令和2年1月25日新月*古事記の学びから。 | 開運*招福Kyotoレシピ*いつも心に御神仏を*〜classy-angelique-style〜

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日々の暮らしの中にみつけた大切なkoto
幸せは自分の中に種を蒔き育み育てるmono
日々の豊かな暮らしを重ねるコツをお伝えしてまいります。
*真言宗密教僧阿闍梨
*修験道
*鎮宅霊符師
*密教宿曜占星術
*四柱推命
*易断
【神様*絵本 大祓祝詞】


1月中に12月くらいに終了するような
学びを設定したいと思い
選んだのが【古事記】と【伊勢神道】でした。

選ぶにあたっては
これまた様々な御験がありました。
これは手に取らないと始まらない。
始まりはいつだってそうです。


伊勢神道には。古事記には。
何が書かれているのか。その教えは何なのか?
それを、知りたいと思いました。


日々、神仏に親しむにつれて
不思議に感じることが多々あるわけです。
その事象に答えはあるのか?
ヒントはあるのか?

神様の絵本を書くにあたり
正しい知識を持って書きたいと思う気持ちもあります。


そもそも
私が受け取る神仏からのメッセージや験は
本物なんだろうか。
見たい聞きたいことを、
無意識に
自分で作り出しているだけでは無いだろうか?

何故自分はこんなにも恵まれていて
幸せなのだろうか?

神道と仏教の互換性はアリなのだろうか?
神仏習合とはいえ、
大国主命を大黒天と同一視して
互いにどう思っているのだろうか?
宗像三女神は、辨財天と同一視されるが、
流石に無理はないだろうか?

七福神は八福神になっても文句は出ないのだろうか?

御魂分けされ過ぎて、8万神社もあるが
こっちの福徳稲荷さんと
あっちの福徳稲荷さんは同一なの?別格なの?
こっちの福徳稲荷さんの稲魂さまと
あっちの宇迦之御魂さんは同一なの?別格なの?


天照大御神は男性神様ではないのか?

○○神社の御祭神は天照大御神だという事だか、
何故に琵琶を持っているのか?
どうみても辨天さまじゃないか?
宮司さんは自分の仕える神様が誰なのか
本当に見えているのだろうか?
伝承は正しいのか?

仏教の般若心経や観音経に出てくる文言や教えが
神道の教えに似ているのは?

日本人は無宗教と言われるが
無宗教どころか、多種多様教ではないのか?

などなど
ざっと書き出すだけでこんなに
思うところがあるわけです。


昨年は大渓水先生の風水を学んで
マクロ的な疑問は解決しました。
なるほど納得!と思うことばかりで
その学びは今も活かし続ける事ができています。
何故神社はそこにあるのか。
日本だけが一度も途切れることなく脈々と続く
皇紀をもつのは何故なのか。
答えはあります。

さらに今年はミクロ的に
その【神様】とはなんぞや?
日本人にとっての【神仏】とはいったいなんぞや?
という根幹について学びたいと思いました。



さて。

今日が
古事記についての勉強会第一回だったわけですが、
1回目にその全ての答えについて学びました。
びっくり
12月までまだまだ先があるのに
答え合わせ終わりました。

え。
先生…。
こんな大盤振る舞いいいんですか!?!



バラバラの疑問かと思いきや、
結局つまるところは一つなのです。

その答えが古事記序文。
天照大御神宣託にあるのです。

びっくり!


でも。
古事記の一行一行。
一文言一文言に込められたのは、
遥かいにしえの時代から、今を生きる私たちに
絶えることなく送り続けらているメッセージ。

そのメッセージを読み解く力。
言祝ぎ。祓い。

まだまだ奥の深い【古事記】
今から次回の勉強会が楽しみです。


✼ •• ┈心神┈ •• ✼  
ひとは乃ち天の下の神物なり、須く静謐を掌るべし。
心は乃ち神明の主たり、心神を痛ましむる莫れ。
神は垂るるに、祈祷を以て先と為なし、
冥は加はふるに正直を以て本と為なす。


神道五部書
宝基本記
より

ひとは神と同じ
自らの心に神は住んでいるのだから
絶対に我欲によって心の神を傷つけてはならない。

小野 善一郎先生著より。

【本日の学びより】
古事記こそが古伝のままに記された文献
だからこそ神の神々と同じ視点に立ち解読すること。
また、人は心の中に神を宿しているのだから、
素直で素朴な心で言葉を感じることのできる
視座を保つことができるはずである。

神代はすでに私たちの心の中に
神様から分け与えられている。
それを体感するかどうか。



[一即多、多即一]
[一即一切、一切一即]

一緒くたなんだなぁ。