身近な人ほど自分のことを理解してほしいもの
それゆえに衝突してしまってケンカをしてしまうなんてこと、ありますよね
本当は仲良くしたいのに素直になれない。。。
恋人や夫婦ならなおのことケンカすることも多いのでは
腹立つ心を抑えることはもちろん大事ですが
全部理解してもらえている、という思い込みはありませんか
わかってもらって当然という心はないでしょうか。
自分はどれほど相手のことを理解してあげられていますか
と、考えると。。。
完全に理解しあうなんて本当は無理なんですよね
だけど、それで開き直ってしまってはダメ
理解しあう努力をすることが大事なんだなぁと日々思うわけです
今日もいつも紹介している光に向かって100の花束より
夫婦は
もともと他人である。
だからケンカもする
光に向かって100の花束より
夏の暑い日、主人が帰る。
「いま帰ったぞ。ああ暑かった」
「おかえりなさい。暑かったでしょう。家にいてさえ汗が流れたのに、一生懸命働きなさって。
マア! この汗。太郎、うちわであおいであげな」
「ナーニ、これくらいの暑さ。オオ、もう一ぺんいってこようか」
となるが、
「おかえり。夏ですもの、あんただけが暑いのではないのよ。大きな顔しなさんな」
とくると、
「ナニ、このふてくされめが」
となる。
男には、三軍を叱咤するような気持ちのおこるときと、子供のように甘えたいときがある。
「とにかく、おれについてこい」
と、たのもしくリードするかと思えば、
「オイ、母ちゃん、耳のあかをとってくれや」
と、膝枕でヨダレを流したりする。
「オイ、1万円だぞ」
と、奥さんに渡すと、
「1万円、1万円と、えらそうに言わずに、あるだけみんな出したら」
「男には、交際があるんだ」
「つきあい、つきあいと言って、よそばかりで飲まないで、家で飲んだら、どうォ」
「豚の尻みたいな顔見て、飲まれるか」
「長い間、がまんしてきたが、こんなに侮辱されたことないわ。
17年前、一緒になってくれにゃ死ぬと言ったのは、どこのどなただったのよォ!」
「このやろう!! 昔のことを引っぱり出しやがって……」
と、収拾つかなくなる。
なぜ夫婦ゲンカが、おこるのか。
男は47、女は48の歯車でかみあっている。突然1つの山が、かちあうときがある。
どちらかが“すみません”と、詫びをいれればいいが、
はりあうと歯車は、かちあった状態のままになる。
要は一心同体と考え、無礼な言動が原因だ。
夫婦はもともと、他人であることを、忘れてはなるまい。
(高森顕徹著 光に向かって 100の花束より)