ちわーす
今回は中国と台湾、角栄さんの日中国交正常化は間違っていたのではないか?という、日中国交正常化に対する僕の考えを書かせてもらいました。
ま、正確には本記事を投稿する少し前に、角栄さんの日中国交正常化に関する記事をX(Twitter)で発信していたんですよね。
約11回ほどに分けて投稿したのですが、さすがに11個は読みにくかっただろうなと反省し、今回11個のポストをベースに色々と修正した完全版としてブログに投稿してみました。
いっさいふざけず真面目な記事に仕上げたので、よろしければ最後までお付き合いしていただけると幸いでございます。
あっそうそう、画像も付けてちゃんとした記事にしようとしたんだけど、記事にピッタリの良さげものがなかなか見つからなくてあまり貼り付けられなかったんだよね。少し中途半端な記事になってしまってごめんなさい。
ではでは、さっそく始めよう。
~田中角栄の日中国交正常化は、本当に正しかったのか~
「日中国交正常化の瞬間:田中角栄と毛沢東」
ニクソン・ショックや日中国交正常化。当時の空気感を肌で知っている世代ではありませんが、今の日本を取り巻く国際情勢を見るにつけ、僕はどうしてもこう思わざるを得ません。
当時の田中角栄政権による「中国(中華人民共和国)との国交正常化」および「台湾(中華民国)との断交」は、間違いだったのではないか、と。
歴史を振り返れば振り返るほど、日本がいかに冷酷な判断をしたか、そして台湾がいかに気高く、情に厚い国であったかが見えてきます。今回はは、日本という国がかつて台湾に対して何をしたのか、そして今、僕たちがどちらの手を取るべきなのかについて、ブログで語らせていただきます。
中華民国と中華人民共和国
パトリック・ハーリー大使(左)、まだ笑顔で並んでいた頃の蔣介石(中央)と毛沢東(右)
まずは、知らない方もいると思うので、「中華民国(台湾)」と「中華人民共和国(中国)」の歴史について説明させてもらいますね。
たとえるなら、「一つの家(中国大陸)の家督争いをして、負けた兄(中華民国)が本家(本土)から離れ、勝った弟(中華人民共和国)が本家を乗っ取った」という兄弟喧嘩のような歴史です。
わかりやすく3つのステップで解説します。
① 始まりは「中華民国」(1912年~)
清王朝(ラストエンペラーの時代)が倒れた後、1912年に孫文(そんぶん)という人が建国したのが「中華民国」です。これはアジア初の共和国でした。
当時、中国大陸を統治していたのはこの「中華民国」。ただし、建国後すぐに実権は袁世凱(えんせいがい)に移り、国内は軍閥の割拠などで不安定な時期が続きました。
その後、孫文の後継者として蔣介石(しょうかいせき)が国民党のリーダーとなります。
② 内紛、そして日本との戦争(1927年~1945年)
中華民国の内部では、「共産主義」を掲げるグループが反乱を起こします。毛沢東(もうたくとう)率いる「中国共産党」との対立。これが「国共内戦(こっきょうないせん)」です。
政府軍(国民党・蔣介石) vs 反乱軍(共産党・毛沢東)
1937年に日本が侵攻(日中戦争)すると、両者は一時的に「第二次国共合作」を結び、共に日本と戦いましたが、根本的な対立は解消されませんでした。
③ 決着と分裂(1949年)
日本の敗戦後、再び国共内戦が激化。 当初は政府軍(中華民国)が優勢でしたが、政府の腐敗や経済の混乱により民心を失い、農村部の支持を得た共産党が逆転勝利します。
そして1949年、歴史が大きく動きます。
- 共産党(毛沢東): 北京で「中華人民共和国」の建国を宣言。「今日からこっちが本当の中国だ!」と名乗りました。
- 国民党(蔣介石): 大陸での支配を失い、台湾へ政府を移転。約200万人が台湾へ渡り、「いつか大陸を取り戻す(大陸反攻)」という構想を掲げました。
これにより、「中国大陸の中国(共産党)」と「台湾の中国(国民党)」という、いわゆる「二つの中国」が誕生したのでした。
「以徳報怨」:日本を救った3つの恩義
中華民国総統 蔣介石(執務室にて)
第二次世界大戦でアメリカを中心とする連合国に敗れた日本。そんな敗戦直後の日本に対し、中華民国は、ある「恩義」とも言える対応を示しました。ここでは、その歴史的な出来事についてご紹介します。
当時、中華民国の指導者であった蔣介石は、敗戦国である日本に対し「以徳報怨(徳を以て怨みに報いる)」という言葉を残しました。これは単なる綺麗事のスローガンではありません。彼は敗戦直後の日本に対し、国家の存亡に関わるレベルの「3つの恩義」を与えてくれました。
賠償請求権の放棄
もし巨額の賠償金を請求されていたら、戦後の日本の復興はあり得ず、今の経済大国・日本は存在しなかったでしょう。
日本分断統治の反対
ソ連などが主張した「日本を分割して統治する案(北海道はソ連になど)」に対し、あくまで日本の主権と領土の一体性を擁護してくれました。
200万人の無事帰還
中国大陸に残された200万人以上の日本兵と居留民に対し、報復することなく、安全に日本へ帰還できるよう全力で支援してくれました。
本来なら憎んでもおかしくない相手に、これだけの恩義を施してくれた国です。そんな国との国交を、ある日突然、中国共産党との利益のために、国共産党との関係強化のために一方的に断ち切る。これが「恩知らずな裏切り」でなくて何でしょうか。
なぜ日本は台湾を切り捨てたのか? ~「バスに乗り遅れるな」という焦りと欲望~
そもそも、なぜ田中角栄政権は、長年国交を結んでいた台湾との関係を断ち、中華人民共和国との国交正常化に踏み切ったのでしょうか?当時の日本を覆っていたのは、「焦り」と「欲望」という二つの空気でした。
1970年頃まで: アメリカや日本など西側諸国は、「共産主義は敵だ!」という理由で、台湾に逃げた「中華民国」の方を「正統な中国」として扱っていました。 国連の席も中華民国が持っていました。
1971年以降: 「さすがに大陸を支配している方を無視するのは無理があるし、ソ連に対抗するために仲良くしたい」と国際社会の空気が変わりました。
その結果、国連は「中華人民共和国(大陸)」を正統な中国と認め、中華民国(台湾)を国連から追放してしまいました。
この最大のきっかけとなったのが、1971年の「ニクソン・ショック」です。 当時のアメリカ大統領ニクソンが、同盟国である日本に何の話も通さず、電撃的に中国訪問を発表しました。それまで「反共の砦」としてアメリカに従ってきた日本政府は、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けます。

世界を震撼させた『ニクソン・ショック』(1972年2月)。アメリカ大統領と毛沢東のこの握手が、日本の外交方針を根底から覆した
「アメリカが中国と手を組むなら、日本も早く動かないと取り残される!」 「世界の潮流というバスに乗り遅れるな!」
さらに1971年10月の国連総会で中華人民共和国が中国代表権を獲得したことも、日本の外交方針転換に拍車をかけることになります。
メディアも政治家も、一種のパニック状態で「中国ブーム」に湧き上がりました。
そこに拍車をかけたのが、財界(ビジネス界)の「欲望」です。 「8億人の巨大市場が手に入る」「中国との貿易で大儲けできる」という幻想に、多くの日本企業が目がくらみました。恩義や信義よりも、目の前の巨大なマーケット(金)を選んだのです。
しかし、中国側の条件は非情でした。周恩来首相はこう突きつけました。
「中国と国交を結びたいなら、台湾とは断交せよ」
これは周恩来首相が日本に突きつけた条件の一つであり、日中共同声明において日本は「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」と明記しました。
本来なら、「台湾とも仲良くする、お前たちとも付き合う」という毅然とした態度を取るべきでした。しかし、功を焦った田中角栄政権は、中国側の要求を丸呑みし、台湾との正式な関係を断つという「悪魔の契約」にサインしてしまったのです。
それが、後の東アジアにこれほどの禍根を残すことになるとは知らずに……。
椎名特使を襲った「卵と石」:裏切りの現場
1972年、日本は中国(中共)との国交正常化を選び、台湾との外交関係を断ちました。とはいえ、完全に縁を切るわけにはいかず、日本政府は「民間交流」という形で関係を維持する独自の枠組みを模索しました。これが、いわゆる「日本方式」です。
この方式は、正式な国交を持たない相手国と、民間団体を通じて実務的な外交関係を維持するという、当時としては極めて異例のアプローチでした。中国との関係を築きつつも、台湾との絆を完全には断ち切らないという、現実的かつ苦渋の選択だったとも言えます。
この説明のため、当時自民党副総裁だった椎名悦三郎が特使として台湾を訪れました。そこで彼を待っていたのは、裏切られたと感じた台湾市民の激しい怒りの抗議でした。
『日本は友人を売った』『田中の裏切りに反対』。椎名特使を迎えたのは、台湾市民の悲痛な叫びと激しい抗議デモだった
台北の空港から車で移動する椎名特使の車列は、数千人のデモ隊に囲まれ、「背信行為」「恩知らず」と書かれたプラカードが掲げられました。車には卵や石が投げつけられ、ボンネットを叩く音が響いたといいます。当時の台湾市民からすれば、それは「最も信頼していた友人に背中から刺された」ようなものです。
日本の愚かな判断によって切り捨てられた台湾。しかし、ここからが台湾という国の凄みです。蔣介石と台湾政府は、最後まで一国の威厳を保とうとしました。
日本側から正式に「断交」を通告されるその前に、台湾側から先に「中華民国の尊厳を守るため、日本との外交関係を断絶する」と宣言したのです。
これは、「日本に捨てられる」のではなく、「大義なき日本とは、こちらから縁を切る」という、台湾が見せたギリギリの矜持(プライド)でした。
その後、蔣介石は国民にこう呼びかけます。 「処変不驚 慎謀能断(状況の激変に動揺せず、慎重に計画し断固として実行せよ)」
国際社会で孤立無援となった台湾は、ここから歯を食いしばって経済発展へと舵を切り、生き残りをかけた戦いを始めたのでした。
看板は「民間」、中身は「国交以上」
現在、日本と台湾の間には正式な国交はありません。 けれども、その関係性は「国交のある国以上に親密」とも言われるほど、特別で深い絆に支えられています。
日本側には「日本台湾交流協会」、台湾側には「台湾日本関係協会」という組織があり、両者が実務を担っています。 どちらも形式上は民間団体ですが、外交官経験者などが多く在籍し、実質的には大使館のような役割を果たしています。 政治的な断絶を乗り越え、現場レベルでの絆を紡いできた先人たちの努力には頭が下がります。
そんな日台関係の礎を築いた人物のひとりが、台湾の元総統・李登輝(りとうき)さんです。
蒋介石の時代、台湾は国民党による強権的な体制下にありました。 その後を継いだ李登輝さんは、体制の内側から改革を進め、台湾を「総統を国民が直接選ぶ民主国家」へと導きました。 通常、独裁から民主主義への移行には混乱や流血が伴うものですが、李登輝さんは卓越した政治手腕でそれを回避し、「静かな革命」と呼ばれる平和的な民主化を成し遂げたのです。
1999年には、中国と台湾の関係を「特殊な国と国との関係」と定義し、いわゆる「二国論」を提唱しました。 それまでの「一つの中国」論に一石を投じ、「台湾と中国は別の国である」という立場を明確にしたのです。 この発言に中国は激しく反発しましたが、李登輝の姿勢は、現在の台湾人の「自分は中国人ではなく台湾人である」という意識の土台となっています。
「台湾民主化の父」と称される李登輝さんですが、それと同時に「世界で最も日本を愛したリーダー」とも言われています。 彼は日本統治時代の台湾で生まれ、「岩里政男(いわさと まさお)」という日本名を持ち、京都帝国大学(現・京都大学)農学部に進学。 学徒出陣で旧日本陸軍に入隊した経験もあります。
後に彼はこう語っています。
「私は22歳まで日本人だった」 「私の考え方の根本には、日本の教育と武士道がある」
その日本語は、現代の日本人よりも格調高く美しいと評され、新渡戸稲造の『武士道』を座右の銘としていました。 彼が日本を愛したのは、外交辞令ではなく、自らのアイデンティティの一部として深く根づいていたのです。
台湾が親日である理由は、政治的なトップの判断だけではありません。台湾には、日本が残したインフラや技術、そして人々の記憶が、今も台湾の暮らしの中に息づいています。
その象徴的な存在が、土木技師・八田與一(はった よいち)さんです。

台湾の恩人・八田與一の銅像。2017年に像が破壊された際も、台湾の人々はすぐに修復し、溢れんばかりの花で彼を讃えた
戦前、干ばつに苦しんでいた台湾南部に、当時「東洋一」とも称された烏山頭ダムを建設し、不毛の地を豊かな穀倉地帯へと変えました。 徹底した反日教育を行う中国とは対照的に、台湾では今でも彼の命日に慰霊祭が行われ、教科書にも登場する「台湾の恩人」として語り継がれています。
政治判断だけでなく、草の根のレベルでも、台湾はこれほどまでに日本を大切に思ってくれています。
震災とコロナで証明された「善の循環」
台湾との親交で記憶に新しいのが「東日本大震災」です。日本が未曾有の危機に瀕した時、真っ先に手を差し伸べてくれたのは誰だったでしょうか。
人口規模で日本よりはるかに小さい台湾が、いち早く救助隊の派遣を申し出てくれただけでなく、総額200億円を超える義援金を送ってくれました。これは世界中のどの国よりも多い、圧倒的な金額でした。
さらに、その絆は一方通行ではありません。 2020年、コロナ禍で日本中からマスクが消えた時、台湾はいち早く200万枚のマスクを日本に送ってくれました。その翌年、今度は台湾でワクチンが不足した時、日本は即座にワクチンを送りました。
すると、台湾のランドマークである「台北101」ビルには、巨大なライトアップで「台湾❤日本」という感謝のメッセージが灯されていました。

コロナ禍で日本がワクチンを送った際、台北101ビルには『台灣❤日本』『台日友誼長存(日台の友情は永遠に)』という感謝のメッセージが輝いた
困った時はお互い様。この「善の循環」こそが、真の友好関係ではないでしょうか。 一方で、日本が長年媚びへつらってきた中国はどうでしょうか。震災の対応一つとっても、尖閣諸島への侵入を見ても、どちらが本当の友人かは火を見るよりも明らかです。
李登輝元総統の遺言と、これからの日本
あえて強い言葉を使いますが、台湾という民主的な友好国を国際社会で孤立させ、あろうことか中国共産党政権に「正統性」を与えてしまったこと。その結果、現在の強権的で覇権主義的な中国を増長させる遠因を作ってしまったこと。 当時の政権が負うべき歴史的責任は、あまりにも重いのではないでしょうか。
台湾の李登輝元総統は、かつて日本人にこう問いかけました。
「日本はアジアのリーダーとして、もっと自信と誇りを持ってほしい」 「20歳まで日本人だった私が言うのだから間違いない。日本人の精神性は世界に誇れるものだ」
「日本はかつて、アジアの平和と発展のために命を懸けた国ではないか」 「もっと自信を持ちなさい。日本の武士道精神こそが、世界を救う鍵になる」
日本以上に日本の精神を信じてくれた李登輝さん。彼が愛した「義理堅い日本」を取り戻すためにも、私たちは中国の顔色を伺うような外交を、もう終わりにしなければなりません。
「本当に日本のことを考えてくれるのは誰か」 「日本にとって真に友好的な国は、中国と台湾どちらなのか」
これをちゃんと見極められない政治家や言論人が多すぎます。 中国に何をされても、それでも中国が好きだと言うのなら、もう日本から出ていって中国で暮らせばいい。親中・媚中の人たちには、はっきりとそう言いたいです。
台湾から受けた恩義を忘れず、信義を貫く姿こそが、日本にとって正しい選択なのだと僕は思います。
これでおしまいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
というか、らしくない真面目な記事で申し訳ありません。
次回はおふざけ全開の明るい記事を届けられたらと思います。
それじゃまたね~(´∀`*)ノシ バイバイ







