これは、私の病状の変化と、闘病と、そして、回復への過程において、1つの要となる大きな要素で、この事を語らずに病気の話は本当には出来ない、という程、私を、そして、師匠をも悩まして来ました。

"拒絶過敏" と、"気分反応性"というのは、パニック障害との併発で起きるうつ病のタイプ "非定型うつ病"に特徴的な精神症状だそうです( 下記リンク参照)。他人から言われた些細なひと言や、態度に異様に過敏に反応して、気分が酷く落ち込んだり、過剰な不安感を持ったり、して、酷くなると、動けない、寝込む、となってしまいます。

この症状が、ベースにはずっとあったのですが( 当時は寝込みませんでしたが、自分の内側は嵐の様でした…)、アメリカのピアノの師匠との間にだけ、他の誰との関係よりも顕著に現れて、私がお医者さんの元でちゃんと治療を始めれるまでの間、師匠と自分自身を悩ませ続けました(^^;)
ずっと、何故師匠との間だけこんなに酷いのか、と、悩ましかったのですが、ここ数年で、完全に謎が解けました。"楽器の先生"だからなのです。というのも、師匠を通じて、日本人で、日本の音楽業界でとても著名な、別の楽器の先生に色々とお世話になるようになりました。師匠と長年に渡り、お仕事を一緒にして来たその先生は、私に、出逢った時からとても良くして下さり、音楽面でも沢山アドヴァイス下さり、今では、第2の師匠、と言っても過言では無いような存在になって下さっています。その先生に、で出したのです!(^^;) アメリカで師匠に出ていたのと同じ様な症状が出て、同じ様な感情を抱くのです。。。もちろん、当時より、病気は良くなっているので、程度は軽くはありますが、同種だというのは、ハッキリ自覚出来ます。
そして、また、その先生も、最後、私の健康状態を引き上げるのに、病気を回復させるのに、大きく貢献して下さっています。多分ご本人余り自覚は無いかと思いますが(笑)
その先生も、訳わからんと多分思いつつ、時々出ちゃう私のその症状、耐えて下さるのです(泣)

私の病気が音楽高校で発症したお話は前にさせて頂きました。まだ、自己と言うものの成長が未発達、未成熟な、不安定な年頃です。聞いた話だと、脳の中の前頭葉、という、自己認知や、自己制御、といった事を司る部分の発達は遅く、10代後半はまたまだで、25歳くらいまでかけて成長するんだそうです。だから、高校生はまだまだ未熟で危険を多く孕んでおり、大人からすれば、"とても扱い難い" のです。そう、私の病気は、前頭葉の機能の低下によるもの、と言われています。音楽高校、という特殊な環境の元、また、自分の先生だった個人レッスンの先生の元で、その成長過程を酷く妨げられたようです。後々には、"拒絶過敏"で、"些細な事"に過剰に反応するようになる訳ですが。高校生時代は、全くもって、実際に、"些細な事" では無い"とても大きな事"で、否定の嵐を受ける事になってしまっていました。私のピアノの先生は、私が5歳になる直前にピアノを始めた時からの先生でした。これは、この世界で結構良くある話で、傷付けられている人達も多くいるかと思いますが。私の先生は、私の事を、かなり早い時期からから、音楽高校に入学させる事を狙って、教えていたようです。私の意思とは関係無く、自分の生徒を、自分が教えている音楽高校へ入学させた、という成績稼ぎの為です。入学するまでは、飴とムチ、を使って、巧みに私を洗脳にかけ、音楽高校を受験するように仕向けたようです。まんまと引っかかった私は、音楽はもちろん好きではあったので、入学してしまいました。が、、、。前にお話したような現実が待っていました。只でさえ、15歳の少女には辛い状況でした。そこに、輪をかけたのが、自分の先生でした。私が高校で成績を上げられない、となったら、掌を返して、私を色んな面で責め出しました。要するに、"責任逃れ"の為にです。私が上手く行ってないのは、先生の責任では無い、とする為に、兎に角私の所為にし出し、レッスンでは、毎回、嫌な事ばかり言われていたと思います。内容を教えるレッスンでは無く。他の門下の生徒さん達と比べて、私は練習を頑張って無い。貴方のこういう性格が良く無い。自分の生徒が、しかも最初から教えた生徒がビリでは、自分の面子は丸潰れだから、私にその責任をなすりつける事で自分の保身に走ろうとしていました。そして、私は、その罠にもハマり…。相手が意図的に私の所為にしているのを、撥ね付けられ無くて、受け取ってしまっていたようです。懸命に、無視してた積りだったんですが、、、。
この年頃の子達は、脆いので、何かが上手く行かないと、全人格を否定されたように思ってしまうのは、よくある事だと聞きます。正しく、その罠に陥りました。音楽高校時代、実技試験の成績は、明らかにビリな点数。自分のここが駄目だから、あそこが駄目だから。全て自分の欠点を洗いざらい曝け出さされて、ピアノが上手く行ってないのは、自分に変えようのない欠点があるから、全て自分のせいだと思えて、自己否定の矢がグサグサ刺さる中で生きている感じでした。実際に、勝てば官軍、じゃないけど、"演奏が上手ければ全て許される" "演奏の出来がその生徒の人間的価値" と、いう態度の先生達がとても多く、学校自体にその風潮がありました。高校3年間で思い込まされてしまったその感覚が、まるで、頭の中に、何かチップを埋め込まれたように、どう足掻いても払拭出来ず、その後の人生を過ごす事となりました。大きな大きな足かせとなっていたのです。

そう、アメリカへ留学を決めたいきさつの所でお話した事からもわかるかと思いますが、アメリカの師匠の姿勢は、そういう先生達とは全く違い、私を1人の人間として、まず、尊重してくれているのが、感覚的にわかりました。そして、師匠は、表面上の私の演奏では無く、私の演奏の中に師匠には見えたらしい、"何か特別な音楽的才" があったそうです( 取り敢えず、師匠談、個人的にです(笑))。それを、技術的トラブルや、メンタル面での考え方、発想が、邪魔している。師匠の目には、そこを教えて、そのバリアを外して、私が内に秘める物を楽器で表現出来るようになるお手伝いをしたい、そんな風に思ってくれたようです。
全く同じ、私、というピアノの生徒の演奏を聴いても、全く違う捉え方をしてくれる先生が世の中にいる。私はそれを即座に察知していたんだと思います。師匠が誘ってくれた時から、師匠の元で学びたら、という気持ちに微塵の迷いも無かったです。
大学時代の教授は、実は、私の中にある何かを認めては下さっていたのですが、結局、私が抱える欠陥が大きく、教授の手には負えない物でした。すると、その欠陥は、結局、私の"努力不足"のせいだとなり、結局責め続けられた大学生活でした。概して楽器の先生方には、生徒が上手く行かなかった時に、保身に走って生徒を責める傾向にある場合が多いように見受けられました。
7年間、否定される事しか無く過ごしている中で。"演奏が良ければ良い" と、しかも、一定の技術の側面だけが評価される環境下で、自分を全否定してしまうようになってた私には、師匠は、初めて、私の事を"肯定的に"見てくれ、扱ってくれた楽器の先生でした。私を基本的に肯定した中で、課題に、問題点に取り組んで行く、そういう姿勢で教えてくれてました。私の中には、病気もあり、高校で埋められてしまった、"自己否定のチップ"が埋められているので、自分では兎に角自己を否定しまくってしまうので、肯定的な言葉をかけてくれる師匠が、有難すぎて、病気の症状である、"依存的になる"というのが、顕著に出てしまい。師匠に肯定的な、励ましの、安心させる言葉をかけて貰う事に頼り過ぎるようになってしまいました。そして、逆に、それを貰えないと、不安で仕方が無くなってしまうようになってしまったのです。

楽器のレッスン、というのは、基本的には、常に課題、問題点に取り組んで行く、そういう場所です。"拒絶過敏"が酷く出ていた私には、基本的には相性の悪いシチュエーションです(^^;) 師匠は、とても巧みに、私に肯定感を与えながら、進めて行ってくれてましたが、それでも、問題点を指摘されたら、過剰反応起こしたり、無駄に落ち込んだり、気にし過ぎたり、となり、また、その症状を、症状とは気付かず、師匠に自分の感じる事をメールで訴えるようになりました。寛大な師匠は、"そうやって言ってくれた方が、僕も、対処法を考えれるから、有難い"なんて、涙目ちょちょ切れる事を言ってくれてましたが…だんだん、私がエスカレートして、そうやって書いたメールに、師匠が忙しくて返信が来ないと"拒絶過敏"が出て、否応の無い不安感に襲われて、返事を催促してしまったり、と。本当に忙しい大学教授ですから、いちいち相手にしていられず、困っていました(^^;) それでも、頑張って出来るだけ相手をしてくれ、安心させるよう努めてくれてましたが。
そして、師匠は、"independent ◯◯( 私の名前)"を育てるのが、僕のプロジェクトだ、と言うようになりました。でも、実は、それが、"拒絶過敏"の性質上、逆効果になってしまったのです。"君は依存的になり過ぎてる" と言われると、"自分が自立出来ていない、大人として駄目な人間だと言われた"と曲解してしまい( まぁ、事実ですが、病気の症状で、私の人格とは別なのです、実は)。。。お互いに、病気の症状だと知らないから、平行線を辿るばかりで。お互いに、一体何が起こってて、どう対処したら良いのかわからない、という感じでした。

私のアメリカ生活2年目。2年目の後半期、師匠は、"サバティカル"という、7年に1度アメリカの大学教授が与えられる、有給のお休みの学期を取ることになっていたのです。師匠を頼って、師匠とピアノを勉強する事を第一の目的にアメリカ生活を病状と闘いながら送っていた私は、なかなか受け容れる事が出来ず。そして、その間師匠の代わりに教えてくれる別の先生に習いなさい、と言われて。私は、"違う先生のレッスンを受けるのは嫌です。師匠が月1でもレッスンしてくれませんか?"と、交渉しようとし続けていて。結局、後期の始まる前の月に、師匠の説得に落ち、その先生のレッスンを一学期受ける事になりました。
この事のやり取りが始まった、2年目の前半期から、私の、"拒絶過敏"の症状と、そこから来る異様な不安感に襲われるようになり、、、、。
今では大分マシになってくれたものの、最近あった出来事で誘発され、少し久々でしたが、しっかり、この症状で師匠を悩ましてしまいました(^^;)(^^;)12年経ってるんですけどね、、、、、、

課題は、師匠の助けが無くても、自己肯定感を自分で保てる状態になる事、です。今、大分育って来ているのは感じています。なので、普段は、師匠にその症状を出す事は、かなり少なくなっています。
その自己肯定感は、初めの、"朝起きれるようになった"という話の時に触れた、ある本との出会いが、更に強めてくれました。師匠は、私の心の傷が何なのか、良くわかっていて、自信を持たせようとずっと頑張って来てくれてたので、その本を読みながら、私が過去の大きな傷口と対面し、そこを手当てしていくのを、頑張って手伝ってくれていました。"ここが大事"と思ったポイントの時は、サポート体勢をグッと強めてくれるのは、師匠のやり方です。私のその過程を聞きながら、アドヴァイスしてくれながら、"君から本当に沢山の事を学んでいる" なんて、又涙ちょちょ切れる事を言ってくれてました。
その作業のおかげで、この数ヶ月、私から過去からの影が消え、ずっと見て来た家族は、私が( 底抜けに⁈(笑))明るくなった、ととても喜んでいます。

それが、この半年、師匠も関係して程巻き込まれた事が余りにストレスフルで、更に期間が長かったので、私のキャパを完全に超えたらしく。更に、その事に終止符が打たれようとしたタイミングで、今度は、師匠の身に何かがあり、"暫く、メールを書いて来ないでくれ" と言われまして。その1週間前には、師匠の来日が終わり、"君からの便りを読むのを楽しみにしてるよ" なんて言ってくれてたから、何が何だかわからず。更に、巻き込まれてた事で疲れ果ててた私は、完全にコントロールを失い、冷静に考える事が出来なくなってしまいました。"今ちょっと頭が一杯になる事抱えてるから、余裕が無いんだ" と、暫くして言ってくれたのに。私の中で、"師匠のサポートを失うかもしれない!"という、不安と恐怖に完全にヤられてしまっていました。。。最後に師匠にぶちギレられて(笑)、やっと我が身を振り返る事が出来、"これは脳の状態が完全にヤられて、オーバーヒートして制御不能になってる。こういう時は、自宅安静。おねんねウィークで睡眠取りまくって、鎮静化しか無いんだつた、、、" と、全て忘れて、放り投げて、休息モードに入ったら、だんだん落ち着いて来てくれました。

まぁ、こんな特殊な状況-かなり非日常な出来事に巻き込まれまくって、消耗仕切る。限界に来てた時に、師匠の身に何か、又非日常な事が起こり、態度を急変される( 今まで、こんな事殆どありませんでした、因みに…)
なんて事にならなければ、こんな症状出さない状態まで回復してる筈なんですが。。。
そうだと信じたいですね(^^;)
7年も治療頑張って来たのですから!!また、これから書いて行きますが、私には、"認知行動療法"という、やっと、一般にも最近知られるようになって来た心理療法が1番効いてくれています。最初に出逢ったお医者さんは、アメリカの最先端でその勉強をされて来ており、重要性を良くご存知だったので、今の医療システムの中で可能な限りのやり方で、施して下さいました。その先生の元で2年みっちり。そして、その先生が、まだお若いのに、不幸にもお身体を大きく壊され、閉院されてしまい。先生の、"お医者さんが認知行動療法をやってくれるのがベスト" という最後のアドヴァイスを元に探して、今のお医者さんに出逢いました。大きな大学病院で、この治療法の研究をされており、"被験者" として、特別、お医者さんから、しっかり治療して頂ける環境にまた、辿り着けたのです。そのお医者さんの元でも月1で2年程。その後、経過観察今2年経ちました。この治療法を出来る腕をしっかり持ってるお医者さんに、4年間も診て頂けた、というのは、今の日本の精神医療の現状では、とても幸運でした。そして、側で、サポートを続けてくれる、1番の理解者の師匠。そして、家族も全力サポート体制でいてくれて。7年前出逢ったそのお医者さんに言われた事がありました。"君は、サポート体制が万全だから、大丈夫!" と!当時は、師匠の奥様も、師匠と一緒に日常的にサポートして下さってて、本当にお世話になりました。私がアメリカ滞在中に師匠が再婚した今の奥様は、元々、音楽療法を大学で専攻され、後に、大学院では、精神医学におけるソーシャルワークを学ばれており、病院の精神科の救急でソーシャルワーカーとして働いていらしたのです、過去に。後に、私を救って下さったお医者さんを見つけて下さった、臨床心理士さんは、師匠の奥様が働いていた病院で同僚だった方で、腕が確かだから、と、背中を押して、彼女に会いに行くように勧めて下さったのです。

我ながら、師匠をあの時ゲットしたのは(笑)、"よくやった!" と、若い時の自分を褒めてあげたいです。青白く、痩せ細って(^^;)、瀕死の人みたいになってた時に、感が働いたのかなぁ、と。

今になると、例えば、師匠が、私の症状に耐えられずに見離したとしたら、私は危なかったかもしれないのですが、師匠は、私が倒れて、エラい事になって、症状も酷くてカオスだった時にも、奥さんと共に、辛抱してくれました。その時は、腕の良いお医者さんにもちゃんとかかれていたので、安心感はあったとは思います。

"師匠が私の症状に耐えれた"、という事実は、私を回復に導くのに、本当に大きな力となってくれています。今、ちょっとの間だけ、お休み中ですが、倒れて7年間、そして、私の症状が出だして12年間(!!)、その忍耐力たるや、もう、脱帽、です!
"楽器の先生達" によって付けられてしまった傷だからこそ、"楽器の先生である師匠" が、しかも、私に傷を付けた先生達とは雲泥の差の力量を全てに持っている師匠が、"私を肯定してくれている"、これが、私の中に埋め込まれた自己否定のチップの力を弱めて、"自己肯定のチップ
"に、入れ替えるお手伝いをしてくれているんですよね。

でも、師匠にもいつも言われていますが、最終的に、自分を治せるのは自分です。自分で、自分の中に、自分自身の力を見出して、そこに自信を持てるようになる事が、最終的な目標です。自分で自分に価値を見出せるようになる事。いつになったら出来るのかしら、、、、
大分、良い所まで来てる、という感触はありますが、まだまだ不安定感が強いんですよね(^^;)

大分長い記事になっちゃいました。文章を纏める能力、早く戻って欲しい物です!読んで下さる方々へのご負担が軽くなるよう………