”子どもが宿題を嫌がる問題の"本質"とは?” | ∞ アウリネのブログ ~Çavasiba~ ∞

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私は「私」を生きる、ホームスクーリング、天然酵母石窯パン、農業、愛知県一宮市、不登校、

「子どもが宿題を嫌がる問題の本質」
友人の文ちゃんが本当にわかりやすく分析してて、私も共感できたのでシェアします。

凄く大事なことが書いてある、と思う。
ここをわかって子どもと宿題のことを話せたらお互い楽になりそうな♡

少し長いけれど、ぜひ!

そして、これは我が家の話。
こちらも長いので、おヒマな時に。

ウチの上の子リュウは現在中学一年生の年になります。

小学校3年生から、ほぼ学校に行っていません。

受けたい授業のみ受けていたけれど、小学5年生くらいからは、授業も行かなくなり部活(サッカー)と遠足や修学旅行などの課外活動にのみ参加しています。
今も部活に行くくらいかな。

今思えば、最初のきっかけは「宿題をやりたくない」でした。

一年生の頃は楽しそうに宿題をやっていた気がする。

2年生になった途端に、本当に嫌そうで「やりたくない」ってなったんだよな。
「やりたくなかったらやらなくていいんじゃない?」というと「そういう訳にはいかないんだ」という感じで。

とにかく遊びたいから、学校から帰ったら遊びつくして、翌朝の5時半とかに起きて宿題をやってから学校に行っていた。

でも、本当に嫌みたいで泣きながら宿題をやっているので「やりたくないって先生に話してみたら?」と言っていたら、ある日「言ったよ!もう宿題やらなくていいって」と、晴れ晴れとした顔で帰ってきて。

初めは「本当に言ったんだ!」とびっくり。

でも、その晴れ晴れとした様子を見て誇らしくも感じ、私にはできないなーと、言った本人と担任の先生にも感動した覚えがある。

それが1学期の中頃5月か6月くらいだったかな。


それからすぐ、ジージとバーバの家に行きたい!とその日のうちに先生に話してOKを頂き、「来週行くから!」と学校を休んで、下の弟ソラ3歳も連れて子ども2人、高速バスで私の実家がある長野へ二泊三日の旅を2回ほどしていた。

初めて行く日、心配する母をよそ目に「さあ、冒険の始まりだ!」と目をキラキラさせていたのが印象に残ってる。
りゅう7歳、そら3歳。



あの頃は認めてもらえたことが自信となったのか、色んなことに意欲的になって行った。


ところが夏休み前くらいから、宿題をまたやりだした。

殺気立ってる感じだった。

「どうしたの?」と聞いても「うるさい!黙ってて」と心がピンピンした感じ。

そして夏休みに入ってからも宿題をやっているなーと思ったら、だんだんやらなくなり、突然吹っ切れたように「俺もう学校行かない」と笑顔で宣言。

宿題をやっていかないと休み時間に遊ぶのを禁止されるんだそう。

その時初めてバツを与えられてたことを知った。

結局、運動会が大好きだった彼は、夏休みの最終週に宿題を全部済ませて学校に行ったのだけど。

3年生になって担任が変わっても宿題をしない子は休み時間無し、更にお昼のおかわり無し、も追加になった。
それがわかってすぐにきっぱり「学校行かない」と決めたようだった。

バツを与えることで従わせることが当たり前になっているんだなーと思った。
思えば私の子供の頃もそうだった。
もっとわかりやすく、廊下に立たされたり、ゲンコツ、ビンタ、靴でお尻を叩かれたりとかだったもんなぁ。

バツといえば。
後から知って驚いたのが、2年生の夏休み前の最後の学級会に、
クラスみんなの前で宣言をさせられたんだそう。

「夏休みの宿題を全部やってから登校します」と。

これを聞いたのは1年後の3年生の夏休みのことだった。

「そんなこともあったよー。やめてよかった」みたいに話されて。
もう衝撃だった。

だから夏休み明けに学校へ行かない、になったんだーーー!って本当に納得。


楽しみにしている休み時間も取り上げて、その上そんな宣言もさせるんだと、当時は怒りしか湧かなかった。
さらし者にしたんだ、と。
この子は悪いことをしたので、当然の報いを受けています、ということか。

まだ7歳の子が勇気を出して「宿題をやりたくないです」と先生に伝えただけでも凄いこと!(と私は思った)。

従うことが当たり前のようになっている世界で、従いたくないです、と宣言しているようなもの。

そしてそれを認めてもらえ「やらなくていいよ」と言ってもらえて晴れ晴れとして帰ってきたあの日はなんだったのか。


全てはあやちゃんが書いているように、学校の体質が
「言われたことに従うことを求めること」
にあるからなのかなと。

今では、学校から解放されて平和な我が家なのですっかり忘れていたけれど、
「言われたことに従わなければならない」は、
子供だけでなく親たちもそう思い込まされている感じがする。

冷静に考えたら、やりたくないことを強制的にさせている、ってとても不自然。
そんなの大人だってイヤだ。

でも、やらない子がダメみたいな、やらせない大人もダメみたいな、おかしなことになっておるなーと。

そして、その後知り合っていくシュタイナー学校やモンテッソーリの学校、オランダやスウェーデンの教育の話を聞いたりしていくうちに、どうしても今の形じゃないといけないことはなく、違う形での学びは出来ること、日本が遅れていることを知る。

もう、そろそろ終わりにできたらいいなと思います。
今のままだと、先生も親も子供たちもみんな苦しい。

全部じゃないのはわかってます。
私も学校楽しくて行ってたし。

ただ、この苦しいとこが苦しすぎるんだよなー。
モヤッとしつつ、よくわからないけどそうせざるを得ないような、あの感じ。
一番怖いやつです。
大人になってからもみんなそれに怯えてる。

そこだけ良い方へ持っていけるといいなー。
なんて思います。


追記:
これ書いてまだ私の中に怒りやら、救えなかった悲しみなどがあるなーと感じました(笑)
ずっと後悔してるのは「宿題をやりたくない」と子供が言い出した時に「先生にいってご覧」と言うだけじゃなく、私も先生たちに「宿題に必要性を感じませんので、宿題はいらない。ウチはそういう方針です」と伝えるべきだったな、と。
行かなくなってからは伝えたけれど、行っている時に伝えていたら何か変わったかもしれないなーと。

しかも、今回公開したことでこんな話も聞けました。
宿題をやらない宣言をしたら、担任の先生が白紙の宿題ノートだけ提出して他の子供たちから非難されないように配慮してくださった、なんてエピソードを聞けました。
こちらは岐阜の小学校の話。
いい先生だなー✨

宿題をやらない、が通ってもクラスメートからの避難も悩みのタネだったりするので、この例を参考に学校へ相談するのもありかな、と思います。




夏は、毎年家族でキャンプ旅⛺️

りゅうは12歳、そらは8歳になりました。

フワッと空を飛んでいるみたいな写真撮ろうか、とやってみたけど意外と難しかった!(笑)

学校に行かないで、家で何をしているのかはまた別の機会に書きたいと思います。

何年か前に書いたフリースクール(デモクラティックスクール)は、私も子供も合わなくてすぐやめました!
よくそのスクールの相談を受けるので、ここにお伝えさせていただきます。

ではでは、
読んでくださって本当にありがとうございます✨