アメリカのプロフットボールリーグ「NFL」が、プレシーズンマッチ、つまりシーズン前のオープン戦、の一部をアメリカ以外の外国で行う「アメリカンボウル」ってのがあります。
最近は日本には来てないみたいだけど、1989年から1996年までは毎年、その後も断続的に何度か日本に2チームずつがやってきてたんですよ。プレシーズンとはいえ、本場のプロが実際に見られるめったとないチャンスで、アメフットファンにとっては垂涎の試合なのです。
そのどの年だったか、確か90年代前半のどれかだったと思うんですが…
ある試合で、某チームのオフェンスがなかなか進めなかったことにいらついた何人かの日本人ファンが
「まじめにやれー!」
って野次ったんですよ。それになんだか違和感を覚えたわたしですが、その違和感の正体をうまくつかみきれなくて、その場はそのままやり過ごしました。
その後、友人達と一緒に新幹線で大阪に帰ったのですが、その中にいたフットボール経験者のひとりが
「…それにしても、さっきの『真面目にやれー』っていうの、あれめっちゃむかついた」
って言うんです。
「俺はあんなプレイよう止めたなあ、さすがプロのラインマンは違うわ、思たけどなあ…」
彼に言わせれば、そのシーンはオフェンスを非難するのではなく、プロに恥じないプレイをしていたオフェンスより更に一枚上だった、対戦相手のディフェンスのレベルの高さをほめるべきだった、と。
そのことがあって以来、わたしは事情のわからないことを批判することは必要最低限にとどめるようにしています。
時にはあえて事情を知らない人の視点(たとえば一般市民、普通の音楽リスナー、など)が必要とされることや、わからないなりに(逆にわからないからこそ)疑問に思うこともあります。そういうことについては「どういった立場からの発言か」「どの程度までわかる、またはわからない人としてものを言っているか」を明確にするよう努力しています。
そうしないと、ディフェンスラインマンのがんばりに目を向けないで、頭ごなしにオフェンスプレイヤーを非難するようなことになりかねませんから。
でも、わたしの場合、ここ数年は逆にそういったことに気を遣わずに「まじめにやれー!」って言ってる人を頭ごなしに叱り飛ばそうとしてたきらいがあるような気がします。
その人の批判の「意味」を考えることや、率直さをポジティブに評価することも、これからは必要なのでしょうね。