最近のニュースで、思うことがあったので書きます。
例の事件の犯人の肩を持つつもりは全くありません。
罪は罪。
だめなことはダメ。
それを大前提にするとして
しかし、私もある宗教の2世でした。
世の中の悲壮感に比べると私なんか…
今もそれで悩んでいるとか、そういうことは何もなくて、完全に縁も切れているし宗教からは心も離れているのですが…
むしろ、それがあったから世の中を客観的に見られる今の自分がいるのだし、別にいいと思っているくらい。
今まで数々の勧誘に折れずにいられたのは逆に
あの頃があったからではないかと思っているくらい。
ネットでは件の事件以降本当に
悲壮で壮絶な各宗教の2世の方々の経験談をよく見かけるようになりました。
私は特にそこまでのものはないけど
だよねー、わかるわー、そうなのよ!
という、今まで他の人とは共有できなかった微妙な気持ちがふつふつ。
母は私が物心つくかどうか、の頃に入信。
そうするとまあ当然、子どもも道連れになりますよね。
2、3歳だった私は何やらよく分からない、子ども用の宗教的な書物を学ばされる。
まだ判断力もない子どものうちは教えられたことを正しいと信じて大人の期待にひたすら応える。
母は妄信的だけれど、面倒くさがりでもあって
ただ何となく活動していたかんじ。
行けば仲間もいるし、他に信じるものもすることもなかったのでしょう。
母は、今の私が思うよりも世間を知らなかったのかもしれない。十代で結婚してすぐ妊娠。
そこに、家々を訪ねてくる宗教勧誘の人。
あの人たちの仲間の結束は強い。
私の主観だけれど、当時も今も、母は宗教をよりどころにすれど、そこまで熱心な方ではなかったと思う。
すごい人はもう、全身全霊自分の全てを神に捧げるけれど、母はそこまでではなかった。
ただ、問題は私。
私は母以外の周りの他の大人におだてられて、言われる通りに、期待に応えられるように、がんばっているように見えるように、何だかんだ、心の中ではそれほどの信仰もないのに熱心を装うしかなかった。
子ども、2世が犠牲者だと言われるのはここに問題があるのではないか、と思う。
そういうものだと思わされてやらされて
でも、本人もまだ若すぎて視野も狭いし他のことを知らないから、そういう道を行くしかなくなる。
それが正しいのだと思ってしまうし。
全宗教を知っているわけではないから私が何かを語る、なんてことはできないのですが
宗教の良くないところは、自分のところが正しくて、他所は正しくない、と思わせるところ。
その視野の狭さがどうもね…
そしてその親は、本当に悪気がない。
それが最大の問題でさ。
子どもにとっていいと思っているからそうさせているだけなんだよね。
それをしていないと滅びる、と思ってるんだから、あの人たち。
真面目に信じていたって世の中ってこんな。
信じていたら救われますか? とか言っちゃうよ、私は。
望まないのに命は終わる。時にひどい形で。
病気に戦争、飢えに貧困、悲しみと苦しみ。
望まない展開に巻き込まれている人がたくさんいるのに。
信じていたとしても、たぶん…
でも、信じていたら
子どもが滅びないように必死になるのはわかる。
親が子を思うのは、どこの思想のどんな人も
同じではないかなあ。
私だって、子どもが一番。より良い道を選びたいとは思っている。
それって、どの親も、うちは偶然これが宗教だったけれど、習い事や学業、家庭の方針でそうそせるのは普通のことで、親の願いで…
だけどね。
客観的にそれが人の人生にとって幸せかどうか
となると、当然、人によって価値観は違って
親は良くても子は
長い目で見たら実は幸せではなかったり、とか
それを本来は自分で判断するべきなのだけど。
問題はまさにそこで。
宗教的な思想は時にその、考え方自体が歪められることがあるから。
宗教的な視野って、ある場面では信じられないほど盲目で。
私が見ていたあの教団は当時は
誕生日もクリスマスもバレンタインも
楽しげなイベントはほぼ禁止だった。
だけど父は現実を生きる一般人。
私の育った実家では
一般人の父は子どもに誕生日プレゼントを与え
クリスマスにはケーキを買って来た。
それを母は黙って見ていた。
私は、プレゼントもケーキも
出されたものはいただくという🎂
二重人格みたいに、一般人の暮らし方と
宗教的な態度でその場に染まる時と
その場に合わせてその二面性でずっと生きていた気がする。
しかしその教団の教えは
嘘はいけない、高潔な心で、正しいことを。
そうしないと地獄に落ちる。天国には行かれない
みたいな、これがまた、何度も言われ続けるので
ボディブローのように身に染みて
こんな二面性の私は天国に行けるわけないな
といつも何度も思っていた。
今なら、いいじゃん別に
まずは今を生きないでどうするのよ
と開き直れるけれど、あの頃は若かったからね。
それに、母を悲しませているような気もして、罪悪感みたいな。
その思考自体が若いな。
今なら、自分の人生を生きる、と言うのだけれど。
当時の私は
宗教の人たちが見ていない、知らないところで異教徒のお祝いを楽しんで
それでしかし、教団の集まりに行けば何食わぬ顔をしてみなさんの仲間です、みたいな態度。
今こうして書いていてもなんだか…一番の卑怯者かもしれませんね、私。笑
教団の人たちの中にいて
ここに自分がいるのは場違いだろうし
どうがんばったって、求められるほどの精神と行動には到底なれない。
そういうことは、自分でも分かってはいた。
教団の人たちは皆、優しいし人間的にもとても素晴らしかった。人間ができているっていうか。
いつも穏やかで落ち着いていた。
そして、神の教えを守っているように見えた。
だけど。
本当かな。
今になって思う。
皆、熱心に神の言葉を賛美して実践して心に刻んで信じて努力していたようだったけれど
一方で悪口を言ったり、人を傷付けるような良くない冗談を言ったり。
ずるい人だっていたし、優しくない人だっていた。
誰も見ていないところでも、みなさんずっとそんなに完璧でした?
あなたのそんな行動、神に見せられますか?
でも、それが普通。
人間だもの。人間って、そういうものだもの。
人間は不完全なのだと、その宗教でも教えられたし
それは私もそう思う。
もし神がいるなら、そういう不完全さ
それを切り捨てるなんて、優しくなさすぎる。
いつだって100%宗教第一でいられるわけなんかない。
人間の心って、そういうふうにできているのだから。
(ここで思い出す、夏目漱石の「こころ」 あの作品の切ない苦しさを思い出してしまう。)
そういうのって結局さ。
今になって思うと、どこも同じ。
宗教も、会社も学校も、地域も。
先方から求められているものに、応えたいけど全て相手の思い通りにはしてあげられない。
だって私が生きているのは、私の人生だからね。
当時宗教と関わっていた頃は
私の心はこんなにけがれているから天国になんて到底行かれない、と内心思っていたけれど
実はそれは私だけではなくて、本来そもそも、人間ってそういうものだよ。
胸を張って、自分は必ず天国
なんて言っている人のことなんか、私は信じない。
その私が連れていかれた宗教でも、アダムとイブが禁じられた実を食べてしまったから私たちは不完全な人間になった、と教えられた。
(ような気がする。もう昔のことすぎて実際のところはわかりません。教えの元はキリスト教系)
不完全前提なんでしょ。
それなら、お優しい神様なら、何があっても
何をしていてもお許しいただけるはずですよね?
立派なことを口では言っているあの人たちも結局
完璧に清い心でいたはずなんかない。
この世の中には不完全な人間しかいないんだよ。
神様はここにはいない。
当時私は、自分だけが汚れた精神で、他の人は立派なのだと思っていた。
でも、そんなはずない。
むしろ逆にあの人たちはそれに気が付くべきだし
もちろん、宗教関係の方は皆さん、もうすでにそれに気が付いてやっているのかもしれないけれど。
私はどんなにがんばっても
教えを完璧に忠実に守り通して生活していくことはできない。
私なんか、ずるくて汚くて弱くて小さくて
どうしようもない人間で
その上太っているし
あ、それは関係ないって
まあとにかく、それが本当の姿なのだもの。
(開き直っていないで少しは努力しろ、というのは承知です。笑)
宗教の人たちでもさすがに心の中までは読み通せないはずだったから、教団内で私がそれっぽく振る舞っているとそれなりの扱いをしてくれていた。
教えでは、神が第一。
仕事よりも家族よりも、何があっても。
そうすれば神が助けてくださる。
逆だと、最終的には滅びるっていう…
滅びる、という言葉の強さ…。
何度も聞いた。苦境にあっても神が助けてくれる、最終的には天国に行きましょうって。
そうかな。何かあって神が助けてくれるっていう
実際こういうことがありましたっていう
当時いくつも聞かされた奇跡みたいな信者の体験談。
だけどそれ、ただの偶然だよ。
今なら冷静に思う。
騙されて他の宗教の勧誘に連れていかれたときに
そのやり口が同じだったから笑った。
それよりね、神が助けてくれなかったことだってあるし、助けてくれるはずなのにどうして世の中、こんなにひどいんだ。
この人は助けるのにあの人は助けないの?
それは神のみぞ知る、なの?
未熟で不完全で誠実でない人間の私は、そう思ってしまうなあ。
神のお考えがある、とかいうけどさ。
しかし少しでもそういうことを口に出すと先輩方から言われる。
この世は旧体制。新しい世界になるから。
その新しい世界は苦しみも悲しみもないパラダイス。
神が作った完璧な世界。
その世界に行けるかどうかはあなたの心と行い次第。
だって。
それなら無理だわ。
私、心の底はみなさんのように美しくないから。
神は助けてくださらないし、悲しいことや
つらいことには負ける。
私は、ずるいし弱いし、もうがんばれない。
そして、自分のことも大切だから。
みなさんのおっしゃる新しい世界もいいけれど
この世で一生懸命やるのはだめなんですか?
身近に困っている人を助けることは?
そこの議論はあまり聞かなかった。
今のこの体制で世のために働くというのは、あまり聞かなかった。
今の世の中では、一人でも多くの人にこの福音を伝えることが…みたいな。
仕事や人助けや学業ではない
私たちの真の目的は…
みたいな。
だから大学に行くのも否定的。学業よりも大切なことがあるから。
(今はどうか知りません。当時はね。)
私は教育に対する意識が全然高くない親に育てられたので、高校を出たら就職すると自分でも思っていた。
そもそも自分には大学に行くような
そんな学力もないし、金銭的なサポートもない。
せめて非信者の父が大学くらいは、みたいな考えだったら違ったのかもしれないけどね。
でも、なぜか高校に入ってから急に勉強するようになったので進学を少し検討した…ところで
「金ねえよ」とキレられただけ。
(キレてきたのは非信者の父でしたけど…)
両親とも、なぜに進学? みたいな。
今でも、大学に行っていたら違う人生があったのかどうかって、思わなくもない。
でもまあ、そうではなかったから夫に出会って子ども達にも出会えたから、他の人生が良かったなんて思うわけはないのだけれど。
まあ、とにかく、こんな環境下、専門学校に2年間通えただけでもよしとしましょう。
奨学金という借金を負いましたが…
もう昔に一括返済で完済。
そのおかげであの氷河期にどうにか就職もできたしね。
宗教のことをどうこう言うつもりはない。
人が信じているものを否定するつもりも全くありません。
平和を目指す、心を整える
拠り所になる宗教は時には素晴らしいものだとも思う。
だけど、私のいた宗教ではそういうことは見なかったけれど、お金を巻き上げられたり、心を締め付けられたり
あなたの幸せを遠ざけるようなことをする団体なら
それが本当の真理なのでしょうか。
どこの宗教も、言っていることは正しいのだと思う。
愛を、喜びを
心を清く
平和のために
人に優しく
信仰を持って人を助く
だけど、どこの宗教も、自分だけが正しいというのが前提で、他の教えを否定しているし、受け入れていない。
皆目的は同じはずなのに、時に逆方向のことが起こっている。
考えが違うことはよくあることで
その時にどうするのが正しいことなのか
どの宗教だって本当だったら正しい結論が出せるはずなのに、世界はいつまで経っても混乱している。
各宗教、悲しい大人になる2世が少なくなるといいな、と思います。
どんな思想でもいい。
何を信じていてもいいし
いや、何も信じなくてもいい。
だけどとにかく、自分の人生を生きられるように…
自分の心は自分だけのものだから
なんて、思います。