書店で、ふと目に入った本。
民俗学の入門書的な書籍。
読みやすそうな本です。
かって、民俗学者になりたかった私。
入門書は不要なんですが、パッとめくった1ページ目の表題に心を掴まれました。
「民俗学とは、覇権主義的な立場を批判する学問」
この本を監修している島村恭則教授の定義でした。
昭和っぽい言い方をするとビビっときて、会計カウンターに直行!
すぐに読み切りました。
島村恭則教授によれば、「俗」の定義は
❶支配的権力(覇権的なもの)になじまないもの
❷啓蒙主義的な合理性では必ずしも割り切れないもの
❸「普遍」「主流」「中心」とされる立場にはなじまないもの
❹公式的な制度からは距離のあるもの
この4つのいずれか、あるいはその組み合わせ
あぁ、そうなんだよ!
まさに我が意を得たり!
小学生の頃から、何故か強く民俗学に惹かれた私。
高校生になる頃には、その理由を自覚していました。
民俗学は民衆の生活を研究するものだから。
歴史のように為政者や権力者ではなく、歴史に名前の残らない常民の文化を扱う学問だから。
このところずっと、私はアイデンティティが揺らいでいました。
公私にわたってのストレス。
すっかり疲弊したメンタル。
「すみません」や「申し訳ない」ばかり言ってて、あんなに高かった自己肯定感が凹み続け…
自分が自分でなくなったみたいでした(◞‸◟)
事を荒げるのが嫌で、相手の言いなりになることも厭わなくなりました。
よく言えば平和主義。
悪く言うと事勿れ主義や日和見主義。
自分が何をしたいのか、どう生きたいのか、わからなくなっていました。
そんなとき、私のアイデンティティに繋がる言葉に出くわしたのです(´⊙ω⊙`)
支配的権力や覇権主義、啓蒙主義が生まれつき(?)好きではありません。
「普通」であることや「主流」であることも嫌い。
「みんなと同じ」ではいたくない、そんな本来の自分を思い出したのです。
私は江戸文化も愛してますが、それが民衆の文化だからです。
支配されてきた町民が作り上げた文化だから。
私にとって江戸文化は民俗学と根っこが一緒なんです。
私の精神の「皮膚」や「髪の毛」は江戸文化で出来ていて、「骨」や「血」は民俗学で出来てるんだ…
自分の中に、失いかけていた重石が戻って、重心が整った気分がしますε-(´∀`; )
民俗学というと、昔の生活を研究するように思う方が多いのではないでしょうか。
でも、人間の生活に関わるあらゆるものが「民俗」なんです。
過去の遺物を研究する学問ではなく、現代を生きる私たち全員の慣習や価値観を分析する、現代的な課題に取り組む学問でもあるのです。
例えば、都市伝説、路上アート、職場や学校での暗黙のルール、若者言葉、SNSで流れるデマ…
これらはみんな民俗学の研究対象です。
些末なことが多いです。
些末なことをちゃんと拾って、そこに意味を探る学問なんです。
ふと、気づきました。
ブログは民俗学の宝庫だと。
皆さんのブログを読むのが私のライフワークなのは、ブログが民俗学のフィールドだったからなんですね(°▽°)
だからかな?
私は芸能人や著名人、有名実業家のブログには興味がありません。
これ見よがしにゴージャスなセレブブログも嫌い(´-ω-`)
あと、啓蒙的なブログも興味がありません。
この本で初めて知ったことがありました。
民俗学を英訳すると「フォークロア」だと思ってました。
それって、時代遅れなんですね(@_@)
今は「ヴァナキュラー」と言うんだそうです。
「フォークロア」というと、地方で伝えられている民間説話や民謡、慣習が研究対象と思われがちなので、1990年代以降、民俗学者たちはフォークロアに代わる語として「ヴァナキュラー」を用いるようになったそうです。
「ヴァナキュラー」を日本語訳すると「俗」。
権威や公的な制度から距離がある、人々の生活に深く根ざした非公式的な文化や伝統のことです。
生活のありとあらゆるジャンルにまたがる学問なんです。
民俗学を自分の芯に据えて、「自分らしさ」、アイデンティティを取り戻していきたいです。
ブログが民俗学の貴重なフィールドであると確信したので、今後より一層身を入れて、皆さんのブログを拝読していきたいです。
今後ともよろしくお願いします。
あ、民俗学ですから、堅苦しいことはヌキですよ(^^;
オマケのブログネタ
見ているだけでほっと安らぐものは?
▼本日限定!ブログスタンプ
もちろんゴヱモンです(*´∀`*)


