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今回は、久高島で
久高島の方から聞いたお話について
書きたいと思います。
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それは、久高島最北端の
カベール岬(ハビャーン)に着いた時のことです。
カベール岬の手前には
駐輪場(駐車スペース)があるので
私たちもそこで乗り物を置いて、
徒歩で岬に入らせていただきました。
(駐車スペースは
このような砂地になっています。)
2〜3歩、歩いたあたりで
「どうですか、久高島は?」
と声をかけられました。
(イントネーションからして現地の方のようです!)
「はい、もう最高です!!
ずっとずっと憧れていて、、、
ようやく来れました。」
「どちらからですか?」
「兵庫県神戸市からです。」
「神戸ですか。
神戸といえば、沖縄戦の時の県知事が兵庫の人ですよ。
シマダアキラという人で、兵庫(神戸?)の高校出身だったかな。
沖縄の人を20万人ぐらい救ったんじゃないかと言われていて、
”生きろ”という映画もつくられていますから、
調べてみたら出てきますよ。」
(だいたいこのような内容をお聞きしました)
「そうなんですか?!
知りませんでした・・調べてみます。
ありがとうございます!」
主人と一緒にお礼をお伝えし、
カベール岬へ入らせていただくのでした。
(あの方はガイドさんだったのかな・・)
そのあとは前回、前々回のブログに書いた通り
久高島にて素晴らしい時間を過ごさせていただき
神戸へと帰った私たちでした。
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その後ネットで
・沖縄戦 ・知事 ・兵庫
という文言で検索しましたら、
島田叡(しまだあきら)さんのことがたくさん出てきました。
久高の方に教えていただいた映画
「生きろ 島田叡 ー 戦中最後の沖縄県知事」(2021年公開)
〜〜〜映画「生きろ」のページから〜〜〜
軍は県民も玉砕だなどと言ってるが
私は何としても県民を守らねばならない。
『戦時下の教育により、
捕虜になるよりも自決や玉砕こそが美徳とされた時代、
島田はしかしそれに反し、周りの人々に
何としても「生きろ」と言い続けていた。』
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他に、
「島守の塔」(しまもりのとう)という映画も。(2022年公開)
『島守の塔』は第二次世界大戦只中の沖縄県において、
最後の官選知事として本土から派遣された
島田叡を中心として沖縄戦のあらましを描いた作品。
と記載されています。
ここで、
映画『島守の塔』にて紹介されている
島田叡さんの説明を引用させていただきます。
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島田 叡(しまだあきら)
1901年兵庫県神戸市生まれ。
旧制神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)、第三高等学校を経て、
1922年に東京帝国大学法学部へ入学。東大卒業後、1925年に内務省に入省。
主に警察畑を歩む。
1945年1月、
沖縄への米軍上陸が必至とみられている状況の中、
辞令を受け、県知事として着任する。
沖縄戦の混乱により県庁が解散するまでの約5ヶ月間、
疎開の促進と食糧確保等、沖縄県民の生命保護に尽力。
戦争が激化し、摩文仁の丘に追い詰められた際、
県庁組織の解散を命じ、ともに死ぬという部下に
「命どぅ宝、生きぬけ」と伝え、逃した。
最期は荒井警察部長とともに壕に留まり、
後に摩文仁の森にて消息を断つ。
今日まで、その遺体は発見されていない。
享年43歳。
こんな方がいらっしゃったのですね。。
戦時下の教育により、
捕虜になるよりも自決や玉砕こそが美徳とされた時代。
沖縄県知事として、
国や軍からの要請に従わなければいけない状況の中で
苦悩と葛藤のすえに、
「命こそ宝だ」と伝え
県民の命を救うことに尽力された
と。。。
そのほかにも様々な情報が出てきました。
没後のお話となりますが、
1951年(昭和26年)
沖縄県民からの寄付によって島田叡さんはじめ、
お亡くなりになった県職員453名の慰霊碑として、
摩文仁の丘に「島守之塔」が建立されたとのこと。
私は以前、主人と共に
平和祈念公園へ手を合わせに参りましたが、
このような塔があること、
(島田叡さんのこと、こういった背景も)を知りませんでした。
( 数年前に訪れた平和祈念公園にて撮影)
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2015年には、
那覇市にある県営奥武山運動公園に
3万人超の署名と1千万円を超える寄付によって
島田叡氏顕彰碑が設けられ、
奥武山公園内の多目的グラウンドは
島田の出身地である兵庫県神戸市と沖縄とのつながりを思い、
『兵庫・沖縄友愛グラウンド』と命名された。
(Wikipediaより抜粋)
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平和祈念公園の摩文仁の丘にも、
那覇中心の奥武山公園にも碑が建てられて
その名が記されているのですね。
今現在も沖縄の方から
たくさんの思いが寄せられている
ということを初めて知りました。
そのほか、
沖縄の高校野球新人中央大会優勝校には
「島田杯」が贈られるのですが
その名の由来が、
島田叡さんなのだそうです。
島田叡さんは高校時代から野球の名選手で、
東大時代はスター選手であったのだとか。
野球を愛した島田さんに因み
この杯が贈られるようになったそうです。
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先日の久高島への旅で
久高の方から声をかけていただいたおかげで
島田叡さんのこと、
またこのような歴史や背景を知れたことを
とても有難く思いました。
私たちが兵庫県ではなく他の土地から来ました、
というお返事をしていたら
このお話には至らなかったかと思うと、、、
これも何かのご縁だったのだと思います。
(私は結婚を機に京都から神戸へ越してきましたので、
京都のままだったら、この方も存じ上げないままだったかもしれません。)
〜〜〜〜映画「生きろ」のページから〜〜〜
軍は県民も玉砕だなどと言ってるが
私は何としても県民を守らねばならない。
『戦時下の教育により、
捕虜になるよりも自決や玉砕こそが美徳とされた時代、
島田はしかしそれに反し、周りの人々に
何としても「生きろ」と言い続けていた。』
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島田叡さんにまつわる映画
「生きろ 島田叡 ー 戦中最後の沖縄県知事」(2021年公開)
「島守の塔」(しまもりのとう)(2022年公開)
公式サイトやユーチューブには
紹介動画もありますので、ぜひご覧いただき、
皆様それぞれの思いを感じていただけたらと思います![]()
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ご先祖様たちから
脈々と繋げていただいたこの命。
「ぬちどぅたから」
「命こそ宝」
ですね。
久高の方を通じて
ご先祖様・皆々様から
このメッセージをいただけたのかなと思いました。
なんて有難いのでしょうか・・・
今日から大寒波☃️ですね。
皆様あたたかくして
ゆっくりとお過ごしくださいませ。![]()
最後までお読みいただきありがとうございました。
今日も命にありがとうございます。
うさぎともこ

