松本城五代目城主・戸田松平康長公の正室、松姫には、

まことしやかに流れている伝承が幾つかあります。
  


でも、


そのほとんどが間違いなのです( ̄▽ ̄) 口伝えの伝承なんてそんなものですけど。










ですが、この、


松本市民に、まことしやかに口伝えられている間違った伝承。


これが結構面白かったりするのです。






今回は、「松本城下探訪 五社(松本神社)」様でご紹介されていた、


間違った伝承を再話してみました(・ω・)ノ





⬇︎松本神社

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松姫の間違っている伝説 その二





松本城の戸田様の奥方、松姫様にはこんな話があります。



徳川家康には、父親の違う妹・松姫がいました。


松姫は顔がみにくかったので、

かわいそうに思った兄の徳川家康は、

大勢の大名の前で、


「だれか、妹を嫁にもらう者はおらぬか。

もし男子が産まれたら、10万石、領地を増やそう。」


といいました。


すると、武将の中でも大変に穏やかな戸田康長がちょっと顔を上げました。

そして、松姫を見てにこっとしました。


松姫も頬を赤らめ、ニッコリと笑い返しました。


それを見て家康は、

「顔を見たということは、気があるということだ」

と、言い。

康長と松姫との結婚を決めました。




結婚した二人の夫婦仲は良く、間もなく男児・虎松(永兼)が生まれました。


家康は虎松を見たいといい、乳母と家臣が付き添って江戸へ上りました。


ところが虎松は途中で疱瘡 にかかり死んでしまったのです。

付き添った家臣がそれを家康に報告すると、

家康は、

「疱瘡ならば顔も変わっていよう。一目会いたいものだ。」

と、謎をかけました。


ところが…その家臣は大変に正直者であったので、この謎かけを読み解くことができず、

10万石の加増も立ち消えてしまいました。


それを聞いた松姫は、

「兄上は虎松の死去を伏せ、別人を立てるようにと仰せだったのだ」

と、融通のきかなかった家臣に腹を立てました。


さらに、

「もしや…わが子は病でなく、殺害されたのではないか?」

とも、かんぐって狂乱状態になり、ついには病になり、亡くなってしまいました。



そして、松姫の無念な思いは祟りとなり。

祟 りは後々までも、その家臣の家に及んだといいます。

明治になっても、その家のものが五社にかかわると祟りがあったと言います



ーーー・ーーー・ーーー



…いやはや…。


こんなところでも、身代わりの話が出てくるのですね(笑)

しかも、家康の口から身代わりを立てれば良いのだとの謎かけ…


なぜそこで、こんな謎掛けが出てくるのかが、謎です… 



松姫などの、間違った伝承のほとんどは、明治時代のものなのです( ̄▽ ̄)


明治時代から、家康替え玉説はあったのでしょうか…?


うさ吉的には、明治という時代も謎ですけどね…。








つづく。






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