首痛限界!赤星33歳で電撃引退 球団の勧告受け入れた(スポーツ報知)
【赤星・独占手記】「ファンのみなさま、ごめんなさい」(スポニチ)
涙が出る暇もなかった…。「引退」の文字が頭に浮かんできてから約1カ月。33年間生きてきた中で一番つらくて苦しい1カ月だった。いろいろなことを考えた。1日、1日で気持ちが変わっていた。きょうは“絶対にやってやる”と思っていても、次の日は不安になって“辞めようかな”とか…。今までいろいろ野球で悩んだこともあった。つらいこともたくさんあったけど、33年間生きてきた中で、これだけ悩んだことも初めてだった。最終的に「引退」という結論を出しました。
自分の中で野球を続けることがベスト。ただケガをした際に医師からは今度、同じようなことが起こったら不随や呼吸不全を発症して死に至る可能性もあると言われました。その中で最終的な決断に至った理由としては、やっぱり将来的なことを考えるようになってからですかね。身を引くことは仕方ない…とね。
僕はプロ野球の世界に飛び込むときに今の力では通用しないと思っていた。みんな体も大きいし、強い。その彼らが100%の力を出してしまえば、全く太刀打ちできない。144試合トータルで考えると、70%ぐらいの力を持続することがプロとして大事。そういう中で僕はみんなが70%の力を出しているときに必ず、それ以上の力、80%から100%の力を出し続けなければ、彼らより上回ることはできないと思い続けてきた。
でも、このケガを今後も背負いながら80%から100%のプレーができるのか?恐怖心もある。復活したとしてもブランクがある。みんなと同じように70%の力が出せるなら、経験と技術でカバーできるかもしれない。でも50%ぐらいの力しか出せないならアスリートとしてグラウンドに立つべきではないと思った。僕のプレーを見て“赤星選手みたいになりたい”と思ってくれている人もいるだろうし。それが僕らの仕事だと思う。今まで通りのプレーができる自信が正直なかった。ファンのみなさま、ごめんなさい。そして応援ありがとうございました。
赤星33歳引退 脊髄損傷で死の恐怖と闘い(nikkansports)
初めて首痛で欠場したのは07年4月14日のことだ。16日には頚椎(けいつい)椎間板ヘルニアと診断された。激しいプレーの連続にダメージは蓄積されてきたが、引退に直結したのは9月12日横浜戦だった。中堅の守備でダイブした際、再び首を負傷。「倒れた時は両足が動かなくて倒れたままボールが投げ返されるのを見た。このまま戻らないんじゃないかと思った」。仲間に抱え起こされても、足はふらついたままだった。
背負ってしまった「中心性脊髄(せきずい)損傷」は、プロ野球のトップ選手として完全回復するには重いハードルだった。効能で有名な秋田県の玉川温泉を訪れ、温泉治療を試みた。日本全国の著名な病院で診断。極秘で渡米し、米国の病院でも判断を仰いだ。しかし医師の言葉が変わることはなかった。
10月末に初めて沼沢球団本部長が現役引退を勧めた。赤星は「最後の最後まで現役を続けたい、1年でも長く(回復の)様子をみたい」と返事した。ストレートな赤星の思いと、今後の人生まで考慮した球団の決断のせめぎ合いは1カ月続いた。11月28日、南球団社長が直々の説得。回答を保留した赤星だが、12月3日に引退を受け入れた。
仲間には8日に電話で決断を伝えた。ほとんどが絶句し、驚き、「もう1度話し合おう」と翻意さえ促した。ただ事前に遠回しに伝えた金本からは「そうか。そういうふうにしたんだな」と言われた。
やっとジレンマから解放される。今も腕にしびれが残る。この日の会見では「実感がわかない」と10度以上言った。「野球をやっている時はしたいことを考えなかった。野球以外のこともやってみたいし、機会があれば将来的に経験を生かして(指導者に)と思う。ただ今の状態では無理。体を治したい」。決断を下したレッドスターは静かに羽根を休める。
こんなに遅い時期に発表。。
本当にびっくりで、
信じられません。
でもどれだけ悩んで、
苦しんで決めたかが伝わってきて、
胸が痛くなります。。
どうしてこんな結末。。
野球の神様なんて、
きっといないんでしょうね。。


