はじめまして。

性別違和、躁鬱をかかえる者です。


ふと同じような思いの方がいるのではないかと、初めてブログを書いてみました。


タイトルの通り、鬱は親のせい?ではないかと思ったのです。

私も24歳社会人、この年齢で親のせいだ!というのは嘲笑の対象かと思うのですが、実際にそんな思いを抱える方は多いのではないのでしょうか。


不幸自慢のようになってしまうのですが、同じような方がいらっしゃったら私の心の支えになります。興味のない方は下までスクロールしてください。私の心の整理にお付き合いいただける心優しい方がいればまだまだ捨てたもんじゃないな、と思います。


私の家庭環境は最悪。

私は長女だったのですが、年子の妹がおり多動症気味で全く言うことを聞かない妹に両親はつきっきりでした。

幼少期から静かだった私は見事に放置。妹は顔が整っていたので、私は親戚中に妹だけが可愛い、モデルになれるのでは?娘にほしい、と言われるのを幼心に理不尽だと思い見ていました。


父も母も私の妊娠中からずっとタバコを吸い、大酒を飲み、特に父は妊娠していることなんか意に介していなかったようです。 

流石に1歳のことは覚えていませんが、程なく妹が生まれ、遊びは妹のこれ言って、あれやって、に付き合わされ、母の代わりに妹の面倒を見ているような感じでした。


父は祖父譲りのサイコパスなので、突然癇癪を起こし、机に物を叩きつけて壊したり、私が頑張ってやっていた宿題を捨てたり、破いたりしました。夏休みの宿題がゴミ袋に捨てられていたときは流石に母に泣きついたのですが、ゴミに出されてないから優しさだよ、片付けろってことでしょ、と言われました。


父と母はしょっちゅう喧嘩をしていて、部屋中は多荒れ、常にピリピリした空気が漂っていました。外まで怒号が聞こえるのでランドセルを背負って他の友達の家に避難することもしばしば。


嫉妬ばかりの幼少期でした。

お泊りに行ったときに友達の父親が優しすぎて羨ましいなと思いました。

母は中卒で働けないので、私の家は貧しく、塾などには通えず、キレイな文房具を持ってピアノを習っている子には常に劣等感を感じていました。

外見も妹と比べられて、目が細い、鼻がデカい、誰に似たのか、不細工と父方の祖母に言われ続け、ずっと二重にしようとマッサージをしていました。

神様は残酷です。

髪の毛がサラサラでぱっちり二重、小顔で母に似た妹、私は髪の毛は縮毛と癖毛でボサボサ、目は細く、まぶたが分厚い祖母に似た最悪な顔でした。


父の不倫グセで母は父と何度も大喧嘩をし、母が何度も家を出ていくことを見ています。

泣き叫ぶ妹の手を取って深夜0時に父の命令で母を探しに行ったのは8歳の頃。私も泣きたかったです。

祖母に助けを求めても、「自分の息子である父は本当に優秀で、あなた達を守るために毎日働いている、そんな父親を馬鹿にするな」と言われただけでした。当時私は6歳でした。

母は帰ってくると父と私達の前で父と仲直りのキスをしました。イチャイチャ。

本当に辛い思い出です。色々と知りたくないことを知りました。父は妹の性器を見るのを面白がり、小学校3年生頃まで裸でリビングに立っていました。今思えば性暴力だと思います。


他にも書けば嫌なだった思い出はたくさんあります。

恐ろしいことに、つい最近まで私はこのことについて詳しく覚えていませんでした。

物を捨て壊し、怒鳴る父に怯え、ヒステリーで幼稚な母の父の愚痴を聞きつつ、性に奔放な男グセの悪い妹の面倒を見る、学生のときからずっとそうでした。


初めて死にたいと思ったのは小学生の頃


中学生や高校生のときには、死ぬのは難しいし、鬱っぽい発言や死のうとすると家族に怒られるのでニコニコ仮面を貼り付けて過ごしていました。

内心はいつ死んでもいいと思っていました。


大学生になり、ひとり暮らしでやっと自由な時間が増えてきました。そうすると、徐々に心の不調をきたし始めます。笑っていても一人になると涙が止まりません。そうして仲良かった友達は去り、独りぼっちになりました。


私は色々と作る才能がありました。

両親や祖母はそれを私達の血だ。流石私達の子だ。と自分達の手柄のように言います。


私の努力です。あなた達は何も関係ない。


とはいえ、この歳まで死なずに育ててくださった母には感謝してます。奨学金を借りましたが、学費を払ってくれた父にも。


過去の出来事が私に大きな影響を与えていた、と知ったのはカウンセリングに通うようになってからです。


私はどうしても大きな声が出ず、妹のように異性を愛せず、自信を持つことができなかったのでカウンセリングに通うことにしたのです。

そこではインナーチャイルドが傷ついていると言われ、何度かセラピーを受けました。半年以上になります。1回14,000円ちょい。

それで治ったかと言われると謎です。今も絶賛鬱です。


東京で夢だったデザイナーとして働いていましたが、いつからか満員電車に乗ると倒れてしまうようになり、抗不安薬を飲んで通勤していましたが結局倒れてしまい、地元に戻ってきました。

これは適応障害だと診断されたのですが、別の先生は違うと仰っていました。私もそう思います。


社会に出ると鬱で倒れるので、結局嫌だった実家で働かざるを得なくなり、毒親に未だに縛られています。

しかし、家庭内の関係はあまりよくないので、父は妹の愚痴を私に妹を指導するように言い、母は自分が如何にだめな人間か、父の浮気グセに対する愚痴を私に泣きながら話し、妹は父も母も話を聞いてくれないので、彼氏が仕事の日はひたすら私に話しかけてきます。私は家で仕事をしているので、かなり煩わしいです。

そのくせ休日は彼氏とどこかに行くので家にいません。実家を出ることも何度も考えたのですが、不細工な歯並びを直したり、しょっちゅう病気をして手術をしているのでお金を節約したく、生活費を数万円入れるだけでいい実家に居座っています。


父に事あるごとに「女なんだから〜しろ」「女のくせにブスだな」「女なんだからこのぐらい〜」などと言われ続けた結果、女でいることも嫌になってしまい、付き合った男性も父親に似ている側面があると一瞬で嫌いになってしまいました。


先日、精神科で性別違和だと診断されました。

正直言って私はもともとは女性だったと思います。でももう女性として生きていくぐらいだったら髭もじゃのオッサンになり、筋トレでもして生きていこうと思っています。別に女性らしい振る舞いや服装も好きではないですし。

希死念慮や転生願望がそのまま性別違和に直結しました。

女の子なのにかわいい顔じゃなくて残念ね、早く孫を産んで、と言っていた祖母の顔が歪むのが楽しみです。


躁鬱も性別違和も幼少期からの差別や虐待、不運にも周りの友達や人間、恋人にまで恵まれなかったことによるPTSDから来ているものだと思います。


妹は妹を愛してくれる素敵な恋人に出会い、幼少期のストレスが原因になったのか、難病はありますが毎日幸せそうに生きています。良かったです。


精神疾患や社会に溶け込めないのを大人になってから親のせいにする人はどうなのか、と私もちょっと前まで思っていました。


でも親のせいにするというのは楽です。親不孝かもしれませんが、多分、これを読んでくださっている皆様も同じような親に不幸にされる体験を多くしていると思います。


親に感謝するのはもちろん大事です。ここまで生きてこられたのですから。

しかし、生きづらさの根源に幼少期の両親がまともじゃなかった、という考えを持っておくのは心を楽にする一つの手段かと思います。

自分しか頼れる人がいないなら自分で対話するしかありません。

同じような生きづらさを抱えている方が少しでも楽になれますように。


大変拙い長文、読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございます。