竹嶋 しょうこです。
昨日は半年越しの、いやそれ以上の想いを載せて
出かけた一日でした。
長女が亡くなった年
臨床心理士の先生にひたすら聴いてもらうカウンセリングを継続的に受けて
自分ではどうしようもなかった
絶望感と激しい怒りをだいぶ吐き出せた私に
次に湧いてきたのは
「誰かとこの気持ちを分かち合いたい」
という想いでした。
四十九日法要の後
短い時間でもいいから、悲しみから逃れたくて
それと同時に
これからのために自分をどうにかしたくて
本やいろいろな人のHPを一日中読んで
たどり着いたのが月の光の会でした。
初めてHPを見て、主催の荒川さんの
月明かりのような優しい、優しい言葉に
強く惹かれたものの
これ以上傷ついたら生きていけないという防衛反応からか
実際に名古屋に行けた日は数カ月後でした。
初めて荒川さんに会に行きたいとメールをした時に
「今日までよく生きてくださいましたね」との返事に
「この人ならわかってもらえる」と涙が溢れたこと、
実際に新幹線で名古屋まで行くのは当時の私には
精一杯で
(体力的というより、小さい子どもを見ると長女を思い出し、大きい子には、長女はもうこうなれないんだと失った未来を悲しんでいました)。
でも、静かな部屋で初めての方たちの前でも
「泣いてもいいんだ」と長女のことを話せたこと、
いつも一緒だと思いたくて思わず持ってきた
長女の写真を
「かわいい子だね」と皆さんが当たり前のように
見てくれたこと。
そんな一つ一つのことが、誰にでも許された雰囲気で
この世には神も仏もいないんじゃないかと
一度は思った私を優しく受け入れ
涙ぐんだと思ったら、楽しい話題で笑うこともあって
持ち寄ったお菓子を食べながら
思いのままに話せる、肩の力を抜ける居場所ができたのでした。
中には仲良くなった友達と、遠いけれど
お互いの家を行き来したりして
実は自分が生まれ変わりを望んでいるんじゃないかと
新しい命を迎えることへの葛藤や
長女への気持ちが薄らぐんじゃないかという不安も
話すことができて、
なかなか会えないけれど、子どもたちが繋いでくれた
ご縁を感じ、いつも心強かったです。
たくさんの人のおかげと
長女の法要は一周忌までと決めて
一年間がむしゃらに動いた後、
やっと次の子を迎えていいと自分にOKを出せた後
三女がお腹に来てくれて
目の前の子育てと、自分に向き合う時間を過ごして
今回は7年ぶりの会への訪問でした。
100回記念の会もコロナの影響で延期になり
私もまた神様からのお試しにあった感もあっての
やっとの参加で
(また書きますので、よかったら読んでください)
昨日、新幹線に乗って
7年前、名古屋駅に近づいてきた時は
逃げ出したいような気持ちで胃がキュウッて
なったことを思い出しました。
久しぶりにお会いできた懐かしい顔と
今行っている、比較的新しい方といろいろで。
みんな、私も含めて
見た目は普通の一主婦の人が多くて
でも、心の中には悲しみを抱えながら
生きていること。
それは、目には見えないけれど
日が浅い人は特に
大ケガをしながら動いているようなもの。
それでも、動くことで楽になる人も
ゆっくりゆっくり進みたい人も
まだ目の前の出来事に呆然としている人も
それも、人それぞれの歩み。
それを、依存させず
毎月「話したくなったら来てね」と
いつもドアを開けておいてくれる、そんな会を
100回続けてくれた荒川さんに
もっちゃんさん達主催の方たちに
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200928/08/usahana012/9f/36/j/o1080081014826411895.jpg?caw=800)