西宮文学全集。以前から何回か紹介していますが何人かの作家さんが集まってエッセイや日々の出来事、昔話などなどいろんな内容でまさに十人十色の集まりです。
去年から私、向日葵スミレのペンネームで参加させていただいているのですが、今回の震災の被災地にいる数人のお友達からネット環境が戻っていないので、ブログにアップしてほしいと嬉しい言葉をいただきました。
ので、ぼちぼちアップしていこうと思います。

今回は第一話。



「向日葵の種とすみれの蕾」

 1984年9月7日、奈良の田舎で一つのひまわりの種が誕生した。
非常に体は弱くて担当の先生に「10歳まで生きれるかどうか・・・」と言われていたらしい。それから約3ヶ月たって、お母さん向日葵は姿を消した。  子供にはわからないいろんな理由があったのだと思う。  そして、向日葵の種はおばあちゃまスミレの蕾の中で育つことになった。。  でも、種類のちがうお花同士が一緒に暮らすのはとても大変。
だってスミレの何十倍もの背の高さに育つ上に、性格もきっと真反対ですものね。
それでもそれぞれの特性を貰ってできたのが向日葵すみれです。

~初めての家出~
とにかく、家が厳しくお堅いのがかっこ悪く思えてしょうがなかったのです。他にもいろんな感情や出来事はありましたが、その当時も今も、言葉で表現するのは少し難しく思います。今思えばかなり無鉄砲だったのですが、学校の3週間の長期休暇中(真冬)ドラムバッグに必要最低限の荷物を詰め込み、「自分の力でお金を稼いで学校へ戻ります。」という書置きを残して忍び足で家を抜け出し、電車に乗り込みました。当時群馬県の山の高校に在籍していたので、新幹線に乗りやすいようにとりあえず京都へ向かいました。もちろん京都までの片道の切符を買うと何十円しか残らず非常に心細かったのを覚えています。それと同時に「絶対学校までの交通費三万五千円と学校に行ってからの身の回りのものを買うお金を自分で全部稼いでやる!!」と決心していました。でもそんなに簡単にいくはずがなく、どっからどう見ても家出娘の高校生を雇ってくれるとこは見つからず夜がやってきました。もちろん、昨日の夜から何も食べていなく、携帯電話もありません。しょうがなくその日はスーパーの裏のベンチでありったけの服を着て包まって寝ました。 次の日、やはりあてもなく歩いてたどり着いたのは京都、宇治にある万福寺。なぜかここで足が止まり万福寺のちょうど隣にある、割烹のお店に足を踏み入れたのです。一階はおみやげ物屋と軽食、二階は割烹、私には不釣合いなお店でした。出てきた女将さんに「仕事を探しているんです。短期になりますがなんでもやりますので雇ってもらえませんか??」と言うと、「・・・・・??」明らかに不審な目で見つめられて、、「寒そうな顔して、とりあえず奥に入りなさい。あったかいお茶でも入れてあげるから」と見ず知らずの私を事務所へ通してくださいました。
「で??とりあえず聞くけど何歳??」と女将さん、家に連絡される事恐れている私は「18歳です」と1歳さばをよみました。「ん~年齢的には雇えなくはないけど・・・、だいたい家はどこなん??親御さんに連絡するようなことはせ~へんけども、見た感じ寝るとこもなさそうやし・・・」このとき女将さんは興味半分、疑い半分で私を見ていたと思います。。

つづく。。。。

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