私が20代、自分はうつ病も抱えてる、という事に気付けなかったのの1つに、一般的に言われているうつ病のイメージとは違う病相を示していたからでした。"大うつ病" つまり、"定型うつ病"と言われる病状は、食べれない、眠れない、何もやる気がしない、何にも興味が湧かない、ベッドから起き上がれない、etc.etc.
というのが典型的な症状です。
けれども、パニック性不安うつ病のうつの部分は、"非定型うつ病"といって、色々と、定型と逆の症状が出ます。まず、過眠・過食( 特に甘い物)になり、精神活動の落ち方はそこまで酷く無く、やる気もあるし、面白い、楽しいと感じれる事もあります。また、"気分反応性"と言って、何か嬉しい事、楽しい事があると、病気が治ったかと思えるように動けたりもするのです。逆に、嫌な事があると、途端に気分が沈み込み、動けなくなります。また、私がとても悩まされたのが、"拒絶過敏"と言われる症状でした。
何か人に否定的な事を言われると、凄く落ち込み、自己否定の嵐になってしまうのです。それが、大事な相手だと、"見捨てられ不安"となり、相手に拒絶されて、見捨てられる、と否応の無い不安感に襲われるのです。また後々詳しく書きますが、アメリカのピアノの師匠を、この症状で大分困らせ、悩ませました(-.-;)y-~~~ やっと見つけた師匠で、師匠を頼って、不調を抱えた身で渡米し、希望をくれる存在だったので…
精神症状については、"自分に精神力が無いから""弱いから""自分には他の人達にはある物が根本的に欠けてるから"
と、性格や性質のせいだと思ってました。身体症状については、"パニック障害の症状で疲れてるから" と思ってたのです。
今から思えば、大学時代から、はっきりと、この非定型うつ病の症状が表れ出していました。身体が怠くて怠くて仕方が無く、いつも眠くて、明らかに体力が、並みの同世代よりかなり低く、休息常に必要で。大学4年生の時、ピアノにおけるストレスが募った事から、体調が落ち出し、卒業時には、人間関係でトラブり、一時期、"定型うつ" の症状が出たようです。その時は、パニック発作が再発、頻発して、痩せて行き。生気を失っていました。アメリカ留学の話が出て、休養に入ったら、今度は、"非定型うつ"の過食が始まり、甘い物の"ドカ食い"、をしてたのを覚えてます。頂き物の洋菓子の箱半分を1日で食べてしまったり…
ただのストレス症状だと思って見過ごしてました、、、。
実際に渡米したのは、師匠が誘ってくれてから、2年後でしたが、思い返すと、その間に、9キロ体重が増えていたんですよね。それまでの基本体重より4キロ増だったから、ピンと来て無かったけど、基本より5キロ痩せてたんでした、、、
今だに悩まされてますが、兎に角身体が怠くて怠くて仕方が無かったです。でも、非定型うつ病の存在を知った後すら、それが"鉛様麻痺" だったとピンと来なかったです。怠いけど、鉛のようにどうしようも無くは無いし、、、と。
でも、実は、今頃、やっと、実感出来るようになってるのです(笑) というのも、怠い日もあるけど、身体が軽い日も
あるようになって。その軽さを知って初めて、"どんだけ重かったの〜〜!!" とわかる、という、、、。小さい頃から、性格的に、自分が辛い、しんどいと感じてる事を過小評価する癖があって、それが災いしたのかな、と。私は、音楽高校・大学と進学し、アメリカでも音楽で大学院も行きましたが、ピアノや弦楽器の人達は、小さい頃から練習を積まなければいけないので、かなり我慢強い、忍耐強い人達が多いのです。その中にいると、それが当たり前になってしまい、ある意味感覚が狂っていたらしい、と、帰国後、闘病しつつも社会を見渡し始めながら気付きました(^^;)
この20代の間、完全に寝込んではいない、でも、並より大分体力が無い、疲れ易い、という所で、低空飛行状態を続けていたようです。アメリカの大きな州立大学の音楽学部での留学生活は、とても充実しているけど、とてもタフではありました。19歳でパニック障害に完全になったので、車の免許を取れておらず、アメリカで、車無しで生活。幸いにも、交通網が発達している方の地域で、バスで生活の基本は出来ました。そして、だんだん友人達が乗せてくれるようにもなって。本当にお世話になりました!
私が勉強していたアメリカの音大には、学業の授業を取らなくても良い "ディプロマコース" が無かったので、師匠と勉強する為には、修士課程で、"academics" と呼ばれる学業の授業でも一定の成績を収め、単位を取らなければいけませんでした。英語もまだ全然なのに、大学院レヴェルの授業を受けて、毎週のように宿題があり、学期末には、10枚の小論文が課されているクラスも多く、いつも、頭が爆発する!殺す気かーーー!とか思いながら、やってました(笑) もちろん、私の中で、メインは、師匠とのピアノの勉強。毎週師匠が真剣に私のピアノに向き合って、真剣に教えてくれ、伸ばして行ってくれるのに、感動しっ放し!日本では厄介者扱い、透明人間扱いされて過ごしてたので…。レッスン後は毎回絶望感に打ちひしがれて、やっぱり辞めた方が良い、と思えるだけで、口惜しいのを通り越して、自分に対する絶望に涙するばかりでしたから、、、、。
師匠との1時間の濃い事と言ったら、、、。そして、レッスン後は希望が持てて、練習する意欲が湧いて。毎回録音して、2年目からは、更に録画もして、次回までに、何度も繰り返し観て聴いてして、レッスン内容を理解し、練習し、出来るだけ会得して。をずっと繰り返した、5年間でした。学業があった、3年間は、ピアノとの両立にヒーヒー言ってて。殆ど、音楽棟とアパートの往復のみで生きてた気がします。病気持ちで体力の無い私には、友達と遊ぶ余裕はほぼゼロ。折角誘ってくれるのに、断らざるを得ず、、、、。3週間に一度くらい、週末2,3日眠ったまま、になり。それで回復して、また立ち上がって、という感じでした。病気持ちの留学生、生活は周りの留学生達とは全然違ってたけれど、健康に良い土地で、先に希望を見出す事を覚えながら、ピアノと勉強に集中出来る。高校入学以来で初めて、自分が生きてる、と実感出来てた期間でした。
沢山の素敵な人達との出逢いに恵まれ、皆のストレートな温かさのお陰で、孤独感も癒され、大学卒業時に植え付けられてしまった人間不信もかなり収まり、修士課程の学業
を終えてからは、日本人コミュニティの集まり等にも積極的に参加して、気軽に友達を作る事を覚えて、表向きは良い方向に進んでるかように思えたけれど。
もちろん、アメリカ生活も全てが順調に行ってた訳ではありません。色々大変な事も多いし、戸惑う事も多い。田舎の学校だったから、留学生といっても、既に何年もアメリカ留学した上で来てる人達が殆ど。英語がスラスラ話せない人達も少ない。皆、とてもしっかりしてる。
病気の症状が、自分の内側では、だんだん頭をもたげていてたようで、周りと自分を比べ過ぎてプレッシャーをかけたり、自分を責めたり。自分が何か汚れた物のような、そんな感触もありました。病気持ちで、並みの事をこなせなくなってしまっている自分と、元気に生活している人達を比べても仕方が無いのに、周りを見ては自分がダメだと思う材料にしてしまっていて。そういうのが、内側で膨らんでいたんですよね。
途中で起こった、自分の師匠も関係する理不尽な出来事に、大きく傷付いてしまい。
そこから、内側で膨らんでた闇の部分、そう、この病のうつの部分が進行していた部分が、大きく私を侵害し出して、まだ、エネルギーはあるものの、生活の質が落ち、諸々の症状が酷くなって行きました。アメリカ生活の最後の2年は、そんな状態になってしまっていました。そして、帰国してから1年後、体調が完全におかしくなり、倒れてから、今だに、アメリカに旅行に行ける体調には戻っていません。。。帰国後半年で、1度、3週間程、住んでた街に"里帰り⁈" したのが最後でした。
パニック性不安うつ病は、薬物治療だけでは、基本的に治らないんです。パニック障害だけだと思ってた私は、抗不安薬と、パキシルという、パニック障害治療に効く抗うつ剤とを途中から飲み続けていただけでした。だんだん、毎日飲むビタミン剤みたいな感覚で飲むようになっていて。更に、新しいお医者さんを探す事に、拒否反応を示していて。治療拒否患者が野放しにされてる、そんな状態になっており、ピアノの師匠には、そのせいで、本当に迷惑をかけてしまいました。倒れてやっと、適切な治療を開始したけれど、まともな治療をしていなかった期間が長かったので、その後、治癒に向かうまでにこれだけの期間がかかっています。病気が進行すると、不信感の塊となり、お医者さんでの治療を拒否するようになってしまう事は良くあるそうです。
実在に私は、発病が高校1年という事になるので、13,4年もの月日を、陰ながら家族以外誰にも言えず、1人で人知れず苦しみ、限界まで行ってしまいました……何年も何年も引き摺った、10年前にアメリカの大学で巻き込まれた一件も、今となっては、かえって、症状を悪化させてくれ、底へ堕ちるまでの期間を早めてくれたので、治療開始が、その事件が無かった場合より早くなった事になるので、良かったと思っています。
長々と自分史を書いてしまいましたが、うつ病と、一口に言っても、本当に色んなケースがあり、お医者さんですら見過ごしてしまい、早期治療を妨げてしまう事が少なく無いようです。
パニック障害に関して言えば、6割くらいの患者さん達がうつ病を併発していると言われているそうです。
不調を感じたら、本当に、まず気軽にメンタルクリニックへ相談に行かれて下さいね。近頃では大分、クリニックの門を叩く壁は低くなったとは思いますが。プライドや、恥ずかしい、というような気持ちで我慢してしまうと、後の人生に悪影響を及ぼし兼ねません。本当に勿体無い事です!特に、うつ病、パニック障害を含む不安障害、は、ちゃんと治療すれば治ると言われています。
私は酷い例になってしまったけど、頑張って、治して、後半人生は、病気から基本的には解放された、自分らしい人生、生きれるようにして、今苦しんでる患者さん達、これから罹患する方々への、何らかの希望のような物にでもなれたら、というのが夢です♪
というのが典型的な症状です。
けれども、パニック性不安うつ病のうつの部分は、"非定型うつ病"といって、色々と、定型と逆の症状が出ます。まず、過眠・過食( 特に甘い物)になり、精神活動の落ち方はそこまで酷く無く、やる気もあるし、面白い、楽しいと感じれる事もあります。また、"気分反応性"と言って、何か嬉しい事、楽しい事があると、病気が治ったかと思えるように動けたりもするのです。逆に、嫌な事があると、途端に気分が沈み込み、動けなくなります。また、私がとても悩まされたのが、"拒絶過敏"と言われる症状でした。
何か人に否定的な事を言われると、凄く落ち込み、自己否定の嵐になってしまうのです。それが、大事な相手だと、"見捨てられ不安"となり、相手に拒絶されて、見捨てられる、と否応の無い不安感に襲われるのです。また後々詳しく書きますが、アメリカのピアノの師匠を、この症状で大分困らせ、悩ませました(-.-;)y-~~~ やっと見つけた師匠で、師匠を頼って、不調を抱えた身で渡米し、希望をくれる存在だったので…
精神症状については、"自分に精神力が無いから""弱いから""自分には他の人達にはある物が根本的に欠けてるから"
と、性格や性質のせいだと思ってました。身体症状については、"パニック障害の症状で疲れてるから" と思ってたのです。
今から思えば、大学時代から、はっきりと、この非定型うつ病の症状が表れ出していました。身体が怠くて怠くて仕方が無く、いつも眠くて、明らかに体力が、並みの同世代よりかなり低く、休息常に必要で。大学4年生の時、ピアノにおけるストレスが募った事から、体調が落ち出し、卒業時には、人間関係でトラブり、一時期、"定型うつ" の症状が出たようです。その時は、パニック発作が再発、頻発して、痩せて行き。生気を失っていました。アメリカ留学の話が出て、休養に入ったら、今度は、"非定型うつ"の過食が始まり、甘い物の"ドカ食い"、をしてたのを覚えてます。頂き物の洋菓子の箱半分を1日で食べてしまったり…
ただのストレス症状だと思って見過ごしてました、、、。
実際に渡米したのは、師匠が誘ってくれてから、2年後でしたが、思い返すと、その間に、9キロ体重が増えていたんですよね。それまでの基本体重より4キロ増だったから、ピンと来て無かったけど、基本より5キロ痩せてたんでした、、、
今だに悩まされてますが、兎に角身体が怠くて怠くて仕方が無かったです。でも、非定型うつ病の存在を知った後すら、それが"鉛様麻痺" だったとピンと来なかったです。怠いけど、鉛のようにどうしようも無くは無いし、、、と。
でも、実は、今頃、やっと、実感出来るようになってるのです(笑) というのも、怠い日もあるけど、身体が軽い日も
あるようになって。その軽さを知って初めて、"どんだけ重かったの〜〜!!" とわかる、という、、、。小さい頃から、性格的に、自分が辛い、しんどいと感じてる事を過小評価する癖があって、それが災いしたのかな、と。私は、音楽高校・大学と進学し、アメリカでも音楽で大学院も行きましたが、ピアノや弦楽器の人達は、小さい頃から練習を積まなければいけないので、かなり我慢強い、忍耐強い人達が多いのです。その中にいると、それが当たり前になってしまい、ある意味感覚が狂っていたらしい、と、帰国後、闘病しつつも社会を見渡し始めながら気付きました(^^;)
この20代の間、完全に寝込んではいない、でも、並より大分体力が無い、疲れ易い、という所で、低空飛行状態を続けていたようです。アメリカの大きな州立大学の音楽学部での留学生活は、とても充実しているけど、とてもタフではありました。19歳でパニック障害に完全になったので、車の免許を取れておらず、アメリカで、車無しで生活。幸いにも、交通網が発達している方の地域で、バスで生活の基本は出来ました。そして、だんだん友人達が乗せてくれるようにもなって。本当にお世話になりました!
私が勉強していたアメリカの音大には、学業の授業を取らなくても良い "ディプロマコース" が無かったので、師匠と勉強する為には、修士課程で、"academics" と呼ばれる学業の授業でも一定の成績を収め、単位を取らなければいけませんでした。英語もまだ全然なのに、大学院レヴェルの授業を受けて、毎週のように宿題があり、学期末には、10枚の小論文が課されているクラスも多く、いつも、頭が爆発する!殺す気かーーー!とか思いながら、やってました(笑) もちろん、私の中で、メインは、師匠とのピアノの勉強。毎週師匠が真剣に私のピアノに向き合って、真剣に教えてくれ、伸ばして行ってくれるのに、感動しっ放し!日本では厄介者扱い、透明人間扱いされて過ごしてたので…。レッスン後は毎回絶望感に打ちひしがれて、やっぱり辞めた方が良い、と思えるだけで、口惜しいのを通り越して、自分に対する絶望に涙するばかりでしたから、、、、。
師匠との1時間の濃い事と言ったら、、、。そして、レッスン後は希望が持てて、練習する意欲が湧いて。毎回録音して、2年目からは、更に録画もして、次回までに、何度も繰り返し観て聴いてして、レッスン内容を理解し、練習し、出来るだけ会得して。をずっと繰り返した、5年間でした。学業があった、3年間は、ピアノとの両立にヒーヒー言ってて。殆ど、音楽棟とアパートの往復のみで生きてた気がします。病気持ちで体力の無い私には、友達と遊ぶ余裕はほぼゼロ。折角誘ってくれるのに、断らざるを得ず、、、、。3週間に一度くらい、週末2,3日眠ったまま、になり。それで回復して、また立ち上がって、という感じでした。病気持ちの留学生、生活は周りの留学生達とは全然違ってたけれど、健康に良い土地で、先に希望を見出す事を覚えながら、ピアノと勉強に集中出来る。高校入学以来で初めて、自分が生きてる、と実感出来てた期間でした。
沢山の素敵な人達との出逢いに恵まれ、皆のストレートな温かさのお陰で、孤独感も癒され、大学卒業時に植え付けられてしまった人間不信もかなり収まり、修士課程の学業
を終えてからは、日本人コミュニティの集まり等にも積極的に参加して、気軽に友達を作る事を覚えて、表向きは良い方向に進んでるかように思えたけれど。
もちろん、アメリカ生活も全てが順調に行ってた訳ではありません。色々大変な事も多いし、戸惑う事も多い。田舎の学校だったから、留学生といっても、既に何年もアメリカ留学した上で来てる人達が殆ど。英語がスラスラ話せない人達も少ない。皆、とてもしっかりしてる。
病気の症状が、自分の内側では、だんだん頭をもたげていてたようで、周りと自分を比べ過ぎてプレッシャーをかけたり、自分を責めたり。自分が何か汚れた物のような、そんな感触もありました。病気持ちで、並みの事をこなせなくなってしまっている自分と、元気に生活している人達を比べても仕方が無いのに、周りを見ては自分がダメだと思う材料にしてしまっていて。そういうのが、内側で膨らんでいたんですよね。
途中で起こった、自分の師匠も関係する理不尽な出来事に、大きく傷付いてしまい。
そこから、内側で膨らんでた闇の部分、そう、この病のうつの部分が進行していた部分が、大きく私を侵害し出して、まだ、エネルギーはあるものの、生活の質が落ち、諸々の症状が酷くなって行きました。アメリカ生活の最後の2年は、そんな状態になってしまっていました。そして、帰国してから1年後、体調が完全におかしくなり、倒れてから、今だに、アメリカに旅行に行ける体調には戻っていません。。。帰国後半年で、1度、3週間程、住んでた街に"里帰り⁈" したのが最後でした。
パニック性不安うつ病は、薬物治療だけでは、基本的に治らないんです。パニック障害だけだと思ってた私は、抗不安薬と、パキシルという、パニック障害治療に効く抗うつ剤とを途中から飲み続けていただけでした。だんだん、毎日飲むビタミン剤みたいな感覚で飲むようになっていて。更に、新しいお医者さんを探す事に、拒否反応を示していて。治療拒否患者が野放しにされてる、そんな状態になっており、ピアノの師匠には、そのせいで、本当に迷惑をかけてしまいました。倒れてやっと、適切な治療を開始したけれど、まともな治療をしていなかった期間が長かったので、その後、治癒に向かうまでにこれだけの期間がかかっています。病気が進行すると、不信感の塊となり、お医者さんでの治療を拒否するようになってしまう事は良くあるそうです。
実在に私は、発病が高校1年という事になるので、13,4年もの月日を、陰ながら家族以外誰にも言えず、1人で人知れず苦しみ、限界まで行ってしまいました……何年も何年も引き摺った、10年前にアメリカの大学で巻き込まれた一件も、今となっては、かえって、症状を悪化させてくれ、底へ堕ちるまでの期間を早めてくれたので、治療開始が、その事件が無かった場合より早くなった事になるので、良かったと思っています。
長々と自分史を書いてしまいましたが、うつ病と、一口に言っても、本当に色んなケースがあり、お医者さんですら見過ごしてしまい、早期治療を妨げてしまう事が少なく無いようです。
パニック障害に関して言えば、6割くらいの患者さん達がうつ病を併発していると言われているそうです。
不調を感じたら、本当に、まず気軽にメンタルクリニックへ相談に行かれて下さいね。近頃では大分、クリニックの門を叩く壁は低くなったとは思いますが。プライドや、恥ずかしい、というような気持ちで我慢してしまうと、後の人生に悪影響を及ぼし兼ねません。本当に勿体無い事です!特に、うつ病、パニック障害を含む不安障害、は、ちゃんと治療すれば治ると言われています。
私は酷い例になってしまったけど、頑張って、治して、後半人生は、病気から基本的には解放された、自分らしい人生、生きれるようにして、今苦しんでる患者さん達、これから罹患する方々への、何らかの希望のような物にでもなれたら、というのが夢です♪