言葉が映像になる。
言葉で構築された世界を映像を構築し直す、それが、小説の映画化だと思っていましたから、不思議で、言葉に引っ張られない映像のあり方が不思議で、でも、彼が見ていたのが彼の向こう側だと分かれば、それは当然で、柴田元幸さんはそれをテキストゼロと呼んでいて、翻訳の世界ならばそれは英語で構築された物語の向こう側、つまり、言語化される前の世界にアプローチしてそれを日本語で物語る、みたいなことを言っていた気がするのですが、気のせいかもしれないし、私の思い違い受け取り違い歪曲の可能性もあるので、あくもでも仮の話として推し進めるなら、スタンリー・キューブリックが見ていたのはアーサー・C・クラークの向こう側、言葉で作り上げられた物語を突き抜けて、世界そのものを、そのまま映像で描いて見せた、つまり、世界は一つ、語り部は二人、一人は言葉で物語り、一人は映像で物語る、二つの物語の狭間に立って初めてテキストゼロの存在を知る。
彼らが見つめた世界。
二人の世界。
「レイプはお互い様だった」
試写会の後にクラークは、そう答えたという。
ならば、それは、愛。
お互いに襲いあったのならば、それは愛し合ったのだと私は思う、腐女子だから。
一つの世界を二人で見つめた、それは、ロマンスの世界でも、ブロマンスの世界でも、BLの世界でも愛と呼ぶし、愛としか呼ばないし、突き抜けて、テキストゼロさえ突き抜けて、おっさん二人の場外乱闘を愛憎劇として堪能する、なんだか、もう、腐女子ここ極まりました、行くか、次に、栄えあるネクストステージ、貴腐人の世界に進みたいと思います。
おめでとう、私。
- 2001年宇宙の旅(初回生産限定スペシャル・パッケージ) [Blu-ray]/ワーナー・ホーム・ビデオ
- ¥2,571
- Amazon.co.jp


