし当然だが、Z2であるかということに価格は全く関係がない。
86~7年にミスターバイクとオートバイの両誌で
マニアは750RSのみがZⅡもしくはZ2だと言っている、と書かれているものが
94年にはミスターバイクBGで
(マニアに限らず)多数がそう考えている、と表現がエスカレートしている。
これらの記事もかつての元プレスライダーによるものと同様に
マニアは理解度の高い人間なはずで、その解釈は正しいものであり
結果、多数がそれを支持しているのだ、と読者に受け止められてしまったはずである。
そのためロードライダーの編集者同様、
このときのミスターバイク・BG・オートバイ各誌の担当編集者にも
根拠なき非Z2論の拡散に関して重い責任がある。
そしてこれらの非Z2論が掲載されている雑誌でも
同じ号の中に
70年代当時を知る有名なショップの経営者や著名なライターによる
A4とA5、またD1までをZ2として扱っている記事がある。
ミスターバイクでは
名チューナーであるオートショップ北見の北見紀生氏
オートバイでは
70年代当時から現在も変わらず活躍しているライターの太田安治氏
ミスターバイクBGでは
この頃知らぬ者のいなかったラッキースター号の大庭善行氏
このように
「マニアの中にはZⅡと呼べるのはこのモデルまで、という人も多い」
「ここまでを “Z2”とするものは多い」
などと書いたのは
名前すら記事に載らない一編集者であり、
70年代当時を知る真っ当なライターには
そのような主張をしているものは見当たらない。
にもかかわらず、読者に拡散したのは
モデル紹介に無責任に添えられた「非Z2論」の方であった。
こうしてメディアによって
一般ユーザーまで「非Z2論」が浸透し
90年代末にはそれをセールストークに利用するショップが現れ始める。
そして現在まで尾を引く
インターネット黎明期の論争へと続き
こちらの記事で紹介したような
Z750FOURをZ2ではないとするための様々な理屈が
もっともらしく捏造、後付けされていった。
結論として
Z750FOUR「非Z2論」とは
83年のロードライダー誌にはじめて掲載された、
酒の席での与太話とでも言うべきものに
86・87年のミスターバイク・オートバイ両誌が影響を受け、
(主に漫画の)マニアはそのように言っている、と
正しい認識であるかのように書いたため
90年代以降に広く一般まで流布されていったものである。
これが「非Z2論」に関して遡って書籍を調べた結果で、
その最源流であっても正当な理由など存在しない。
平成期においてこれを語っていた身近なセンパイ方も
すべてこれらの雑誌の影響を
直接、あるいは間接的に受けていたのだ、といえるだろう。

























