松姫は顔がみにくかったので、
かわいそうに思った兄の徳川家康は、
大勢の大名の前で、
「だれか、妹を嫁にもらう者はおらぬか。
もし男子が産まれたら、10万石、領地を増やそう。」
といいました。
すると、武将の中でも大変に穏やかな戸田康長がちょっと顔を上げました。
そして、松姫を見てにこっとしました。
松姫も頬を赤らめ、ニッコリと笑い返しました。
それを見て家康は、
「顔を見たということは、気があるということだ」
と、言い。
康長と松姫との結婚を決めました。
結婚した二人の夫婦仲は良く、間もなく男児・虎松(永兼)が生まれました。
家康は虎松を見たいといい、乳母と家臣が付き添って江戸へ上りました。
ところが虎松は途中で疱瘡 にかかり死んでしまったのです。
付き添った家臣がそれを家康に報告すると、
家康は、
「疱瘡ならば顔も変わっていよう。一目会いたいものだ。」
と、謎をかけました。
ところが…その家臣は大変に正直者であったので、この謎かけを読み解くことができず、
10万石の加増も立ち消えてしまいました。
それを聞いた松姫は、
「兄上は虎松の死去を伏せ、別人を立てるようにと仰せだったのだ」
と、融通のきかなかった家臣に腹を立てました。
さらに、
「もしや…わが子は病でなく、殺害されたのではないか?」
とも、かんぐって狂乱状態になり、ついには病になり、亡くなってしまいました。
そして、松姫の無念な思いは祟りとなり。
祟 りは後々までも、その家臣の家に及んだといいます。
明治になっても、その家のものが五社にかかわると祟りがあったと言います…
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…いやはや…。
こんなところでも、身代わりの話が出てくるのですね(笑)
しかも、家康の口から身代わりを立てれば良いのだとの謎かけ…
なぜそこで、こんな謎掛けが出てくるのかが、謎です…
松姫などの、間違った伝承のほとんどは、明治時代のものなのです( ̄▽ ̄)
明治時代から、家康替え玉説はあったのでしょうか…?
うさ吉的には、明治という時代も謎ですけどね…。
つづく。