早速もらったEADカードで初めての入国のエピソードですね。

あの噂の別室に連れて行かれました!簡単な質問をされただけで、あとはスタンプを押してもらったらすぐ解放されました、ちなみにサンフランシスコの空港でした。

 

2019年8月18日朝8時に永住権面接。

ロウワーマンハッタンにある移民局に朝七時に向かいました。

 

正直、ここに至るまでの細かい作業はもうあまり覚えてないのですが、この日の記憶は鮮明に覚えているのです。ここに至るまで何度も郵便局とFEDEXに行き、ボスに小切手をサインしてもらうのに機嫌の良い時間を見計らったり、指紋採取の朝雪が降りませんようにと祈ったこと、今となってはいい思い出です。

 

ロビーでは私と同じように面接を待っている20人程の移民の皆さんが緊張な面持ちで待っていました。

 

朝八時になると、スタッフの一人が説明をしにやってきました

"Thank you all so much for coming today, you've made it this far. Remember, you all came from different countries to somehow actualize your dream in the United States. Today is such a special day for all of you. I would like to congratulate on all of you for striving hard to this date." のような感じで迎えて入れてくれて、早朝から泣きそうになりました。今までの棘の日々を思い返しました。300ページ以上ある書類の入ったカバンを抱きしめてエレベーターに乗り込む。

 

 

受け付けの窓口でAかBの番号札を受け取る。私はAだった。(こんな細かいことなんで覚えてるんだろう)

この面接制度はトランプ政権になってから新たに導入された制度で、申請する人物がアメリカ合衆国に合法的に永久にいる為に本当に適格なのかを判断する為に加えられたエクストラステップであった。

 

 

一時間程待っていると、本当についに自分の名前が呼ばれて面接室に入る。

 

面接室というか、ごく普通のワークデスクで、女性のスタッフが私の書類に目を通し始める。

 

ここから予想していたより結構細かい質問が聞かれる。

母親の旧姓、出生地、渡航歴、初めて渡米した日付、これまでのビザの推移、職歴、今後の目標、現在の住所、何しにチェコに行ったのか(旅行です)、父親の現在の移住地。

ここまでは問題なく答えられた。

「で、この交通違反の記録なんだけど」

 

あれ、弁護士を雇ってまで戦った件について突っ込まれた!と冷や汗が出た。

300ページ以上ある書類の中からよくぞ私の黒歴史を見事に見つけてくれた!と焦ったけど、うまく受け答えしてここもパス。

 

 

「はい以上です、ただこの現在の雇用主からの職務確認証明が雇用主のレターヘッド入ってないからそれだけ直してまた後日持ってきてください。」

 

細か!内容は同じじゃん?そうかサインあってもレターヘッドないと公式と認められないのか。

 

というおよそ20分の面接が終わり、翌日そのレターヘッドに印刷された職務確認証明を提出しに行きました。

 

人生には何度か緊張でご飯も喉を通らない日がありましたが、この日はまさにその一つである一日でした。