このタイトルは、山田太一先生の小説「飛ぶ夢をしばらく見ない」に対するオマージュです。

 

異人たちとの夏」「遠くの声を捜して」と合わせて「ファンタジー3部作」と呼ばれています。

 

ここでは内容には触れませんが、いずれもステキな作品なので、読んでみていただけると嬉しいです。でも、「3ラーメン」くらいのチカラが必要ですね。

 

以下、自分の夢に関してつらつらと書いていきます。

 

自分のためのメモのようなものですので、他の方が読んでも面白くないと思いますので、予め。

 

 

良く見る類の夢というのが何種類かあります。

 

ひとつは、単位が足りずにまだ大学を正しく卒業できていない、というものです。

 

就職して社会人にはなったものの、単位が足りていなかったため、その単位を取るために大学に授業を受けに行かなければならないが、今から行ってもどうせ間に合わない。どうしよう。という感じの夢です。

 

暫く授業にも出ていなかったので、流石に何回かは出て試験に備えなければならないのですが、どんな学科かだったかすらも覚えていません。一般教養的な授業である、というイメージは何となくあります。

 

そして、どうしようどうしようでやがて眼が覚める訳ですが、「単位が足りず卒業出来ていない」という感覚はしばらくホンモノのように残ります。

 

実際には、ぎりぎり足りるようになんとか単位を取って卒業したのですが、どうやって取ったのかを覚えておらず、「危なかった(危ない)」という印象だけが残っているので、繰り返し夢に見るのではないかと思います。

 

また、トイレに行きたいけれど、適当なトイレが見つからない、という夢も良く見ます。

 

デパートとかショッピングセンターとか、建物の中でトイレを探すのですが、個室は一杯になっていて、やむなく他の場所を探すものの、外から見えるようなオープンなトイレしかなく、適当なトイレを探して放浪する夢です。

 

いい感じのところが見つからないまま、イヤなエンディングを迎えたりして、目が覚めます。案外、実際には便意を催していなかったりもします。

 

一度、親戚の披露宴に出るために地方の結婚式場に行った時に、和式のトイレしか無くて、非常に難儀したことがトラウマになっているのかも知れません。

 

タイトルの通り、飛ぶ夢もたまに見ます。

 

両手を広げて風に乗ることで、ふわっと浮き上がって空を飛べるのです。高いところからダイブしてそのまま、空中をゆるやかに漂うような場合もあります。

 

夢の中では、それが出来て当たり前だと思っています。うまく風に乗れると、結構高いところまで浮き上がれますが、いざ飛ぼうとしても、ふわっと浮遊するものの、すぐに地面に降りてしまい、うまく飛べなくなることで目が覚めたりします。

 

不思議なのは、高所恐怖症なので、それに近い体験などはしたことが無いのに、その時は当たり前のように空を飛んでいて、それなりにリアルな景色が見えたりすることです。

 

似たような不思議さを感じるのは、会ったことも無い人に夢の中で会ったりすることです。

 

私はたまに夢の中で、「あれ?これ、夢なんじゃね?」と思うことがあります。

 

そして、いろいろなものの細かい部分を見てみようとします。すれ違う人の顔や衣服だったりする時もあるのですが、たいてい「おかしい。夢だったらこんなにはっきり見えるはずがない。」と感じるのです。

 

それでも、そういう夢を見る時は、覚醒に近づいている時だったりしますので、だんだんディテールが怪しくなって、「ああ。やはり夢だった。」と気付いて起きたりします。

 

夢の中で転んだり倒れたりすると、ビクッ!となって起きるのは、共通の感覚を持った人が多いのではないかと思いますが、殺される夢を見ることもあって、その時は不思議なことに殺されても目が覚めることはあまりありません。

 

お腹を刺されたり、頭を撃たれたりして死んでいるのですが、「死んでいる」という意識があるまま夢を見ているのです。

 

夢の中でも、現実ほどでは無いものの、痛みもあって、起きた後もその痛みがかすかに残っている、という方も多いと思います。

 

何かから逃げるために走らなければいけないのに、足に力が入らずうまく走れない、という夢も一般的だったりするのでしょうか。

 

そして、夢には、当然色もありますし、味もあります。

 

中学生のころに、まだ飲んだことのない缶入りの「カロリーメイト」を飲む夢を見て、想像していた通りの味だったことを良く覚えています。

 

高校生のころは、金縛りのような夢を良く見ました。

 

ベッドで寝ていて、目が覚めているものの、手足が動かず起きることができない、というものです。

 

場合によっては、体の上に誰かが乗っているような感覚があったり、両手をぎゅっと掴まれて引っ張られるような感覚があったりもするのですが、声を出そうとしても出ません。

 

当時は金縛りだと思っていたのですが、今考えると、成長期特有の身体的な反応で、夢の中でもちょっと特殊な夢だったのだろうと考えています。

 

金縛りにあって、それが解けてようやく目が覚めた、という夢も何度か見ましたし。

 

小学生のころの初恋の女性に久し振りに会う、という夢もたまに見ます。

 

相手も若いイメージしかないので、自分も若い設定になっている場合が多いのですが、夢の中だとそれを普通に受け入れてしまっていることもすごく不思議です。

 

その夢を見て起きた後は、会えて良かったという印象と、ああやっぱりまた夢だったのか、というがっかり感とが共存した感覚が残ります。

 

コロナワクチンの2回目の接種を受けたあとは、39度くらいの熱が出ました。

 

普通に風邪を引いて熱が出る時も同じなのですが、熱がある時というのは、物凄く荒唐無稽な夢を見ます。

 

自分が、映画やテレビドラマの主人公になっていたり、現実とはかけ離れているのですが、実はそれが本当のことである、という感情がすごく強く残るのです。

 

目が覚めた後も、「今のは夢だったけれど、おれは○○〇なんだよな。」みたいな感覚がしばらく残ってしまい、夢の中から抜け出せなかったりします。

 

二度寝をした時もヘンな夢を見る傾向がありますね。

 

熱が出た時ほど荒唐無稽ではないものの、ヘンに出来上がったストーリーがあって、いろいろすったもんだしたり。

 

しかも、2部構成になっていたりして、2時間ものの夢を2本見たつもりなのに、実は1時間くらいしか寝ていなかったり。

 

自分がまだ結婚しておらず、子供もおらず、実家に親と一緒に暮らしている、という夢もたまに見ます。

 

これは、現実にはあまりいい記憶が無いことから、起きた後「イヤな夢だった」と感じます。

 

夢全般に不思議に思うのは、「なんであんなにリアルなんだろう?」ということです。

 

まるで、どこかに夢の舞台があって、眠って夢を見ている間は、精神がそこに移動して舞台のひと役を演じているのではないか、と思ったりします。

 

だから、会ったことも無い人も出演してるんだろうなー、なんて。

 

それと、夢自体の話ではないのですが、眠れない時に自分を眠りに誘うコツのようなものがあります。

 

日中、イヤなことがあったり、気になることがあったりして、寝る時にもどうしてもそのことを考えてしまい、眠れないことがあります。

 

イヤなことでなくても、何かを考えてしまって、それが気になって眠れなくなってしまったりもします。

 

そんな時、頭の中を攪拌して、筋道立った思考をしないように、自分をコントロールするのです。

 

何か普通に考えてしまいそうになったら、それを掻き回して発散させ、混沌とした思考にするのです。

 

そして、頭の中から、自分とは別の誰か声が聞こえてきたり、音楽のようなものが聞こえてきたり、映像が見えてきたりしたら、それに身を任せることで、そのまま夢の世界に誘われる、というものです。

 

こういう感覚って、他の人と共有できるものなのだろうか?と思ったりします。

 

実は、ついこの間、旅先で、もの凄くヘンで、なんでこんな夢を見たんだろう?と感じるような夢を見ました。

 

落語の稽古を受けていて、自分がやる番になるのだけれど、以前にやったことがあるネタをやろうとするものの、うまく思い出せない、というものです。

 

パソコンが無かったので、文章に書き残したりすることは出来なかったのですが、出来るだけ細かく書き残しておいたら面白いだろうなあ、と思ったりしました。

 

今後、印象的な夢を見た場合は、普段のブログとは別に、このブログの下に付ける形で、夢のストーリーを記録しておこうかと思っています。

 

おしまい

 

https://twitter.com/user_sup/