2026年4月1日
KAWASAKI
Z750FOUR発売50周年
ここに50周年記念日を祝して、
当時の雑誌に掲載された記事をご覧に入れたいと思う。
これを機に、よりZ750FOURのことを知っていただければ幸いである。
オートバイ 76年6月号
Z750FOURは
カワサキの76年モデル呼称改定により750RSから車名を変更、
[型式]Z2 の4型「A4」として誕生した。
“FOUR”の読みはこの広告から
ツインに対する「フォア」であることがわかる。
モーターサイクリスト 76年5月号
発売日は1976年4月1日。
国内販売向けとしてはZシリーズで初めて車名にZが付いた、と言いたいところだが
2月発売のZ750TWINのほうが先発。
なお海外向けを含めば、75年下半期中既にリリースされているKZ900が最も早い。
外装デザインはタンク&テールにボリュームを、
そして曲線のなかに直線の鋭さを取り入れたものになっている。
これはこの頃の流行の先端が
ノートン コマンドプロダクションレーサーやドゥカティ 900SS、BMW R90S等
カフェレーサーに代表される、
ヨーロピアンスタイルであったことと無関係ではないだろう。
このフレームに沿って前端を切り落とされたような
サイドカバーのデザインラインは
エアクリーナー容量の確保に合理的なこともあり、
後のZ1000J/R→ZRX、KZ650~ゼファーに至るまで
Zシリーズの定番として受け継がれた。
フレームナンバーはZ2A後期から連番、
Z2F-16304~18272 製造台数1969台(前期1177台、後期792台)
Z2F-17481からは後期型となる、と
サービスショップに通達があったという話がある。
製造台数について詳しくはこちらへ
前期と後期の差は
スピードメーターが220km/hスケール→180km/hスケールに変更
リミッターはこのタイミングで搭載されたものと思われる。
76’モデル サービスマンマニアル
76年モデルのマイナーチェンジ箇所が記された、
カワサキサービスショップ向けマニュアルの記載。
750RSからの改良点として
弱点であったフレームの剛性強化が図られている。
モーターサイクリスト 76年5月号
発売直後のレビュー記事。
ハザードは(KZ900がそうだったためか?)オプションと誤解されがちだが
カタログにも記載されており、標準で装備されている。
Z750FOUR用サイドカバーエンブレム
70年代らしい書体が印象的な、Z750FOURのサイドカバーエンブレム。
このKZ900/Z750FOURの書体は
現代のZ900RS/Z650RSのエンブレムの元にもなっている。
これはPMC製のリプロ品だが
純正新品と比較してもほとんど見分けがつかない高品質なもの。
見分けられるほどの違いは背部の取付け用スピードナットの軸部分のみで
純正は段付きになっている。
オートバイ 76年5月号
前期型の220km/hスケールメーターやハザードスイッチのステーが見える。
モーターサイクリスト 76年6月号
各社の主力機種との比較。
当時国内トップの動力性能を有していたことがわかる。
モーターサイクリスト 76年8月 Z750Special
オートショップフクイの手によるZ750FOURのコンプリートカー。
各パーツ単体の価格は
BEETタンクシート 69000円
フクイ特製アルミバックステップキット 25000円
ヨシムラ機械曲げ 38000円
BEETキャスティングホイール 38000円
まだ販売前のアルフィンカバーは装着されていないが、
BEETタンクシートに純正サイドカバーも非常によく合っている。
現代のカフェレーサーにはセパハンが装着されることがほとんどだが
当時のフクイ仕様はコンチハンが選択されている。
この頃セパハンは公道走行不可なものの
ベルズやビモータのクリップオンは普通に販売されていたので、
下記デモカーやサーキット走行中のものでも
コンチを装着しているのはあえてのことだったのだろう。
同様にハーフカウル、フルカウルはまだ大柄なロングラン用途のものが多く、
70年代末まではビキニカウルの装着に留まっているものが多い。
BEET JAPAN公式サイトに掲載されているZ750FOURの元画像。
アルフィンカバーの発売は76年9月頃。
つまりBEET JAPANの公式HISTORYページは……
ミスターバイクBG 94年4月増刊 BEET特集ページ
日本ビート工業のデモカー。
上記の車両と5本スポークのマグホイールが共通しているが
こちらにはタンクシートは装着されていない。
モーターサイクリスト 76年8月 Z750Special
この頃のカスタム、特にカフェレーサーを志向したものには
ヨシムラの手曲げよりも機械曲げの採用率が高い。
価格は手曲げが49000円で、機械曲げと11000円の差
(現在の感覚なら3~4万円程度か)があったが
それ以外にも、張り出しが少ないミニマルなルックスが
カフェレーサーのスタイルに合っていると考えられていたのではないだろうか。
モーターサイクリスト 76年10月号
Z2の最終5型「A5」にマイナーチェンジ。
発売日は1976年9月1日。
そのためA4の販売期間は5ヶ月間という短いものだった。
フレームナンバーはA4から連番、
Z2F-18273~21000+α 製造台数2728台+数台~最大100台まで
厳密にはメーター変更はA4後期に行われており、
A4後期とA5の違いは、カラーリングを除けば
クラッチレバーホルダー部分のスターターロックアウトスイッチのみ。
記事ではFourと小文字表記されているが
カタログやサイドカバーデカールから、正確な車名は大文字で「Z750FOUR」。
ただし後のKZ750D1のサービスマニュアルにはZ750Fourと表記されている。
A5用純正向かい獅子キー ナンバー77*
750RSが75*番台後半のためA4は76*番台か。
仕舞って放置してあったので気温か湿度のせいか細いヒビが入ってしまった。
同じキーナンバーであればZ400D用の純正ダイヤモンドキーが使用可能。
こちらは金属で劣化しにくいため、普段遣いに適している。
オートバイ 76年10月号
A5はカラーリング変更として扱われている。
当時はA4、A5という型番による呼び分けはまだあまり一般的なものではなかった。
モーターサイクリスト 76年11月
76年のモーターサイクリスト誌では
4月号はZ2A後期、11月号はA5が国産車アルバムとして紹介されているため
A4はちょうどこの形式で掲載されていない。
モーターサイクリスト 76年12月号
A5のレビュー記事。
現代では当たり前の装備であるスターターロックアウトスイッチだが
この頃の車両はまだ始動性の水準が低いこともあり、当時は不評だったようだ。
オートバイ 76年12月号
オートショップフクイが日本キャスト工業(所在地は同一)として
オリジナルパーツを展開していた頃のデモカー。
6本スポークのBEETキャスティングホイール前後装着。
マフラーはどこのものか書かれていないが(おそらくヨシムラ機械曲げ)
現在知られているZ2用のBEETマフラーではないため、
それはまだ開発されていなかったのだろう。
また、この車両は明らかにZ750FOURだが750RSと書かれてしまっている。
この時代の雑誌は2車の区別が厳密ではなく、入れ違っている記載がしばしばある。
同号のアフターパーツカタログ
当時の定番がわかる。
ビモータのタンクシートは170000円
ダンロップTT100が前後で45000円
シビエのヘッドライトが8000円
キジマのドレスアップカバーがセットで10000円前後。
ハンドルは一文字ハンドルまで公道走行可能の記述がある。
ヤングマシン 77年1月号
ヤングマシンの読者投票企画、
76年度マシン・オブ・ザ・イヤーにて
19648票という圧倒的な得票で最優秀者部門 1位を獲得。
当時はZ750Fと表記されることも多かった。
オートバイ 77年2月
こちらは読者による投票ではなく
編集部選による国産人気車ベスト10企画のトップに掲載されたZ750FOUR。
モーターサイクリスト 77年4月号
オートバイ 77年4月
新年度に合わせて各誌で国産車カタログの記事が見られる。
Zシリーズの広告ピンナップ。
オートバイ 77年5月号
ゼロヨン&最高速GPより
城東カワサキのデモカー。
BEETのパーツは既に日本ビート工業の…と記載されているが、
クラッチカバーにはオートショップフクイのステッカーが貼ってあり
タンクに関しては日本キャスト工業のものとある。
このことから、このタンクシートは日本ビート工業のものではなく、
同社のデモカーには採用されていなかった可能性がある。
他の使用パーツはほぼフクイのデモカーと同様。
この頃城東カワサキのオリジナルパーツは
ワークス仕様の小文字タンクエンブレム等が既に販売されていたが、
JMCのブランドはまだ立ち上がっていない。
余談だが、
城東カワサキには足立区綾瀬にまだ店舗があった98年頃に伺ったことがある。
当時とっくに絶版のKR250で乗り付けたにもかかわらず
オプションだったシングルシートカバーは手に入りませんか、と相談したところ
すぐに上の階から色違いで三枚出してきていただき、
自車のカラーだった赤を2~3000円という安価で購入することができた。
この店舗がもうないことは寂しい限りだが
現在でも復刻JMCパーツにその名は残っている。
ミスターバイク 77年5月号
読者投稿企画、僕が造ったボクだけのバイクより
こちらもBEETタンクシート、アルフィンカバーに
一文字ハンドル装着のZ750FOUR。
モーターサイクリスト 77年6月号
珍しい純正の白バイ仕様。
オートバイ 77年6月号
最新鋭 Speciality Machine ピンナップコレクションより
ビモータのタンクシート、ヨシムラ手曲げ、セブンスターキャストホイール……
この時代の頂点と言っても過言ではない一台。
セブンスターキャストは前後セットで79800円で販売されていた。
このままピンナップとして飾りたいほどだが
750RSと書かれてしまっているのは残念。
この車両を手掛けたイトウモータースは
西のスペシャルショップの横綱として紹介されており
現在でも大阪府堺市でカスタムバイクショップ忍者として営業されている。
補足:半年前に閉店されているとのことです。
長い間お疲れさまでした。
モーターサイクリスト 77年7月号
最高速トライアル企画の記事。
このA5による206.8km/hの記録は
当時のノーマル国内市販車では最高のものだろう。
ただしこの車両はカワサキ貸与の調整済かつ、
それまでテストライダーが乗っていたというベストコンディションのもの。
ストック状態のZ2は概ね180km/h前後が最高速となるようだ。
また、スピードリミッターはメーターケーブルを抜くだけで動作しなくなる。
オートバイ 77年8月号
読者投稿企画 俺のマシンを見ておくれより
掲載されているのはどちらもZ750FOURだが、750RSと書かれてしまっている。
オートバイ 78年1月号
再掲の際に車名がZ750Fに直されている。
モーターサイクリスト 77年9月号
車名は変わらずZ750FOURのまま、
型式KZ750Dにモデルチェンジ、型番は「D1」となる。
待ち望まれていたリアディスクブレーキ搭載が最も目を引く部分だが、
キャスター・トレール、ホイールベースといった
車体ディメンションの変更が新規型式の理由で、
広告がニューモデルを謳っているのは妥当である。
発売日は1977年7月1日、
そのためA5の販売期間は10ヶ月間。
フレームナンバーは
KZ750D-000101~003900 製造台数3800台
フロントブレーキキャリパーがフォーク後方に振られるようになり、
リアディスクブレーキのマスターシリンダーが内側に装着されているため
A5とは右サイドカバー下部の形状が異なる。
モーターサイクリスト 77年11月
D1発売当時のレビュー記事。
オートバイ 77年10月号
ゼロヨン&最高速GPより
カワサキ沼津販売の手掛けたA4。
カワサキ沼津販売は
現在でも静岡を中心にディーラーを5店舗経営されている。
オートバイ 78年6月号
オートショップフクイによる、おそらくA5。
エンジンがフルチューンされ、上記のデモカーに準ずるカスタムが施されている。
オートバイ 78年7月号
スーパープロダクションレーサー谷田部フルテストより
モリワキによるスーパーバイクプロダクションレース仕様のZ750FOUR。
Z750FOUR以降のカワサキ車に対する
モリワキの影響力は非常に大きく、
以降も同様のカラーに塗られた車両がよく見られる。
オートバイ 78年~79年
読者投稿企画 俺のマシンを見ておくれより
この頃、既にミスターバイクでは投稿カスタム紹介は行われなくなり
オートバイ誌が唯一このような企画を続けている。
ヤングマシン 79年1月号
読者投票企画、78年度マシン・オブ・ザ・イヤーにて
最優秀者部門 1位を獲得。
77年度も1位を獲得しており、
750RSから通算6年、Z750FOURは三年連続の受賞となる。
76年度~78年度に、ヤングマシン以外にも
モーターサイクリスト オートバイ モト・ライダーの
主要4誌の読者人気投票企画で
Z750FOURは販売期間中に必ず1位を獲得している。
オートバイ 79年9月号
ゼロヨン&最高速GPより
スーパーバイクバーと呼ばれるハンドルで有名なZパーツによる
8耐仕様のD1。
オートバイ 79年10月号
77年6月のピンナップコレクションと同様、イトウモータースによる
ビモータタンクシート・BEETパーツを組み合わせた、おそらくD1。
ヤングマシン 79年12月号
D1はD2(Z750FX)へマイナーチェンジ後の79年も販売が継続されていた。
これが現行車としては最後の雑誌掲載となる。
オートバイ80年9月
THE PRESS MACHINEより
プレスライダーの車両紹介企画の
リアディスクに改造されたA4もしくはA5。
オートバイ 80年12月号
ゼロヨン&最高速GPより
左側の車両のフレームチューンは
RZのカスタムやオールアルミマフラーが有名なダイシンレーシング、
右側の車両はSPEC-Aマフラーが有名なヤマモトレーシングの手によるもので
両社共に現代でも老舗パーツメーカー・チューナーとして活躍されている。
オートバイ 81年2月号
個人売買特集ページ 蚤の市より
750RSと書かれてしまっているが、おそらくD1。
オートバイ 81年3月号
読者投稿企画 俺のマシンを見ておくれより
A4もしくはA5。
80年代には既に、当時のブームは去ったとされている。
別冊モーターサイクリスト 81年7月号
MCFAJ(Motorcycle Club Federation of All Jpan)主催の
FNGCスーパーバイクレース参加車両
ヨシムラR&Dグループ
ヨシムラチューンのZ750FOUR。
排気量1000cc、大幅に改造されたフレーム
ヨシムラミクニキャブレター ロッキードキャリパー モーリスマグホイール等
レーシングチームサトーTOKYO
モリワキチューンのZ750FOUR。
エンジンとキャスター角の変更・フレーム補強、レイダウンされたリアショック
モリワキスイングアーム CR31キャブ等
レーシングチームハニービー
久保モータースチューンのZ750FOUR。
ヨシムラピストン&カムにクロスミッション
モリワキスイングアーム CR31キャブ等
オートバイ 81年9月号
同一型式で基本同じフレームのため当然ながら、
D1はFXタンクを載せても完璧な合いを見せる。
オートバイ 82年1月号
ゼロヨン&最高速GPより
上段の車体を手掛けたワールド・カワグチは
静岡県駿東郡にて現在も営業されているようだ。
下段の車体のヒロセのデュアルカウルは
従来のビキニカウルからフルカウルへ向かうトレンドの転換の象徴で
この後のレーサーレプリカブームの到来を予感させるもの。
オートバイ 82年7月号
読者投稿企画 俺のマシンを見ておくれより
もう昔のマシンとされている。
83年前後はZ2の価値が最も低かった時代ということになるだろう。
赤白の塗り分けはジェロニモカラーをもとに複数あるが
この車両はおそらくハヤシレーシングの広告カラーの影響だろうか。
オートバイ 82年9月
既にこのカラーリングはモリワキモンスターのものという認識になっているようだ。
オートバイ 82年9月号
ゼロヨン&最高速GPより
月木によるA4もしくはA5。
月木レーシングは後の8耐レーサーGPZ750Rや
青いゼファーのコンプリートカスタムが非常に印象深い、
現在も活躍されている老舗のパーツメーカー・チューナーである。
オートバイ 82年12月号
もう貴重品級、とされているのが後年を暗示しているが
金銭的な価値がそれに追いついてくるのは90年代以降の話。
当時の雑誌に掲載されていたカスタムショップで
オートショップフクイと城東カワサキという2大巨頭が
もう営業されていないことは残念だが、
その他のショップはほとんどが現在も営業されていることは驚きである。
50年の時を経て
雑誌はインターネットメディアへ、
個人の発信はSNSへと移り変わった。
現在ではX、Instagram、youtube等で
最高に格好良いZ750FOURを拝むことができるので
是非探してみて欲しい。
そして100周年へ向けて、これからの後半世紀が
Z750FOURにとって栄光に満ち溢れたものになることを願ってやまない。












































































