そっか。
公式って大事なのか。
男と男と、女と女と、いずれにせよ、二次創作に関しては禁じられた愛のタブーに俺はいま踏み込んでばかりいたから、男と女の掛け算の世界がこんなに熱いなんて知らなかったし、こんなに公式に重きが置かれてるなんて知らなかったし、カルチャーショックなんだけど、ゼインが辞めた時ホーキング博士が『宇宙は一つじゃないからゼインがワンダイレクションを脱退していない宇宙もあるかもしれない』みたいなこと仰っていて、それは森羅万象に当てはまるだろうし、なんなら、二次だろうとなんだろうと創作なんてものは世界を生み出す営みなのだから、もう一つ規模を大きく宇宙を生み出してみたらどうだろうかと、まあ、一護が能力を失った所で止まってる私が言っても説得力なんてまるでないだろうけれど、思わず声をかけたくなるような切実な想いがツイッターに溢れていて、でも、まさか、
「どうか、気を落とさないで。一護とルキアの結ばれる宇宙を生み出してください」
なんて言えるわけないから、赤の他人だから、通報されるから、こうして、あてどない呟きは長くなりすぎて、ブログに書き綴って、これも、又、わたしの生み出した小さな宇宙なら、あなたの宇宙に届きますように。





蛇足。
思いっきり浸りきりながら書き綴ってきましたが、実用性に乏しい私の小宇宙よりもホーキング博士のインタビューのずっと心強かろうと思い至り、こっちよ、届け!!

ホーキング博士のインタビュー
寄生獣って人間のことだったんですね。
原作を最後まで読んでいなくて、読んでいたのも大分前で、だから、ある程度真っ新なまま映画を見て、真っ新なまま驚いて、真っ新なままでも原作を端折りすぎてる部分なんとなく分かっても、深津絵里さんの田宮良子に泣けたのは、学問の派生する瞬間を見たような、自己とはなにかと問われたら思考する事と答えるような生き方から、哲学も科学も或いは文学も生まれるのかもしれないと、『プロメテウス』で明らかになったエイリアンの進化の過程にしても、『ハンターハンター』の蟲の王の末路にしても、人間と交わるとろくなことがないから、寄生獣もなんかごめんね、みたいな気持ちで見てたけど、思考を積み重ねて、思考を積み重ねて、自ずと道が見えて、それを希望と呼ぶのなら、そうした思考回路を持つ知的生命体に環境は関係ないだけではなく、超えてさえ行く。個体数が増えすぎると天敵を誘う物質を分泌して自分たちを間引かせる虫がいると何かで読んで、この物語はその構図で、だとするなら、彼女は捕食という本能を超えて、その先にある、人類を間引くという自らの存在理由すら超えて、二つの種の共に生きる道を見出した。それこそが知性と感服すると同時にどうしようもなく彼女を哀しく思うのは、彼女が一人道をゆく者だから。思い出したのは、塔に籠って只一人、数学の世界を探究する数学者に共鳴する詩人、彼もまた詩という果てしのない世界をゆく者、『小さなお茶会』で描かれていた話をまた思い出して、みな、一人ゆく者。それでも、死んだ子犬をゴミ箱に捨てた真一君が「ちょっと考えて、やっぱり、木の下に埋葬した」この、«ちょっと考えて»の部分が彼女の導き出した希望、人間と寄生体の理想の交わりだとしたら、ちょっと笑えるし、笑えるってことこそが希望の本質だとするなら、肥大化した感情で自分とは無関係な死すら包み込む人間を疑問の対象とし、探究し、根本に到達し、理でもって受け入れる、その感性と知性の混じり合いこそが二つの種の生きる道とはつまり人間は馬鹿ってことだけど、個体としても、総体としても、来し方を振り返れば、まったく反論できそうもないので、ここは精神論をもって、この文章を終わろうと思います。
頑張りますっ!!



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また、読んでみようかな。

てっきり80年代のB級ホラー映画だと思い込んでいたから、主人公はハンサムな男の子で、ヒロインは幼なじみのブロンディーで、気の良いアメフト野郎たちとゾンビと化した性悪チアリーダー軍団から逃げ回る話だと思って見始めたら、主人公チがアリーダーの女の子で、ヒロインも女の子で、三角関係の相手まで女の子で、みんなして人外になっちゃって、アメフト野郎どもを次々と殺戮して、挙句、ひと昔前なら主人公兼恋人兼王子様ポジションの男の子まで食い殺して、そうでした、B級映画は時々さらっと時代の先をいくから、実は一周遅れのアカデミー賞関連の意見でなにやら引っかかったのは、白人のヘテロの男性以外、つまり、有色人種とか女性とか同性愛者はそのマイノリティー性を描く時しか主人公になれないみたいな、反射神経で脳裏によぎったのは『ブレイド』これは黒人映画だろうか、いいえ、吸血鬼を退治してる話です。『イーオン・フラックス』は女性映画だろうか、いいえ、みんな揃ってクローンでした。『オール・チアリーダーズ・ダイ』は同性愛映画か、いいえ、ゾンビでした。揃いも揃ってB級映画でした。だから超えていきました。例えば死者が蘇る世界においては死者が蘇ること以上に大変なことなんてないから、全てが二の次、人種も肌の色も性別も性的傾向性も、なら、先にゆける。例えば女の子が女の子に恋をしたとして、そこに葛藤も差別もなければリアリティーがないと批判されるだろうけど、その女の子がゾンビとして蘇ったらリアリティもくそもない、そんなウルトラCな希望。翻って、こちら側の世界に死者は蘇らない、だけど、女の子が女の子に恋をした時、或いは、男の子が男の子に恋をした時、社会の求める葛藤と社会が求める差別が待っているとしたらどちらの世界がディストピアなのか、私には分からない。




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