子どもの頃の初恋の話 1
1977年(昭和52年)(国立西多賀病院入院中)小学5年生の時からのお話、一つ上のとてもかわいい人が好きになり、その人が退院するとき、ラブレターを書いて渡した。彼女は、ちゃんと手紙で返事をくれた。手紙には、他に好きな人がいるので、お付き合いはできませんと、書かれていた。その好きな相手というのは、彼女の同級生で、私と同じ病室に入院していた人だった。私の印象では、乱暴で、汚くて、下品で、何故彼女が、こんな男を好きだと思っているのか、理解できなかった。私がそうして見下しているような相手から、恋愛では完全に負けていたことだけは、認めざるを得なかった。その手紙になんと返事を書いたのか覚えていないのだが、たぶん、「分かりました、お手紙ありがとうございました」とでも送ったのだろう。それで終わるはずの関係だったが、その後も彼女からの手紙が届くようになり、他の男を好きだと言ってる相手と、何故か文通するようになってしまった。当時は、連絡の手段と言えば、手紙を書くことぐらいしかなかったのだ。それと「文通」というものが流行っていて、いろんな雑誌に、文通したいという人が、自己紹介文と共に自分の住所と名前をそのまま載せていたような時代の話だ。その年のクリスマスの時だったか、彼女から黄緑色のマフラーが送られてきた。そもそも、女性から物をもらうのも初めてだったし、それが手編みのマフラーとなると、喜んでいいやら、どう受け止めていいやら、とても悩ましい状態になってしまった。親も含めて、周りの人たちからの冷やかしは、すごいものだった。私自身も、もしかして、何か彼女の想いが、少し変わってきたのかと思い始めてしまった。その後も、しばらく手紙のやり取りをしていたのだが、ある時、封筒の中に、彼女の友達が書いた手紙も同封されてきた。要約すると、その友達が、私と文通をしたがってるので、友達になってもらえないかということだった。つまりは、私が書いていた手紙を、その友達にも読ませていたということになる。なんとも複雑な気持ちになったが、無碍にもできないので、その友達あての手紙と、二種類の手紙を返事に送った。当時の私は、自分でいうのもおかしいのだけど、いわゆる優しい(優柔不断)な人間だったのだ。そのうち、彼女の友達からしか手紙が届かなくなり、私自身は、会ったこともない人と、何の話をしたらいいのかもわからず、だんだんと返事を書かなくなってしまった。こうして、私の始まってもいなかった初恋は、黄緑色のマフラーを残したまま、自然消滅してしまった。そして、小学校6年生になり、また、人を好きになった。