常に健康でありたいものだ。


しかし人間歳と共に衰えるものだ。


生きることは老い続けることでもある。


でも悲しむなかれ。

私の様にいつまでも老いず、寧ろ成長し続ける者もいる。


以前は50メートル走ると疲れたものだが、最近は疲れを感じるには5メートル歩くだけで済む様になった。


これぞ省エネ。


生産性の極みと言えよう。


又、最近ではあまり睡眠を取らずに活動出来る様になった。


睡眠にも体力が必要であることを知った為だ。


疲れを取るために寝たはずなのに目を覚ますと疲れているのだ。


この感覚は若い頃には無かったもので、まさに成長の証と言える。


又、運動しても全く筋肉痛にならず、心身共にアグレッシブになってきた。
唯一気になるのは、運動した二日後、謎の激痛に襲われる様になった。

これが噂の成長痛というやつか?
妄想的タラレバ話が大好きな子供だった。


マイナーなら「もしベジータが本編より五年前に地球へ来ていたら」的な。


メジャーなら「もしドラゴンボールがあったら」的な。


これが中学生くらいになると「もし石原完爾が指揮を取っていたら」

「もし坂本龍馬が暗殺されなかったら」的な歴史タラレバに花を咲かす様になる。



こんな子が大人になるとどうなるのか?
タラレバ話をしたい!という欲求に悶える、禁煙パパみたいになる。


「デスノートの有効利用方法」で五時間語る、みたいな。

これは四年前に語り済みだけど。



ウチの子もこんな大人になって欲しいなぁ。
昨日から急に涼しくなった。

前日との温度差が12度もあるそうだ。


と、あくまで他人事。



一般的に社会人になると季節感が無くなるものだ。


要因として1室内で過ごす時間が多い、2季節毎のイベントが減る、の二点が挙げられる。



これを情緒が無いと捉えるか、快適と捉えるか。

快適さとは変化と真逆の価値観である。



「学生の方が良かった」という意見は季節感と無関係。

誰でも仕事するより遊んでいたいのだ。