地域の役員の仕事をしている母が、先日近所の公立中学校の入学式に招待された。
我が家には娘が3人いるのだが、一人もこの公立中には進学しなかったので母としてはこの学校に対する思い入れもほとんどなく、できれば小学校の卒業式の方に参加したかったわ、とぼやいていた。
帰ってきた母から聞いた話によれば、とある小学校では卒業生女子の3分の1しかこの中学に進学しなかったそうである。つまり、1学年の女子のほとんどは中学受験をしたということだ。首都圏における中学受験率の高さは過熱を極めていると兼ねてより知ってはいたが、具体的な数字を聞かされて改めてびっくりしてしまった。
中学受験をしているということは、その子ども達は塾に通っていたということだろう。塾に通うということは、遊びたい盛りの放課後や休日にかなりの時間とエネルギー(そしてお金)をかけたということである。これは、家庭にとって、何よりも子ども本人にとって大変なことである。私自身も中学受験を経験しているし、現在は中学受験塾の先生なんぞをやっているので、よく分かる。世間の人も同じように考えているらしく、これは問題視されている現象の1つであると認識されていることが多い。
何故このようなことが起きているのか、についてはさんざん議論されているので真っ向から取り組むつもりはこの文章の中においてはない。ただ、なぜこんなにも多くの子どもが塾に通うのだろう、という問いに対して、理由を一つ思いついたので書きとめておこうと思った。何かを批判するつもりは無いので悪しからず。
学習指導要領(義務教育の中で学ぶ内容を定めたもの)によると、学校教育においては知識の詰め込みではなく、問題解決能力や思考力、判断力、表現力を学ぶことが重視されている。先生が黒板の前に立って教え込むのではなく、積極的に教室の外に出て色々な体験活動をすることが、これからも教育には必要である、と書いてある。つまり、キーワードを暗記することよりも、自分の中から生まれた「なぜ?」に向き合ったり、何かを作ったり発表したり、時には遊びや友だちとの関係の中で自由にものを考えさせることが想定されている。
この文章を読んでみると、先生が話しているだけの授業よりも、色んなことを体験したり表現したりする活動の方が楽しそうに思えてこないだろうか。そう、学校とはみんなが楽しく学ぶことが一番大事なのだ。その為に大人たちは一生懸命頑張っている。これは間違いない。
それに対して塾は、先生が黒板の前に立って話す講義形式の授業以外の授業はほとんど行われない(最近の塾は多様化しているので、体験に比重が置かれたものも存在しているみたいだが)。塾は、学校のような公の組織ではなく商業的な組織なので、お客さん、この場合は保護者と子どものニーズに応えてお金を稼ぐことがその目的である。だから、塾ごとに目的は微妙に異なるが、大半は「成績を上げる」「受験に合格する」という成果を出すことが目的になっている。だから、どんな力をつけよう、とか楽しませよう、とかは究極的に考えれば二の次なのである。こうやって考えると、塾は教科書に書いてあることをただ頭の中に詰め込んでいくだけのつまらない場所のように思えてくる。
ところが、実際に子どもに聞いてみると「塾の授業は面白い」という感想が思った以上に多いのである。これは、私の身近だけの話なのであまり一般化はできない。
しかし、塾に通い続けるというのは本当に大変なことである。朝8時から15時まで学校に行って、16時くらいから20時、21時まで塾に通うなんて、忙しい社会人と同じスケジュールだ。もし、塾で過ごす時間が味気ないだけだったら、こんなハードスケジュールを送るのは「成績をあげたい」「受験に合格したい」という目的があってもなかなか難しいのではないだろうか。
私は、子ども達があんなにも塾通いをしても平気なのは、そもそも「塾が楽しい」という側面もあるのではないかと思っている。
学習指導要領の中では塾のような教え込みの指導法はほとんど否定されている。恐らく、実際に私たちの印象でも塾はガチガチに勉強だけをやる自由のない堅苦しいところだというイメージがある。では、そんな塾のどこに子どもを惹きつける魅力があるのだろうか。
私は最大の違いは「教える人」にあるのではないかと考えた。
まず、小学校の先生と塾の講師。そもそもどんな人間がそれぞれの仕事を担っているのか考えてみたい。
小学校の先生の正体はとても分かりやすい。 小学校の教員免許は大学の教育学部で所定の単位を修めないととることができないので、大学の教育学部を卒業した人である。または、別の学部を出た後に別の仕事をしたりしながら改めて免許を取得した人である。
それに対して、塾の先生は資格が必要ない為、実に様々である。正社員の先生もいるが、結構な割合で非正規雇用、つまりアルバイトの先生が存在している。実態についても、現役の大学生、主婦、フリーターまで様々だ。これは私自身の実感だが、最も多いのは大学を卒業した後に別の仕事に就くことを希望したものの、収入が安定しない為に塾講師をしている人々である。珍しい仕事だと、漫画家、お笑い芸人、イラストレーター、小説家、DJ、ピアニストなどがいた。
が、やはり塾の先生は勉強を教える仕事なので、希望している仕事が「勉強」に関わっている人が最大勢力である。例えば、研究職、司法浪人、会計士浪人である。ただ、塾の先生は自分の素性は絶対に明らかにしない。
こんなことを言うと怒られるかもしれないが、塾で働いている人達はいわゆるエリートではない。正確には元優等生だろう。優等生だったけど、安定した人生のコースから途中で降りてしまった人達である。塾通い=優等生というイメージを子どもの視点からは持ちがちだが、エリートは実は小学校の先生の方だったりする。なぜなら、順風満帆に安定した人生を送っている人がとても多いからだ。
こういった視点から見ると、小学校の先生と塾の先生、どちらに教わるのが面白いだろうか。当たり外れは大きいが、塾の先生のほうがバラエティに富んでいる分面白そうだと私は思う。
次に、「学問」の観点から見てみよう。小学校の先生の大半は大学の教育学部、つまり先生になるための勉強をしてきている人である。塾の先生の中には、何かやりたい勉強があって大学院で研究をしている人がとても多い。
ここで思い出してほしい。小学校においても塾においても私たちが学ぶ勉強は、小学校で学んだ範囲が全てではない。もっともっと突き詰めていくと「学問」になる。例えば、国語は突き詰めていけば文学や言語学、社会は突き詰めると経済学や社会学や民俗学、算数は数学、理科は物理学、天文学、地学などになる。研究をする人というのは、人生をかけて一つの学問を追究している人達のことである。
とすると、塾の先生は自分の専門分野に関しては小学校の先生とは比べ物にならないほどの見識を持っているということにならないだろうか。
断っておくが、これはあくまでも確率論である。小学校の先生や塾の先生について断定するものではない。一概には言えない。
でも、やはり一生をかけてその学問をやっている人のする「授業」は奥行きがあって、面白いのではないだろうかと私は思ってしまう。
最後に、立場の問題。小学校の先生は、もし失言をしてしまったり授業内容が不適切だと言われてしまうと、最悪の場合解雇される危険性がある。小学校の先生は、小学校の先生以外の仕事はしていないので、解雇されてしまうと生活が立ちいかなくなってしまったり、家族を養えなくなってしまう。だから構造的に慎重にせざるを得ないのだ。それに対してアルバイトの塾の先生は、仮に子どもの成績を上げられなかったとしても責任をとる必要がない。だから、私の実感だが、割と自由に好き勝手にやっていることが多い。なぜなら、仮にクビになっても別のアルバイトを探せばいいからである。つまり、自由なのだ。
絶対に失敗しないようにと緊張感を持っている人と、気楽にやっている人、どちらが面白いかというと、これは判断が分かれるが、気楽にやっている人のほうが受ける側としても気楽に受けられるように思える。
このように「教える人」の実態を分析してみると、小学校と塾は驚くほど違うことが分かる。塾は社会に普遍的に必要なものではないが、社会は小学校を必要としているのだから、小学校は塾の良いところを積極的に吸収して欲しいと思うが、なかなか構造的に難しいだろう。
しかし、小学校の先生は塾の先生に比べて少々真面目すぎるように思えるところも多いので、その点は少し見習ってもいいんじゃないかと思う。
