いつものことだが
春が来てエゴの花が咲くと
思い出す
「道の辺の いちしの花の いちしろく
人皆知りぬ 我(あ)が恋妻は」
道の辺のいちしの花 については
ギシギシ・イタドリ・クサイチゴ・エゴノキ・ヒガンバナ
などいろいろな説があるが
昭和23年の「アララギ 九月号」で牧野富太郎博士が
「万葉集のイチシはたぶん疑いもなく
このヒガンバナ、すなわちマンジュシャゲの古名であったろうと決めている」
としているとのこと「大和路 万葉の花暦」。
それ以降、
いちしの花は曼珠沙華という説が多くの人に支持されるようになった。
曼珠沙華は温帯性の植物なのか
沖縄では群生しているところがない。
時にお寺の庭を賑わすこともあるが
年を経るにつれ少なくなり消滅してしまう。
曼珠沙華は真っ赤な花を空に向かって咲かすので
恋多き女性「カルメン」を連想させる。
ayumuは、「我が恋妻」が曼珠沙華のような花であってほしくないと思っている(笑)
手持ちの「花万葉集 杉本苑子・相馬大」に当たってみると
壱 師の花はエゴノキの花だとしている。
その論拠として、万葉集と同じ時代の歌。
道の辺のいちしの原の白妙のいちしろくしも我れ恋ひめやも…歌経標式8世紀
をあげている。
エゴノキは道野辺に生える木で
春になると、若草色の葉の中に白い花が咲き
道行く人の心を和ませる。
朝一番で林道を行くと
夜露に濡れたエゴノキの白い絨毯に出逢った
上を向いている花横を向いている花うつぶせの花などなど
思い思いの姿で座している。
近くのせせらぎでは
流れに任せて流れくる花に
無精な山友もしばらく足を止めて見入った。
まさに壱 師(エゴノキ)の花の いちしろく である。
琉歌に
流りゆる水に桜花浮きて 色美らさあてどすくてんちゃる
がある。
読み:ながりゆるみじにさくらばな'うきてぃ いるじゅらさ あてぃどぅ すくてぃんちゃる
歌意:流れている水に桜花を浮かべて 色美(清)しいのですくいました。
「道のべのいちしの花のいちしろく」と何処か重なるところがあるので
紹介しました。