相当久しい更新、需要も供給もない文章を打つのには理由がある。

暇。

手持ち無沙汰とはこのことである。
暇なんだ暇なんだ暇なんだ。

やることがないわけでもないし
かといってやらなければならないことはない。
だからこそ私はここで暇人をしているのであるわけで。

さぁてこの方々が終わり次第、私は楽器を弾きます。
コントラバス、愛器の名前は「黒太郎」。ただ来年次にはどうせ変わる運命。
いろんな楽器に手を出せるのは、良い経験ではないか。


なんの意味もない文章を徒然なるままに書き込んでいるわけだ。
無意味を有意味に変える方法があるのならば、私におしえてほしいものだ。

なんだかんだいって、
たくさん殻は破った気がします。

恥ずかしくてお願いできなかった添削、
初めての「不合格」、妥協も覚えたし、挫折も知って、それからそれから。

あんまし破ってないかもしれません。
…とにもかくにも、プライドの塊、からプライドの断片、ぐらいまでは落ち着いたのではないでしょうか。

さぁてあとひとふんばり。頑張りますよ。

まだまだ子どもだ、という言い訳がそろそろ通用しなくなる、この頃です。
そろそろ私は責任を負って社会に出ていかなきゃならないわけで。


できんのかなあ。
とりあえず今は勉強しよう。と思います。

受験生、後期の残る私には、たくさん「やらなければいけないこと」があります。
それは例えば英文読解で、例えば無機化学の暗記で、例えば例えば。
わかっているのか。それすら分かりません。だけど、少なくとも、それは、こうしてだらだら文書を書いていることではないということはわかっています。

わかっています。
だったらなんで腰をあげないんでしょう。あげられないなんてことはあり得ない。
ただ、なんか全部抜けちゃったような気がするんですよね。大事なもん全部土曜日においてきちゃった気が。

あー駄目駄目駄目、

もう駄目だ!打ちのめされた!
そここそが私の始まり、だということにしましょう。

さて今日はもう寝ます。寝て、それから明日は早く学校に行こう。それで、たくさん学ぼうと思います。



おやすみなさい。

たまには、真面目に何かを言いたくなったのですが。
私は薄っぺらい人生を送って来ました。誰かに誇れることとか、胸張って主張できることとか、ないです。
無い中、必死に探した結論です。


厭な事をいやだ、と言えるのは、嫌われるのが怖くない人か、嫌われないと信じてる人か、そんなの関係なしにそういうふうに育ってきた人だと思います。
日本人だから、とかそんなステレオタイプなこと言いたくないけど、確かにこの国は、そう子供を育てるらしい。
必要以上に空気を読ませる。というか、恥をかきたくないのは親じゃないかな。
親のせいにしたいのは否定しません。私が謝れないのは親が私に謝る姿を見せてこなかったから。親を見て育つ、そう信じたから私はそう言い訳をします。

でも、そうじゃない。
メディアリテラシーが叫ばれるようになって、国語教員が彼女の考えと恐怖を述べたときに、知ったこと。
親もひとつのメディアなのかも。生まれたての、社会性をもたない子供の、唯一のメディア、それが親。真偽なんて判断しない子供の、唯一で絶対のメディア、それが親。
親子が似るのは、遺伝的要因じゃない。人間になる前の無形な子供の、人間の手本が親だから似るんだ。

親が拒絶を示すとき、子供は学びます。反面教師にもなり得る、そうわかってて行動できるひとは多くないのではないでしょうか。
そうやって私は否定することを肯定出来ずに今ここに至ります。


厭な事をいやだと言えるちからを。
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前夜祭。
明日は学校にたどり着けますように。

あと二日!
辛くもないし面倒でもない、と言い聞かせて何日目でしょうか。
解放はされないけど、ひとつ大きな重荷が下りるのだから、頑張ろう。せめてそこまで。

古本市に行った。

いっぱいありすぎて無理だった。

家族が職場の話をしている。
面白い。


一番上は、異動のおじさんの話、
二番目は、バイトさんの話。

面白い。
ここまで不満を笑い話に出来るのは才能だろうな。


学んだこと。

言い訳しない。

ありがとうとごめんなさいは言えるようになろう。

某の弟は、
某の弟であって某ではない。


のに、某の名は強烈すぎて、
某は某の弟の分まで苦しまなければならない。


誰が悪い。
某か。某の弟か。

それとも「某の弟」と報道するマスコミか。




罪の在処は一カ所なのに。
気付かない人が多すぎる。