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欅坂46(けやき坂46) 適当にまとめ

欅坂について適当にまとめるブログ





ひらがなけやきは不遇だったのか






要旨

賢不賢才也、遇不遇時也。
高才潔行、不遇、退在下流。
薄能濁操、遇、進在衆上。



はじめに

欅坂と日向坂(ひらがなけやき)のオタクによるイザコザが坂道界隈の名物となって久しい今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

そこで今回は、そのイザコザのメインテーマ
「ひらがなけやきは不遇だったのか」
について、そこで挙がる論点を一つ一つファクトチェックしていきましょう。出来るだけ中立で書いたつもりですよ今回は。







本文




・けやき坂は"長濱ねるとその他"だったのか


→設立当初における運営の認識はその通りであったが、オタクの捉え方は三者三様だった




そもそも、ひらがなけやき誕生の経緯は


"長濱ねる"という可愛い子がいる
欅坂のオーディションを受けに来るが、親がアイドルに反対であったため、最終審査を棄権し強制帰宅
運営「なんであんな可愛い子が来ないんだ」
ねる「なんで最終審査受けられないの(泣)」
母親「泣き止まないじゃん、どうすんの」
運営「特別に入れてあげますよ、可愛いから」



こんな具合で長濱ねるの欅坂加入を決めたのが全ての始まりです。しかし、運営だって馬鹿じゃありません。このまま入れたら
「なんで最終審査受けてない奴が入れるんだよ、そこで落ちた奴にはどう説明すんだゴラァ」
という批判が来るのは想定済み。

じゃあどうするか…



「そうだ、アンダーグループを作ろう!」



これがけやき坂(=日向坂)の始まりです。
要するに、育成枠として加入させるなら「不正加入じゃないか」という批判もかわせるだろうと運営は踏んだわけです。

しかし、育成枠(野球で言えば二軍)が一人という訳にもいきません。そこで募集されたのが、けやき坂1期生(=今の日向坂1期生)なんです。

よって、運営からしてみれば「長濱ねるとその他」という認識で始めたグループというのは紛れもない事実ですし、そうした運営側と接する機会の多いメンバーがそう感じたのも事実でしょう。
それをガヤがとやかく言うもんではありません。

オタク側の認識は三者三様なので後述します






・けやき坂メンバーはアンダーとして加入したのだから、ある程度の不遇は致し方ないのでは


→募集時と活動時の内容に開きがあるため、一概にその理論で切り捨てられるものではない



先述したように、けやき坂1期生は「欅坂のアンダーグループ」として募集がかけられました。そこで彼女らが思い浮かべたのは、間違いなく、姉妹グループであった"乃木坂のアンダーグループ"なはずです。

では、その乃木坂のアンダーとは?
・選抜に選ばれたら昇格できる
・シングルには参加させて貰える
・冠番組にはたまに出演できる
・ライブにもちょこっと出られる

下の3つは"けやき坂"でも出来たことですが、一番上の「選抜に選ばれたら昇格できる」は、残念ながら欅坂とけやき坂の間で実現されることはありませんでした。

ですから一概にして、「いや募集時にそんなこと分かってたよね?」と切り捨てることは出来ないでしょう。
まぁ、"日向坂への改名"が一番上のことに該当するのかもしれませんがね。







・ライブとか冠番組にも出させてやったのに


→それは当たり前です



上にも書きましたが、アンダーグループとして募集された集団が、ライブにちょこっと出演したり、冠番組に時たま出るのは当たり前の事です。
それに文句があるなら、募集の段階からケチをつけないと論理の整合性が取れません。恩着せがましいの極みです。





・でもけやき坂二期生は分かった上で、自分から進んで加入したんだから文句ないよね


→それはそうです



これは確かにその通りで、けやき坂二期生は「欅坂とは入れ替えのない、だけど読みは同じの謎立場グループけやき坂46」に自ら進んで加入したメンバーたちです。

ただ、私の知る限り、けやき坂(=日向坂)の二期生が「いやぁあの頃は大変でね、不遇の極みでしたわ」と語ったケースは無いのではありませんか。
こういうのをストローマン論法といいます。




・欅坂オタクはひらがなを冷たくあしらった


→オタクの態度は三者三様なので一概にどうこうと言える問題ではない



こちらは日向坂のオタクがよく言っていますが、それはオタクによるとしか言えないでしょう。

確かに、ひらがながライブでパフォーマンスしている際に「スマホタイムきた」とか言うしょうもないオタクがいたのは事実ですし、今の欅オタクを見てても何となく想像がつくでしょう。

ただ、欅坂とセットという形ではあれ、応援している人が多かったのも事実です。そういう人たちからしてみれば、「けやき坂の頃はオタクも冷たいし、出番は少ないし…」とあの頃の全てを否定されるのは悲しいものです。





・欅坂とけやき坂の人気は天と地だった


→けやき坂初期ではそうだったが、けやき坂に二期生が加入してからはそこまでの差は無かった



けやき坂時代がいかに不遇であったかを強調する為に、ガラガラになった握手レーンの画像とセットでよく言われますが、これもまた部分的に正しく部分的に間違っています。

最初期こそ、けやき坂の人気はポテンシャル以上に低いものでしたが、人気はジワジワと広がっていき、けやき坂二期生が加入する頃には欅坂と遜色ないレベルに達していました。
(あくまで握手とかの売上ね)

もちろん外向けの知名度は皆無でしたから、そうした指標で測るならばこれは正しいですが、アイドルの主要な顧客層であるオタクからの人気にそこまでの明確な差は無かったと断言できます。
そしてこうした地道なオタクの拡大が、日向坂成功の礎になったことは言うまでもありません。




・けやき坂は握手奴隷だったじゃないか


→それはそうですが、あの頃の欅坂は言ってしまえば平手以外の全員が握手奴隷でした



「欅坂とけやき坂の人気に最終的な差は無かった」となると、今度はけやき坂が握手奴隷だったという方向へ議論が進みます。
すなわち、握手券としてのCD売上に貢献しているのに、その恩恵を全て欅坂というグループに吸われていたという話です。

しかし、言い方は悪いですが、あの頃の欅坂及びけやき坂メンバーの知名度は「平手>>>>>その他」であったのは誰もが認めるところでしょう。
そしてその平手さんは握手会に参加していなかったわけですから、けやき坂だけが握手奴隷だったとは言い切れない部分があります。

そしてこれまた言い方は悪いですが、賞賛と批判の板挟みにあった欅坂というグループの影で、地道な勢力の拡大に努められたことは、結果として良い影響を日向坂へもたらしたのではないでしょうか。
これ以上は言いませんが。





・そもそも最初がZeep公演だから不遇じゃない


→不遇の基準をどこに設定するかの問題



日向坂(ひらがなけやき)が不遇であったかという議論の際、それは大抵「秋元康プロデュースの坂道グループにも関わらず」という枕詞が入っているかどうか不明瞭なまま行われます。

これをしっかりとどちらかに設定しないと、議論は永遠に平行線です。そしてその設定は大抵自分たちの都合が良いように設定されますから、当たり前のようにただただ対立を生みます。

『困窮するドクター 年収400万も…』
っていう記事に、「年収400万で暮らしてる人もいますけど?」っていうコメントしてる人いたら頭おかしいと思いますよね。そういう事です。




・ってかいつまで不遇アピールしてるの


→大抵はひらがなけやきの歴史を語ってるだけですから、欅坂と絡めて批判するのはやめましょう。もう完全な別グループなのですから



日向坂の歴史を知らない人に説明する上で、ひらがなけやきの話は素っ飛ばせませんから、これからも定期的にこうした話題は出てくるでしょう。
それに対して「欅坂の名前を汚すのか」といちいち反論するのはお門違いです。それにもう、欅坂の名前も無くなりますからね。










おわりに



「結局ひらがなけやきは不遇だったのか」


私がこの質問に答えるとするならば

「運営の誤った判断で不明瞭な立場に置かれたけやき坂46のメンバーには同情する他なく、そこで3年間を過ごした想いの丈は、当人でない我々が量る立場にない。一方で、欅坂との関係性によって今日の目覚ましいグループの発展があることもまた事実であり、けやき坂として過ごした3年間が"不遇"の一言で片付けられるものではないと信じている」

です。



というか、メンバー以外でこの問題に触れてる奴は皆アホやと思います。私含めて。



………………


そういえば前にもどっかに書きましたが、私の主張は超過激な欅共和国信者という立場に基づくものですので悪しからず。

櫻坂と日向坂による二族協和・櫻向一体
そういう精神でやってますのでね。

本来争うべき相手は乃木坂ですよ(違う)






以上