(続き)





外来検査後、緊急当日入院で、入院の支度の準備で、夫と自宅へ向かう。

丁度その頃、息子下校で帰宅。

支度してから、三人で車に乗り病院へ向かった。

車内は久し振りに三人仲良く、会話が弾んだ。とゆーか、仲良く過ごせた。(私は相変わらず体調悪いが。)けど、車内が和気あいあいだったから嬉しかった。

夫と息子は、私の母親の命日に私の病気が重なったのは、他界したお母さんが教えてくれたんだよ。

とか言ってたが、私はたまたま偶然だと思う。というか、偶然だと思いたい。とゆーか

そんな事より、お母さんが当時私と同じ症状だった。

母親と結果的に違ったのは、

母親の場合、私と同じ症状が発覚した時、宗教に嵌まってて医者嫌いで病院行くのを嫌がっていた。

で、母親数日間寝込んでたが、父親が近所の内科(町医者)に母親を無理矢理連れて行ってた。

その時の診断は検査もしないで病名もハッキリ言わず?解らずで飲み薬だけもらった。

母親もそのあと寝込む日、動ける日もあってで仕事と家事をこなしてたらしい。

(私は当時、渋谷で彼氏と同棲してたので体調の事は全く知らなかった。)


私は丁度その頃(24歳9月の時期)、彼氏以外に好きな人がいた。
二つ歳上の友達関係?みたいな、でも、仕事上でも繋がりがある関係、でも、私の友達の彼氏だった。

彼女には内緒でというか?秘密っぽい感じ?というか?仕事中の営業の売り込みだと誤魔化してとゆーか?

兎に角、午前中二人で山梨の石和温泉に行く事になったんだ。(半分旅行気分)

二人で石和温泉行く前に、私の横浜の実家に寄って貰ったんだ。必要な荷物取りに。

その時、倒れる前の母親と最後に会話したのが最後になってしまった。

私の母親、何処行くの?一緒にいる男の子誰なの?と私に心配そうな表情で言ってきた。

けど私、当時24歳でまだ母親の気持ち考えられず、

それより母親が家の外まで出てきて、車の中にいる私の友達の顏を覗きこもうとした仕種に頭きた&恥ずかしく思ったのとで、

母親に対して、「うるせー糞ババア!!」と言って母親を睨んで、急いでスモーク張った車に乗り込んだんだ。

母親のあの時の心配してた表情は今でも私の目に焼き付いていて、

当時自分が母親に対してとった酷い態度を、ずーっと未だに後悔してる。後悔しきれないけど。

たしかこの日は、私が当時24歳の時の9月21日か?9月20日?あらりじゃなかったかと思う。

母親が倒れた日は確か9月22日だったから。(でも、もしかしたら23日?24日?だったかも。)


兎に角、晴天の昼間から、横浜の実家から石和温泉へと向かったんだ。

ドライブして旅行気分だった。とゆーかデート気分だった。

昔、過去にブログ記事に書いた事あるけども、

その時車内で、Ace of Base のアルバムガンガン流してたんだ。

The Signって曲が当時凄い流行ってて、私も大好きだったけど、

あとはtrfのアルバムBILLIONAIREとか、

小沢健二さんとか、スチャダラパーの今夜はブギーバックが流行ってた時期だ。





私も母親もこのアルバムなりシングルなり好きだったけど、

未だに聴くと当時を思い出してしまうんだ。

(当時のその9月時期の母親との記憶、好きだった男友達の記憶、同棲してた彼氏の記憶。)





(続く)










(続き)





私、4月末、北海道帰宅後の数時間後(深夜)から、頭と首筋に激痛が始まってしまった。

北海道旅行帰宅後から、家回りの剪定、(新担任)家庭訪問前のリビング大掃除、息子の習い事付き添い、業者さんの防犯カメラ設置工事、当日ギリギリになってしまった二俣川の免許センターでの免許更新。(無事ギリギリ当日免許更新出来た)

この日が頭痛&熱だけじゃなくて、船酔いみたいな目眩も加わりで一番体調悪かった。けど今日行かないと明日から免許停止になってしまうから行った。新免許とれてホッとした。

けど、次の日も体調変わらず悪くて息子預けて一日中横になってた。





五月は、私にとって楽しかった嬉しかったのは、夜短時間(一時)だけ六本木行った日だけだった。私、目眩と頭痛でこの日も体調悪かったけど、来日中のジョンロビンソンさんにどーしてもどーしても一目御会いしたくて(私にとっては20数年振りのジュリアナ以来だったの。)CLUBに行ったの。サインと握手と笑顔を頂けてとっても嬉しかったの。





嬉しかった次の日は休日で、小学校が休校で嫌だった。(息子小学校休み)



入院する数日前、自宅の防犯カメラに(日本人30代中年男)不審者。私すぐ110番ダイヤルして、パトカーで三人の警察官の方が直ぐ来てくれて、リビングの大型テレビの画像(防犯カメラの録画、不審者)を録って、その場で神奈川県警に画像を送ってくれた。

その日は夫の会社が定休日で夫休日、電話したら直ぐ来てくれて録画映像(設置後からの)八日間分を数時間かけて全部録画映像チェックしてくれた。

私、この日約六年ぶりに夫を自宅リビングに入れた。

年下だけど頼りになるとゆーか、夫が男なんだなとおもったとゆーか、新婚時(22歳)と今日(37歳)の夫を見て、頼りがい?とゆーか男なんだ…と思った。


その日から数日後、先月末の救急外来時、CT検査で異常っぽいのが見つかったから、来月精密検査でMRI検査予約だった。

私は当日の外来時、そんなに命に関わる病気だと思ってなかったけど、

脳の中に7ミリ?だか8ミリ?の動脈瘤がハッキリ見つかり、このままだといつ

くも膜下出血起こして最悪死亡になってもおかしくないからということで緊急入院って流れになった。

この日はたまたま偶然の重なりだと私は思った、思いたかったが、母親の命日の日だった。

私、大人の癖にみっともないけど、外来廊下で感情が溢れ出てしまい泣いてしまった。

夫が仕事中、スーツ姿で30分後くらいしてから院内外来来てくれた時も、私大人の癖にみっともないんだけど、まだ涙が止まらなくて泣いてた。

夫は黙ったまま、外来のソファー(私の横)に座ってた。





(続く)









今日は午前中、退院後以来の検査&診察日だった。





解りやすく言うと、先月末の退院後から自分の体調に無理しないで家事育児して、

夫と息子の様子を見てきたが、結局、私の命を軽く見てる。

とゆーか、私が、

脳動脈瘤瘤内塞栓術(脳血管内手術)

してまだ術後一ヶ月も経過してなくて

血液サラサラの薬以外に、痛み止めの薬、筋肉の緊張ほぐす薬飲み続けてる事さえ忘れてる。

首筋&後頭部の痛みがまだあるから→痛み止めの薬&緊張の緊張ほぐす薬もまだ飲んでるのに、

夫と息子は、私が術後からもう痛みが無いとさえ思ってる。

これ私と同じ病気になった人とか、医療関係者の方とか、医療に関して知識がある方とかだったら理解して頂けると私は思ってるんだけど、

夫と息子は解ってない。

夫と息子は全然結局解ってない。←(結果論)

私は、理解して欲しい人が自分の家族なのに、

私にとって夫は好きじゃない嫌いな人間(私の事長年苦しめた人間)だけど、

私は息子の事は大好きだけど、

私は二人(夫&息子)に理解して欲しかった。











夫は、手術後当日含む三日間だけ優しかった。

なんか新婚の頃みたく優しかった。(面会時)

その時は私も自然とそーゆー気持ちになった。

なりつつも+不思議な気持ちにもなった。

退院後もこんな感じの未来が少しでも一日でも長く続けばいーのになと思ってた。(息子が二十歳まで。若しくは大学卒業時まで。)


息子は、私が手術後から退院日まで一日も面会に来てくれなかった。

入院初日と手術前日の二日間だけ→夫が息子を連れて来た。

息子は、私の面会より、放課後クラスメイト達と外で遊んでる方が楽しいと言われた。

術後、私が食事出来るようになってから、

リハビリ&後遺症の心配が無くなり院内を歩けるようになってから、息子のケータイに私が電話して会いたい顏見たいって言ったのに、

退院すれば会えるじゃん!と言われた。

なんか息子を家族サービスで北海道旅行四日間連れて行かなければ良かった。

私の退院当日、明日は小学校生活最後の運動会だからと、長髪の伸びたヘアー、カットしに連れて行かなければ良かった。

半日ある運動会も自分の体調無理して行かなければ良かった。

運動会後も、11歳の息子の反抗期が続いてる。

けど、息子本人は多分自覚が無いっぽい。

それは、私の事家政婦だと思ってるから。

自分のめしつかいだと思ってるから。っぽい。











息子に私が今回理解して欲しくて今日の息子下校帰宅後から別居した。

息子と以前の様に仲良い親子関係に戻りたいから別居した。

夫に、私の命の事を真剣に考えて欲しい事を本人に伝えた。(今日午後、病院外来後にケータイで。)





(続く)