ショパンは亡くなる前に「私が死んだらモーツァルトのレクイエムで送ってほしい」と言い残し、実際の葬儀ではその希望どおりにモーツァルトのレクイエムが奏でられるなか、多くの参列者に見送られたといいます。ショパンはさぞや満足し、心安らかに天国に召されたことと思います。皆さまには、ご自分の葬儀で流してほしいと思う音楽がおありでしょうか、あるとしたらどんな曲でありましょうか。

 ところでレクイエムは「安息を」という意味の鎮魂歌であり、キリスト教の死者のためのミサとしてすでに中世に成立していました。本来はそうした実用の音楽だったわけですが、その後、オーケストラを伴った芸術音楽としても作曲され、数々の作品が生み出されました。その中で三大レクイエムとして知られるのが、モーツァルトヴェルディフォーレの作品です。

 そして、ここで触れたく思いますのが、フォーレのレクイエムです。フォーレはドビュッシーやラヴェルの少し先輩にあたるフランスの作曲家です。レクイエムを作曲したきっかけは父母の相次いだ死によるともいわれますが、彼が残したスケッチには「私のレクイエムは、特定の人物や出来事を意識して書いたものではない」と記されており、「あえて言えば、自分自身の楽しみのため」とも。

 また、初演時には、曲調が斬新すぎることや、死者のミサには必須とされた『怒りの日』の典礼文を欠いていたために、異教徒的だとか、死の恐ろしさが表現されていないなどの批判を浴びたといいます。これに対してフォーレが語ったのは、「私のレクイエムは、死に対する恐怖感が表現されていないと言われ、この曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他ならないのです」

 そんなわけで、フォーレのレクイエムは「死」という重い題材の音楽であるにもかかわらず、辛く悲しい気持ちを癒すというより、穏やかで明るい静かさに満ちています。ここに込められた死生観といいますか、「死」に対して抱く想いは、実は私もフォーレと同じようにありたく思うところです。すなわち「死」とは永遠の安らぎ、休息である、と。もっとも、あくまで順調に天寿を全うできての話ですけどね。不本意な死は嫌です。

 愛聴盤は、もはや定番といってよい、ミシェル・コルボ指揮、ベルン交響楽団ほかによる1972年の録音です。女声合唱とソプラノ・ソロ、少年合唱、ボーイ・ソプラノが用いられ、実際の教会でのミサを思わせるような敬虔な演奏です。また、とても50年近くも前とは思えないほど、繊細で透明感あふれる優秀録音だと思います。静かな夜の時間に、じっくり耳を傾けられてはいかがでしょうか。