人間関係の基礎は親子関係から始まります。
親子関係が安定して構築できなければ対人関係はうまくいきません。
愛着形成理論では愛着とは「安全・safety」・「安心・security」・「保護への要求・need」に基づいた絆です。
人は生存するために本能的に養育者との間に愛着を持つのです。
赤ちゃんは自分が歓迎されて生まれたことを必要とします。
生まれた私の鏡となってくれる人との絆を必要とします。
生まれてきてよかったという安全を感じながら、私が喜べば一緒になって喜んでくれる。
信頼関係と共感性を育むのです。
子どもというのは実に自己中心的です。
私も二人の子育てをしていますが、幼児期の頃は自分にかまう暇も、ソファーに座る暇もないほど子育てに追われていました。
でも、子どもというのは健全なナルシシズムを持っているので、自己中心的で当たり前なのです。
自己中心的でない方が不健全なのです。
ナルシストと聞くと自己愛が強い人とかネガティヴなイメージですが、本来はとても大切なことなのです。
自分を真剣に受け止めてくれる母親的存在を求めているのです。
自分の全てを受け入れ、どんなことがあっても自分たちのために存在してくれるんだと断言できる人の事です。
自分を唯一の存在として愛され、特別扱いしてくれて、称賛してくれて、抱っこしてほしい時に抱っこしてもらい、共感してもらえ、大事にしてくれて、見捨てられないと確信できる。
この健全なナルシシズムを幼児期に満ち足りていれば、大人になってまでこの欲求を引きずることはないのです。
この時期に養育者自身が子どもの頃に健全なナルシシズムを満たしていなければ、我が子に嫉妬し、「私も甘えられなかったのだ。」と怒りを向けてしまいます。
本来は、甘えたいときに甘えさせてくれなかった自分の親に向けるべき怒りを立場の弱い小さな我が子に向けて親の代替にしてしまうのです。
人は怒りを向けるときは、その目の前の人は見ていないのです。
目の前にいる人の後ろにいる人に怒っているのです。
夫婦喧嘩に、大概は「自分の要求をのんでくれなかった。」ということが一番多いのですが、この健全なナルシシズムを満たしていれば、相手にも都合があったと考えられるのですが、欲求を満たしてくれなかった親が無意識のうちに相手の後ろにいて、そこに対して怒っているのです。
話が少し脱線しましたが、我が子に自分の親の代替えで怒りをぶつけたときに、小さな我が子の心に傷がつくのです。
それが愛着の傷となるのです。
安定した愛着関係なら、傷がついても後でフォローしてもらえ、傷が深くなることや引きずることはないのですが、不健全な愛着なら、そのまま大人になっても老人になっても傷は癒えることはないのです。
ずっと、愛着の形成をできる母親を求め続けるのです。
そして、我が子にも愛着の傷をつけ、間違った子育てをすることで愛着の傷の世代間連鎖が起きるのです。
自分の愛着は健全なのか不健全なのか、一度見直していただきたいと思います。

