先日、職場の上司の人と話していて、自分の進むべき姿はどうあるべきかについて考えさせられた。
とある上司の方Aさんは、
「どうしてもうちは職業柄、外堀を埋めて(周りの同意を得て)から、仕事を進める。それは、組織を大切にしているという意味である一方、何かあった時には、『すでに協議済みで、同意していたはずだから』と周りへ責任転嫁出来るからでもある。しかし、その弊害として、余計な会議が多い。応用が利かないし、柔軟でない。そういった進め方は、間違いであるケースもあるから、気をつけたほうがいい。」
Aさんとは、その後、別の2人の上司の方、XさんYさんを引き合いに出して話し合った。
「仕事の進め方は、人それぞれのスタイルがある。Xさんは、何でもかんでも正直に話すスタイルで、ある意味職業柄としては、異端なタイプである。しかし、正直に話すことで、相手の素直な意見を引き出すことができる。ただ、思いつきを話すので、言ったことを忘れることもある。」
「一方のYさんは、ペラペラ話すことはない。法律等の根拠とした後ろ盾を強みに、論理的に道筋を作り、レールを作ってしまったら、迷いなく一本突き進むタイプである。しかし、その分、意見を否定された場合、融通が利かない面もある。また、どこかで自分に瑕疵があったとしても、謝ることなく、強引に別の論理を重ねる場合がある。そして、極端な思い込みが激しく、思い込んだら、それが事実であるかのように話す。時に感情的になり、暴走してしまう点がもったいない」
結局はどちらも、長所短所ある。
しかし、自分にはない強みがそれぞれある。
仕事のやり方、進め方は、
自分のこれからの生き様にも関わる。
二人の上司は仕事の進め方、考え方が正反対だ。
だからこそ、日ごろの行いに向き合い、真剣に考えなければならない。
それが今なのだろう、と思う。
人はそれぞれの人生を生きている。
それぞれの人生を歩んできた中で、一つの職場に集約されれば、そりゃあ価値観も違うわけだから、互いに譲らなければ、ぶつかり合うのは当然だ。
すべての人が、善人でないことはわかっている。
けれど、類は友を呼ぶとは言ったもので、それを信じる僕がいる。
その結果についてを今まで経験した中で感じ、これからの経験でも続くと信じている。
どこまで信用できるのか?
どこまで頼れるのか?
自分がどこまで踏み込めるのか?
言葉足らずの自分を変えるため、
身を削ってでも、成長促進のため、
訓練をしていく。
だからこれから、ガチで話し合おう。
その生きた眼差しは、
裏切られないから。
学びを生かすために人生の道が続いていくのだろう。
人生という道の存在に、感謝を申し上げたい。
ありがとう。
これからも強く進むね。