元ニートがUSCPA(米国公認会計士)を真剣に目指すブログ

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ニート歴6年以上、鬱も経験し、地獄のどん底から這い上がってきた元ニートがUSCPA(米国公認会計士)を真剣に目指すブログ

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ニート


それは鬱同様  一種の現代病さらには贅沢病である



縄文時代を初めとした古代の人々は極めてシンプルなライフスタイルを持っていた

農耕あるいは狩猟、日々の食事を入手するで精一杯で余計なことなど考えている余裕はなかった


中世の人々は階級制度の中、自身の生活を一生懸命に生き、余裕のある人間は芸術などを楽しんだ

絶対王政などの封建制度により、厳しい社会的ルールや規範に従うのが一般的だった


近代においては、各国が富国強兵の道を歩み、強者は世界の覇権を握り弱者は植民地になるのみという

世界的な潮流の中、人々はそういった国家のためという国家共同体としての生き方を半ば半強制されていた



しかし、現代人ことさら先進国に生きる人間は今現在とてつもなく物質的に満たされた社会の中に生きていて

自由を与えられ、なんとなくでも生きていけるようになったんです

なお、情報の氾濫により、おおよそなんでも知ることができるようになり、

半ば知識が増えた分、自我が無暗に肥大化していった



人はいろんな未来を想像できるようになり、無限の可能性の前に現実とのギャップや様々な要因により精神を病む


例えば、理想との乖離

例えば、将来への不安

例えば、周囲からの重圧

例えば、自身への不信

例えば、人間に対する恐怖

例えば、社会に対する絶望


理由は多々あるだろう

が、ここに一つの要因としての共通項を見つけることができる

それは、メディアの浸食である


日々を生きるのに精いっぱいの古代はともかく、ある程度の生活が送れた中世の人々の中にはニートのような生活を送っていた人がいなかったとは言い切れない

落ちこぼれた芸術家、貴族のぐうたら子弟、何か志を持った浪人、思い出した頃に日銭を稼ぐ遊び人、等々

しかしそういった人間が一纏めにされ人々に知れ渡ることはない



現代でも、餓死や紛争が絶えない東アフリカ諸国ではニートは存在しないし

一党統制下で自由が乏しい北朝鮮や発展著しい中国でもニートは存在しない

先進国で個性や多様性を重んじるアメリカでもニートという言葉は聞かない


そもそも、ニートとは

「就労も就学もせず、訓練も受けていない者(Not in Employment, Education, or Training)」

に由来し、その頭文字をとって NEET

きちんとしたという意味のNeatとはなんの関連性もない


イギリスの労働政策より生まれたこの語が、同じ島国の日本で流行ったのは何か関連性を感じずにはいられない


支配階級にとって労働者の減少は困るというのに起因するのではないかと思うが


現代の日本ではさらにそこにメディアが加わり、ニートというカテゴリを作りだした上でそれを面白おかしく報じた結果

人々の中にニート=甘ちゃん、社会不適法者、寄生虫(パラサイト)、ひきこもり  という図式がすっかりできあがった


いわば、ニートとはメディアひいては社会全体が作り出し顕在化させた一つのイメージ



ニート=甘い   自分に甘い、意識が甘い、責任感が甘い、認識が甘い、何もかもが甘い

というのはある意味間違っていない


しかし、一部いるだろうが、大多数の現役ニート諸君は何も好き好んでニートになった訳ではないことは容易に想像できる


進学に失敗した、就職に失敗した、家庭の事情、人間関係の問題、仕事に疲れた、人生や将来に希望が見いだせない


今がよければ良いという刹那的なニートよりも、上記のような様々な理由によりニートになってしまった人間も多いだろう


特に今の日本では一回失敗したら非常に再起しにくい

今でこそ第二新卒があるが、少し前までは新卒で内定をもらえなければもう正社員への道は閉ざされたも同然


今現在でも例えば長期間の鬱などによる空白期間があり、年齢が一般の新卒より極めて高く、更に職歴も特筆すべきスキルもないとくれば


もう完全に八方塞がり、普通の就職というごく一般的な道はもはや所謂無理ゲーである


メディアや政府がニートは問題だとのたまうも


現実としてやる気はあっても職の見つからない求職者はいくらでもいる

そういう本来失業者のカテゴリーにいる人間も何故かニートみたいな区分にカテゴライズされる


大企業は人員削減により増収増益を果たしても人員を増やしたりと社会に還元しない

そもそも企業による儲けの再配分の割合が低いなど企業には株主第一、利益第一といった企業の論理もあり


例えばずっと遊んできたFラン大卒だけど単にやる気があるだけではどうにもならないという現実が歴然としてある


EC(エントリーシート)100通以上提出してもお祈りメールばかりで1次面接にすらこぎ着けられない

あるいは虎の子の1次面接でも落ちまくる


こういうのを経験し続けたら、よっぽどの精神的にも肉体的にもまた経済的にもタフガイじゃないとやり続けられないだろう


就職活動に100万円使った就活生もいたりと


その結果、得られたのは自己存在への否定の連続、粉々にされたプライドと自我、更にには自信、時間、または金銭の喪失



誰ももが強い人間じゃないんです


そんな人間なら100万もあれば、起業している


日本社会が構築した画一的教育に基づき、普通というレールにのっかってきた結果

普通というレールから外れた人間にはどうすればいいのかというのがわからない


普通とは違う道しかないのに指針がない


一寸先は闇


そんな不安や挫折、苦悩に直面すれば、人は病む



もちろん、殺人犯と同じような幼少期を送り、似たような環境で成長してきた人間がみな殺人犯になることはないのと同様に個人差はあろう


ではどういう人間がニートまたは鬱に陥りやすいのか?


これはまた次回述べるとしよう