今までも、病気で苦しんでいる人を助けたくて

大切な命を守るお手伝いがしたくて医師という道を志してきました。

自分が線維筋痛症という病気になって新しい目標ができましたキラキラ

それは同じ病気で苦しむ人を一人でも多く、

心から助けてあげたいということですはーと

今までは大学院に行くことなんてほとんど考えてなかったけど

線維筋痛症という原因も治療法も色々分からない病気を研究するために

大学院への進学も最近考えるようになりましたハート

もちろん臨床から離れるつもりはありませんが、

痛みというものは健康な人にとっても、とても苦痛なこと。

痛みがなければ人はなかなか病院へは行かないそうです困…

命が重いからこそ、その命を守るこの医師という仕事はやりがいと使命があります。

命の重さを知ってこその使命の重さですが、

私と同じように苦しむ人が一人でも減って

私と同じようにすばらしい主治医に出会える人が一人でも増えますように。


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      (26)悲願に生きる
            ジェンナーと天然痘
                光に向かって100の花束


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 種痘といえば、ジェンナー。有名である。

 エドワード・ジェンナーは、最初、博物学に興味をもち、鳥類の研究に没頭していた。

 ところがそのころ、多くの人々を苦しめている天然痘を見聞して、なんとかこれら苦悩の人々を救い

 たいという、一大悲願を抱くようになった。
 
 彼はまず、牛乳をしぼる人たちが、牛の天然痘に感染していったん癒えると、

 以後、決して人間の痘瘡にはかからないという経験談に、強い興味と興奮をおぼえる。
 
 それからというもの、細心の注意で経験談を集め、確かめることに尽力した。
 
 その後、ロンドンに出て、名医ハンターに師事して意見を求めると、

 「まじめに、おおいに試みよ」

 と激励される。
 
 ジェンナーは、いっそう周到に、幾度も実験し、考察し、ますます自信を深めていった。
 
 よく知られる、みずからの予防法を、わが子に試みたというのは、その間のエピソードである。
 
 また、サラーネルメスという、牛痘に感染した乳しぼりの女の手から膿をとり、

 これをヒップスという8歳の児童の腕に植えもした。
 
 1796年5月14日。これが現代種痘法の最初といわれる。
 
 盤石の基礎をえた彼が、所信を、ひとたび世界に発表するや、激しい毀誉褒貶が巻きおこった。

 “牛痘を植えると角が生える”などの、笑止な反対運動にもみまわれる。
 
 しかし、これらの反対に、根気よく戦い、人類社会の福祉増進に彼は、骨身惜しまず努力した。
 
 19世紀だけでも全世界で、数千万の人々が、このいまわしい病苦から救われている。
 
 1979年、世界保健機関(WHO)は、ついに天然痘根絶を宣言した。

 史上に残る鴻業を樹立し、世界の恩人と仰がれる人たちは、

 みな崇高な悲願と、たゆまぬ努力で、イバラの道を開いたのである。

高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)