ど〜も、兎梟です (^O^)/
最近は、左足が痛くなり、家の周りを少し歩く程度になっています。
仕事は、何とかしてますが、次の日の予定を考えると「明日は、予定通りにできるか?」と思えて不安になります。
理由は不眠傾向が強まってきたから。
昨日は、不眠のせいか一日、頭がボッーとして、フワフワしていました。
それでも予定通りに仕事を進めなくては、お客様に迷惑がかかるので、吐き気を感じつつ書類作成を完遂しました。
終わってからは、放心状態です。
正直、仕事を助けてくれる人が居れば、休めるのですが・・・居ません。
昨年までの自分の状態とはかけ離れ過ぎて、最早、自分の健康に全く自信が持てなくなりました。
毎日がギリギリでやっている感じ。初めての経験です。
このようになり思うことは、私はずっと孤独を隠すために、車でサーキットを走り、ロードバイクでイベントに参加していたのではないか?
広い砂浜にポツンと一人居て、いつも「おーい、誰かぁ」と呼んでいた気がするのです。
孤独を隠すために、呼び続け、車やロードバイクの仲間と一緒に居ることで、充実感を得ていた。
しかし、健康を失えば・・・仲間ですから誰も居なくなります。
また一人です。取り残された気分になります。
そんな「一人」を感じるとき、ひとりの友人が寄り添ってくれています。
気にかけて、毎週電話をかけてくれたり、我が家に訪ねて話をして帰って行きます。
その際「ひとりではないよ。辛いときは電話をしても良い。」と言ってくれる言葉に救われています。
私は、一体何をしてきたのでしょう?
趣味に傾倒し、仕事を頑張り・・・残ったものは、何だったのでしょう?
私は、一体何を見てきたのでしょう?
多くの人に会って、話をして聴いてきたのに、何を知った気になっていたのでしょう?
「お大事に」という言葉は、病院の受付やクライアントの担当者など聞きます。
その言葉に感情は感じません。無機質な挨拶に感じてしまう自分の心の卑屈さにがっかりします。
当然、相手は「治って欲しい」と思っての言葉でしょう。
今日は良い天気です。
少しくらいは家の周りを歩くつもりです。
病状が悪化している。というよりは、何が起きているのかわからない。という感じですから、不安しかありません。
MRI、CT、レントゲンで診ても、異常がない。でも、痛む。怠い。
今までなら練習のし過ぎかな?だったことが、理由が見当たらないから・・・不安です。
こんなとき、どんな言葉が欲しいか?どんな対応が欲しいか?
それは、ただ一人にならず、誰かと一緒に居たい。
それだけです。
「一人」を感じず、嫌な言葉を聞かず、何処にもいかず、お茶をしたり、食事を摂ったり、テレビを観たり、話をしたり・・・相手から退屈さを感じず、和やかな時間の経過。
そこに、安心が生まれる。
「安心」は、お金が有るだけでは解決しない。夜が深くなるにつれて、「孤」が深くなる。
「安心」は、「孤」を感じないこと。浅く感じること。
配偶者が居ようが、パートナーが居ようが、友人が居ようが、「孤」は深まっていく。
挨拶のような言葉、健康を無視した行動が、「孤」を深めていく。
相手は、そんなつもりはない。普通にしているだけ。だから、責めてはいけない。
私は、誰と居るのか?を嫌でもわからせてくれている。
人は飽きる。だから、離れていく。そして、「孤」が深まる。
私は、孤立はしていなかったが、孤独ではあった。
両親と毎週気にかけてくれる友人、パートナーが居てくれるおかげで、私は生き延びている。
それでも、そろそろ今の仕事は無理かもしれない。負担が大きすぎて、一人では抱えきれない。
仕事を手伝ってくれる人が欲しい。贅沢な話か。
あー、今日は良い天気だ。








