今回と次回はブログの進行にも少しは関わってくると思うので、3月渡比までのわたしの日本での動向を記事にすることにした。フィリピンネタではないので、予めご了承ください。
2023年8月上旬
わたしの母がコロナに感染し回復はしたのだが、それ以降食欲を無くし調子が悪かった。わたしが8月下旬に帰郷した際には倒れて救急車を呼ぶ事態となった。それから入退院を二度繰り返したが診断しても体はどこも悪くないということで11月下旬に退院することなった。12月から母の姉妹、私と兄に救急車要請の電話が母から頻繁になる。初めは母の苦しそうな声にわたしもびっくりして東京から救急車を呼んだが、病院で診断してもらったらケロっとした感じで家へ戻ったそうだ。
ネットで母に思い当たる症状を検索したらどうやら心気症と呼ばれる症状のようだ。わたしは母の周囲の人がお手上げ状態になっていた。苦肉の策で地元後輩の市議にお願いし精神病院を紹介して貰う事にした。しかし今度は認知症が出始めたばかりの母は怒って「私をき⚪︎がい病院に入れた」「すぐここから出さないと死ぬ」という内容の電話が頻繁に掛かって来るようになった。
そんな母が可哀想だったので、わたしは兄と話し合って今度は老人マンションを賃貸契約し精神病院から1月中旬に移すことにした。精神病院の主治医からは「早まるな」「要介護3が認定されるまで待て」と言われたが、母の意思を尊重することにした。
老人マンションに引越してから10日も経たない頃、母に要介護3が認定された。その直後マンションのケアマネから退去してグループホームに移ることを勧められた。老人マンションの入居条件は自分でお風呂に入ったり洗濯したり自立して生活できる能力がなければならないのだ。せっかく母が老人マンションに慣れてきてたし私たち兄弟も自由に会いに行けたので好都合だったのだが、グループホームとなるとそうはいかない。
わたしは何度も母を東京の自宅で引き取ろうと考えたが、認知症を抱えた老人を仕事をしながら面倒を見るのは不可能に近い。老人マンションに引越してからひと月も経たない2月下旬にグループホームの待機者のためにある小規模多機能ホームに母を移した。わたしがホームに母を一人残し去ろうとした時に、母が不安そうにこちらを見ながら呆然と立ち尽くしている姿を見たら涙が吹き出してきた。わたしは母を捨てたのだと。
入院費用、老人マンションの賃貸代、母の住んでいた実家アパートを引き払ったりで1月から3月までに東京-九州を5往復しまあまあの金銭的ダメージを負ったが、まあ仕方ない。
最愛という言葉はわたしの中では母のためにある言葉だ。
現在はグループホームにて母の状態も落ち着いて平穏に暮らしている。
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