はじめに②



正解を見つけるだけが人生じゃない。


いやむしろ、正解が見つからないから人生は楽しい。



昔、ある人は言った――



「知り合いに国立の理系を出て居酒屋のオヤジになったヤツがいる。


その学歴は、居酒屋を経営する上では必要なかったのかもしれないけれど…





もしお客さんに数学が好きな人がいたとしよう。





そうしたら、そいつとお客さんは数学の話で盛り上がれると思うんだ。


それって、素敵じゃないか?」。



たどり着いた答えが、かつて自分の目指したものとは異質であっても


そこに至るまでの過程に、無駄なことなんて一つもない。



恐らく、氏はそのようなことが言いたかったのではないかと思う。



先述のように、人生にはいついかなるときも「敗北」がつきまとう。


また、それと同等か或いはそれ以上に絡みついてくるのが


「無駄」だ。



『無駄』――



聞こえの悪い言葉だ。


この言葉を聞くにつけ、今の記憶を持ったまま過去に帰ることができれば


その無駄を省いてより良い人生を送れるのに…


といった身もフタもないない発想に駆られる。



でも、本質 は違う。



これまで散々無駄なことに時間を費やしてきたから今の自分があるのであって、


その無駄を省いてしまったら、そもそも自己なんて形成されるはずがない。



要するに、人というのは「無駄」の上に成り立っているのである。



「敗北」「無駄」――



この2つと寄り添って人生を歩んでいくのは決して楽なことではない。


でも勝ち」というのは、漆黒の夜空に光る1つ星さながら、


多くの「敗北」と「無駄」があるからこそ、より強く光り輝く。



私は、いまわの際に立たされたとき「良い人生だった」


一言が口をつくような人生を歩みたい。


それこそが私の思う「勝ち」であり、一生涯をかけての


「目標」でもある。



これまでも、そして、これからも無駄な時間は続く。



でも………



この無駄に支配された今を、あせらず、腐らず、かえりみず生きることが


かけがえのない財産になるのではないかと思う。(続く)