わたしは過食嘔吐
過食嘔吐とは、もう40年のおつきあい。さっきもひと吐きしてきました。すっきり♪今日のお供はロング缶2本と、持ち帰りお寿司2人前。大トロとかウニとか真鯛とか3500円分。紅白の鉄火巻おしゃれだったな。でも、消化前にトイレに流しちゃってごめんなさい。手の甲の吐きだこはなし。40年ですっかり皮膚が丈夫になったのかな?今や肌質はすっかりほかのパーツと同じ薄くて滑らか、ただし一番歯が当たるところが白斑になっているだけ。吐いたら痩せるって思うのは間違いで、食べたものを完全に吐き出すには時間がかかるし、歯と肌に影響がある、あと時間かけると顔がむくんでエラ張りの丸顔になっちゃうのを学習しているので、私は3回のえずきで吐けなかった分は諦めるようにしている。ずっとトイレにいると怪しまれちゃうしね…。ってことで、今の私は小太りな、おばさんあるある体形。ぱっとみてとても健康。一番骨粗鬆症になりにくいBMIだし。たぶんもう人にはバレずに一生を終えられるだろうな。最初のきっかけはなんだっただろう…小学高学年から中学前半が最初だったような気がするけれども。家の近くにできたカフェ、あのころはいっしょくたにレストランと呼ばれていたっけ。そこの料理がやたらに大盛りで、パフェとか顔2個分くらいの高さとか。イタトマのおっきなケーキとかが流行しはじめてた頃の亜流ぽいお店だった。専業主婦の母親が、たまの外食が好きで連れていってもらった、そこでのトイレが一番最初だったかな。アイスと生クリームって手がさほど汚れずに、ころっとがふっと吐き出せて、そのあとすっきりした気分でテーブルに戻って再度食べ始めた記憶が残っている。普段の母親が作る料理はとてもおいしかった。ただし量がハンパなく、食べないと「なんで残す!」と責められた。父親がガテン系職業だったのでその量だったのだろうが、子供も大人と同じ量を食べねばならなかった。母親にとって、自分の作る料理だけがレゾンデートルだったのだろうな。外食もしかりで、自分が提供したものを食べないってことは自分を否定されることと同一だったのだろう。今ならそう思えるが、上手に彼女の気持ちをかわせなかった結果、私はどんどん太っていった。小学5年で53キロ、中学3年で58キロ、高校で63キロ、一人暮らしを始めたらやっと52キロ、でも2年で実家に戻ったら食え食え攻撃でリバウンド最大69キロ。もう女じゃなくて肉塊だった。リバウンド時はまだジュリアナ時代。一人暮らし時は一気に痩せて、それから普通にディスコやクラブやら行けてた自分が、嘘のようなデブ女に戻ってしまったことがショックで、外食時だけだった食べ吐きが自宅でも始まってしまった。仕事帰りにコンビニに寄って、安い菓子パンをメインに買い込む。加えて、食道と胃にみっちり詰まる菓子パンを吐き出しやすくするため、ポテチとか揚げ物とか荒い食感のもの、それに吐き出しやすくておなかも膨れる炭酸やビールを買い込み帰宅。自室に持ち込み、母親の出す食事をたいらげてから、自室でそれらを詰め込む。15分くらいしたらトイレで吐く。そんな生活を毎晩やってた。折しもそのころ、好きだった先輩に失恋。相手は、会社の出世しそうな男性をほぼくわえ込み、対象が異動するとすぐ次を捕まえる、ヘビのようにしっとりとした質感を持つ1歳上の同期だった。私と正反対。フェロモンいっぱいの目がうっとりとした、ちょっと天然発言が男ウケする感じの唇にホクロがある人だったな…。先輩の車がその子のアパートに一晩停まっていた時の衝撃と絶望はいまでも忘れない。片思いしてたころは55キロだった体重もあっという間に増えた。泣き叫ぶ代わりに食べ吐きをするみっともないデブに情けをかけてくれる人もなく、過食嘔吐はひどくなるばかり。1回に洗面器2杯分とか楽勝だった。すごいな、あのころの人間ポンプ状態。その過食嘔吐がバレなければよかったのだが…悪しくも自宅の下水道はまだ整備されていなく、各戸で浄化槽を設置し、定期的にバキュームカーがくみ取りにくる環境だった。ある日仕事から帰ったら、「バクテリアが死んでるって言われたけど!(怒)」食べ吐きでトイレに流してるのがバレてしまった。結果、うつ病に。家族に黙って精神病院に通った。1年半。でも治らなかった。食べたもの日記を書きなさい、と当時の医師に言われたが全然効果はなく、臨床心理士の検査も結果を知っているものばかりで、答えを予想して回答するもんだから、そりゃ全然治らないわなあ。職場にいるのも辛くて、副業の後、転職することにした。(そのうち つづく)