ふと、ミクシーのとあるコミュニティーを覗いてみた。
今日、愛犬の死を向かえました
このトピックが1番上に上がっていた。
そこには、数々の愛犬の死を向かえた人の書き込み。
長かった愛犬の闘病生活と看護や介護
どれを読んでも、飼い主さんが犬を愛して止まなくて
寂しさ、悲しみ、愛しさ、感謝が伝わってきた。
1つ1つ読むたびに泣けてくる。
この世に大事にされていたワンがこんなにもいたのかと知る。
その中で1人、愛犬に対し「ゴメンね」と「許して」を書いている人がいた。
安楽死。
自分でも深く考えたこと。
そして今でも答えがでないこと。
その人にメッセージを送った。
少しでも元気になってくれますようにと。
もう1人、気になる人がいた。
自分と同じ考え、愛犬の死のあとにまた犬を飼うことについて。
あたしは以前、「他の犬を飼ってしまうと、ポチを裏切るような気がする」
「ポチの記憶を他の犬で消してしまうんじゃないか」ということを書いた。
その人も同じで、裏切るように思えていたようだった。
愛犬が入院した日に知り合った同じ名前の犬。
その子供が8匹いて、貰うかどうするかの話になっていた。
そこであたしの今までの考えが変わった。
愛犬のことなんて忘れるはずがない。
自分の中から消えることなんてあるはずないのに
自分の勝手な考えで、この世から消えてしまうかもしれない命を
見てみぬフリしていいのか。
あたしは動物が大好き。
きっとあたしがその人と同じ立場になっていたら
犬を貰ってくるだろう。
それをポチがイヤに思うだろうか。。。
自分の中からポチが消えるだろうか。
まだ日本にいたころ、教育テレビで命を考えるというのがあり
偶然にも、秋田の保健所が映されていた。
森の中に捨てられていた犬。引越しのときに引越し先に連れて行けないからと
残酷な捨て方をする飼い主も少なくないそうだ。
あまりにも残酷すぎて、飼い主に
「お前も同じことしてやろうか」と言ってやりたいぐらい。
そして、貰い手の見つからない犬が、ガス室に連れて行かれるシーン。
その犬は、自分がこれから殺されるということを全く分かっていないように見えた。
保健所の横には、大きな動物のお墓。
ガス室に動物を連れて行く仕事をしている人が毎日拝んでいる。
あたしは、そういう動物たちを何とか幸せなところへ導いてあげたい。
もし犬を飼うんだとしたら、そこから全部もらってきたい。
そういう活動を個人でしているブログもみつけた。
凄く尊敬する。
動物1匹大切にできない人が、人間を大切にできるわけなどないんだ。
可哀相な動物たちを減らすには、いったい何が出来るんだろう・・・