@落語 #中島健人 #井上咲楽#無理かも「キラキラと国営の間」「眉と世間とショートカット」 「キラキラと国営の間」 ――えー、どうもどうも。 最近はね、テレビってのもずいぶん変わりまして。昔は“国営放送”なんて言い方もして、なんだかこう、背筋をピンと伸ばして観るもんだった。今じゃリモコン片手にポテチ食いながら「あ、これNHKだったの?」なんて時代でございます。 ところがですよ。人間の頭ってのは面白いもんで、「NHK」と聞いただけで、どこか畳の上に正座してる気分になる。いや実際はソファで寝転んでるんですけど、心だけ正座。これが日本人の不思議なところでして。 で、今日はそんなNHKに初めて出るっていう、ある若い役者の話でございます。 ――この男、まあ顔がいい。 いや、いいなんてもんじゃない。顔が“仕事してる”。黙って立ってるだけで、背景が勝手にキラキラし始める。もう人間じゃない、発光体。 で、その男がね、初めてNHKのドラマに呼ばれた。 「いやあ、自分なんかでいいんでしょうか…NHKですよ?」 なんて殊勝なこと言ってるが、心の中じゃ「ついに来たか」って顔してる。顔がそう言ってる。顔が嘘つけないタイプ。 で、現場に入る。 するとどうだ、思ってたのと違う。 「もっと厳かな感じかと思ってました…」 って言うんだけど、そりゃそうだ。NHKだって人間が作ってる。朝から晩まで「荘厳です」なんて顔してられるかってんだ。 スタッフも普通にコーヒー飲んでるし、ADはスマホ見てるし、「あ、そこちょっとキラキラ入れてみようか」なんて軽口叩いてる。 そこで男、ひとつ気づく。 「キラキラ…?これ、NHKでやっていいやつですか?」 ――出ました。 自分は光っていいけど、NHKが光るのは不安。 「いやいや、あの…僕がこう、ちょっとキラッとするカットあるじゃないですか…あれやると、後々“こいつ大河無理だな”って思われないですかね?」 考えすぎなんだよ。 誰がそんなことで配役決めるんだって話で。 でもね、この“考えすぎ”が人間の面白いところで。 人はね、権威ってやつに弱い。NHKって看板があるだけで、「ここではふざけちゃいけないんじゃないか」って勝手に思い込む。 ところが実際はどうだ。 偉そうに見えるところほど、中は案外ゆるい。 逆に、ゆるそうに見えるところほど、中はガチガチだったりする。 これね、会社も家庭も同じで。 「うちは自由だから」なんて言ってる会社に限って、上司が一番不自由な顔してる。 で、話を戻すと、その男。 最初はセリフも「一言一句変えちゃいけない」と思ってた。 ――これもまた日本人。 台本を“聖書”みたいに扱う。 ところが現場は違う。 「そこ、もうちょい崩していいよ」 「その言い方、もっと軽くていい」 なんて言われる。 「あれ?NHKって、こんなカジュアルなんだ…」 そう。 “神様”だと思ってた相手が、ただの“いい人”だったときの拍子抜け。 これがまた人生の味でして。 で、男は安心する。 「じゃあ僕、ここでやっていけるんですね」 ――いや、最初からやれてるんだよ。 やれてるから呼ばれてる。 でも人間ってのはね、自分で自分を許可しないと動けない。 他人に「いいよ」って言われて初めて、「あ、いいんだ」って思う。 これがまた、滑稽で愛おしい。 結局その男、キラキラしながらコンビニの店長をやることになった。 コンビニですよ? 夜中の二時に、カップラーメン買いに来た客に向かって、背景キラキラ。 「いらっしゃいませ…」 客も困るよ。 「え、俺こんな神々しい存在にカップ麺売ってもらっていいの?」って。 でもね、これが現代。 神様がコンビニに立ち、庶民がキラキラに照らされる時代。 ――昔は逆だった。 庶民が働いて、神様は奥に引っ込んでた。 今は違う。 みんな表に出て、みんな少しずつ演じてる。 NHKだろうが民放だろうが関係ない。 人間がやってる限り、そこには“間”があって、“ズレ”があって、それが笑いになる。 で、最後にその男がこう言う。 「これで僕、第一歩踏めましたよね?」 ――第一歩なんてものはね、後からつく名前でして。 歩いてる最中は、ただの一歩。 キラキラしようが、地味だろうが、 NHKだろうが、コンビニだろうが、 人間はただ、自分の役をやるだけ。 その“やってる姿”が、ちょっと可笑しいから、 我々はこうして笑っていられる。 えー、長々とお付き合いありがとうございました。 キラキラも結構、陰も結構。 どうぞ皆さん、それぞれのコンビニで、いい買い物を。 ――おあとがよろしいようで。 2幕目 「眉と世間とショートカット」 えー…どうもどうも。 世の中ってのはね、変わるもんでございますよ。 いや変わる、変わるって言うけどね、変わらないのは何かっていうと…人の“勝手な評価”でございますな。 昨日まで「変だ変だ」って言ってたものが、今日になったら「最高!」だ。 で、その舌の根も乾かねぇうちに、明日にはまた「なんか違う」って言い出す。 これが世間ってやつでございます。 …便利ですよ、世間ってのは。 責任取らないでいいんだから。 でね、今日の話は“眉毛”でございます。 たかが眉毛、されど眉毛。 人の顔の上に、ちょこんと乗っかってるだけのくせにね、人生を左右する。 おっかない話でございます。 昔ね、ある娘がおりましてね。 これがまた、立派な眉毛をしている。 いや“立派”って言うと聞こえはいいけどね、要するに“太い”。 いや太いなんてもんじゃない、もうね…意思がある。 朝起きるとね、眉毛のほうが先に起きてる。 顔より主張してる。 「おい、今日どうする?」なんて言ってる気がする。 周りはね、「変だ変だ」って言うわけですよ。 「なんだその眉毛は」「虫みたいだ」「時代遅れだ」って。 好き勝手言う。 で、本人もね、最初は「これが個性だ!」なんて強がってるけど、だんだんね…疲れてくる。 だって世間ってのは、褒めるより叩くほうが上手いから。 ところがある日ですよ。 娘がね、スパッとやる。 眉毛を整えて、髪もバッサリ切って、さっぱりした顔で出てきた。 そしたらどうだ。 「かわいい!」 「最強!」 「どストライク!」 …おいおいおいおい。 昨日まで“虫”って言ってたやつが、今日は“天使”だ。 これね、よく考えてみるとね、娘は何も変わっちゃいない。 顔の骨格も、目の大きさも、鼻の形も同じだ。 変わったのは“見せ方”と、“世間の気分”だけだ。 つまりね、美人になったんじゃない。 “許された”んだ。 ここが怖いところでね。 人はね、自分の中にある基準で物を見てるようでいて、実は違う。 “周りがどう言うか”で決めてる。 だからね、ある日突然、評価がひっくり返る。 で、そのときに本人はこう思うんだ。 「やっと自分の魅力に気づいた」って。 違う違う。 気づいたのは“世間”だ。 しかも、気まぐれで。 でね、この娘、髪を短くした理由がいい。 「ドライヤーが楽になるから」 これがまた、いいねぇ。 哲学なんていらない。 人生はドライヤーだ。 長いと大変、短いと楽。 ただそれだけ。 ところがね、世間はそれを放っておかない。 「イメチェン大成功!」 「垢抜けた!」 「新しい魅力!」 …いやいや、本人は“乾かすのが面倒だった”だけだ。 このズレがね、たまらない。 芸能ってのは、このズレでできてる。 本人は生活、 周りは物語。 でね、ここからが本題でございますよ。 この娘、また伸びるんです、髪が。 人間だから。 で、またね、ちょっとでも崩れると、言われる。 「前のほうがよかった」 「ショートのほうが似合う」 「なんか違う」 …勝手だねぇ。 つまりね、世間ってのは“今の一番好きな状態”しか認めない。 過去も未来もいらない。 “今の気分”だけ。 だからね、人は疲れる。 合わせようとするとね、終わりがない。 じゃあどうするか。 簡単でございます。 自分の眉毛に聞けばいい。 「お前、どうしたい?」って。 眉毛はね、嘘つかない。 流行も知らないし、評価も気にしない。 ただ生えてるだけだ。 それをね、切るのも整えるのも自由。 でもね、大事なのは“誰のためにやるか”だ。 世間のためにやると、ずっと振り回される。 自分のためにやると、ちょっと楽になる。 この娘はね、たぶん気づいてる。 ドライヤーを楽にしたいって言った時点でね。 あれはね、世間に対する反抗ですよ。 「お前らが何と言おうと、私は乾かす時間を短くする」 立派なもんだ。 で、最後にね。 この話、結局何が言いたいかっていうと… 人はね、眉毛ひとつで評価を変えるほど、いい加減だってこと。 だからね、あなたが今どんな眉毛でもいい。 太くても細くても、なくてもいい。 世間はどうせ、あとで手のひら返す。 そのときにね、こう言ってやればいい。 「何だったんだ、あの頃は」って。 ただしね、その“あの頃”ってのは、 だいたい一週間前です。