決行3日前・・・僕は夏休み前の期末テストで今までにないくらいのひどい成績をだしてしまった。さほど頭が良くない僕がここに来てやってしまったのだ。

そう、赤点を取った人は夏休みには補修という嫌なものがある。

僕が赤点を取った教科はその初日に補修があった。先生曰く、早いうちにやったほうが後々遊べるだろうということ・・・

そりゃ嬉しいかもしれないけど、僕にとっては嬉しくない事だった。

その事を詩織に伝えると

「さぼればいいじゃない」と、予想もしていなかった答えが返ってきた。

僕の中では、すごく怒られ呆れられると思っていたから。内心ホッとしながらも、複雑だった。詩織の中にはそれすら予想していたような振る舞いだったからだ。


補修の日程表を眺めながら自室の机にうつぶせになる。

ついてないなぁ・・・旅の事で頭が一杯で勉強すらしてなかったからなぁ・・・

日程表をくしゃくしゃにしてゴミ箱に投げ込んだ。ばれなければいっか。

僕の中にはどうでもいいことになっていた。詩織と二人で旅をするなんて考えただけでも緊張して恥ずかしくなってくる。同じ部屋に二人きり・・・。どうするよ!

女性経験の少ない僕にとって大事件の前触れでもあった。



決行当日、前日から眠れなくてどうしようもなく緊張していた。

詩織とは駅で待ち合わせする事になっている。一緒に家を出ると怪しまれたりするからだ。念には念をっていう所だ。

11時に待ち合わせで、11時35分発の新幹線に乗る事になっていた。駅構内にぶら下がっている時計を見ると、少し11時を過ぎていた。

詩織が僕より先に来ていないなんてとても珍しかった。

そんなことより、僕の心臓は破裂しそうだった。二人きり・・・。

11時15分になっても詩織の姿は見えない・・・どうしたんだろうか。

もしかして見つかってしまったのだろうか。不安になり携帯を取り出して詩織に電話をかける。

プルルルルルルルル・・・プルルルルルルルル・・・

なかなかでない。先ほどまでの緊張は消え去り一気に不安だけが僕を襲う。


出発時間が迫っていた。するとそこに駆け足でくる詩織が見えた。一気に不安は消え去り安心感が僕を救った。しかし、詩織は「走って!」と僕に向かって叫んだ。

僕は詩織の言うとおりに改札に向かって走った。詩織の後ろには、洋子さんの婚約者の衛さんと母親の姿が見えた。やっぱり見つかってしまったんだ・・・。

詩織はすぐさま乗車券を僕に渡し改札の中に滑り込んだ。それでも、改札を潜り抜けて追いかけてくる衛さん。そこまでして止めたい理由があるのだろうか・・・


発車音がホームに鳴り響く。僕たちは乗るであろう目の前の新幹線に飛び乗った。その瞬間扉が閉まり、息を切らして階段を駆け上がってきた衛さんと目が合った。何か訴えているようにも見えたが、追われていた詩織の様子から何かまずいものを感じ取った。

僕たちは衛さんと詩織の母親を振り切って旅立った。


それは、父と洋子さんの駆け落ちと同じだったかもしれない。

僕たちの行く手には一体なにが待っているのだろうか。

僕たちは、夏休みが来る間誰にも内緒で父と洋子さんに会いに行く計画を立てた。

もちろん父も洋子さんも知らない。自分たちの心の中にあるもやもやしたものをどうにかするべく行くだけであるから、誰に何を言っても仕方ないという気持ちもあった。


詩織に任せたままでいいのかと思いつつ、無駄な口は出さないでおいた。

決行一週間前に詩織から一冊の冊子を渡された。

表には「日程」の文字が。中身を見られてしまったらお終いだが、表紙だけ見れば何かの行事としか思えないような出来栄えだった。

一ページめくるとそこには、待ち合わせ時間から新幹線の出発時間、到着時間、ホテルのチェックインの時間まで事細かに書かれていた。

僕は空いた口を閉めるだけで精一杯だった。

「詩織、どうしてここまでできるの?」と、当たり前の質問に詩織は

「よく、姉に頼まれて予約とかとっていたのよ。」

その予約が父との旅行だったのは言うまでもない。機械オンチの洋子さんと団塊世代でようやく携帯が使える程度の父ではインターネットを使って予約するのが難しい事だとわかる。


もちろんホテル名義は洋子さんの名前で申し込んでいて、未成年である僕たちが同室という設定になっていた。

「ところで詩織、気になる事があるんだけど」

「なにかおかしなところがあった?」

「いや、そうじゃないんだけど、お金っていつ払うの?」と、僕が言ったところ

詩織はくすっと笑った。何がおかしいのかわからない僕は首をかしげ、頭の上にクエスチョンマークが浮かぶくらいきょとんとした。

「実はね・・・支払いは全部姉のカードを使ったの」

衝撃的なことを言っておきながら尚くすくす笑う詩織。

「え!!!!」僕は驚いて後ろにのけぞった。

いつもマジメで曲がった事が嫌いな詩織が・・・・って僕の想像だけど。

「これくらいは免除してもらわないとね!」

詩織の顔が今まで見た事もないくらいの笑顔で溢れていた。これからいたずらしようと企んでいる子供のようにキラキラと輝いて見えた。

詩織も洋子さんのカードを勝手に使って、親にも内緒でどこかに行くということがひとつの冒険のようにわくわくしてしかたがないのだろう。

僕も違うと言えば嘘になるけど、半分不安と半分好奇心でどっちのドキドキかわからない状態だ。

僕たちは誰にも内緒で旅をする。これだけでもスリルがあってたまらなくなってくる。

父と洋子さんに会いに行くっていう名目だけど僕たちにとっては、大きなイベントになってきていた。



しかし楽しみにしていたこの旅に大きな障害が発生するとは、僕たちも、周りの誰もが思わなかったことだろう。



毎日同じ時間に同じ場所。たいした会話をするわけでもなくただコーヒー一杯で過ごす時間。お互いの気持ちを知っている僕たちだけに与えられた、ひと時の休息。

家に帰れば、詩織は不協和音のする家が待っていて僕には何の変化もない家が待っている。何も知らなければ楽だったのかもしれないけど、何も知らなくても虚しかったかもしれない。

互いのことを話しているうちに『最近何か反応はあったか』という会話になる。

一向に連絡も何もないあの二人に僕たちも諦めていた。

どこかで幸せにしているならそれでいいとさえ思った。そこには、もう関わりたくないという気持ちもあったからかもしれない。

今は、少しずつ平穏を取り戻しているのだから。


数日後、いつものようにコーヒーショップで詩織と待ち合わせをしていた。

今日の詩織はいつもとは様子が違っていた。戸惑っているような、迷いのある表情を浮かべながら入り口に立っている僕を見た。

いったいどうしたんだろうと思い、いつもとは違ったコーヒーを持ち席に行く。

そこに詩織から一通の手紙が差し出された。「これ・・・」

宛名には詩織の名前と・・・・僕の名前が書いてあった。住所も何も書いてなく、わざわざ見つかるかもしれない危険を冒してまで家のポストに投げ込んだのか。

詩織はもう中身を読んだみたいだ。席に着きコーヒーを一口飲み、手紙を読む。

そこには遥か昔に見た父の字で書いてあった。


”詩織さん 朝人へ”


”ずっと連絡もせずに、君たちには迷惑をかけた事をすまないと思う。”

”今は洋子と一緒にのどかな場所で暮らして元気にやっている。”


うまいとも言えない字で綴っている父の言葉。

胸が苦しくて、今すぐにでも父に会いたいと思った。誰と駆け落ちしても、家族の前から居なくなったとしても、僕にとっては父に代わりはない。零れそうな涙を拭い一息ついた。

手紙の最後には連絡先が記されていた。

「詩織・・・僕たちはこの場所に行って、自分の気持ちを確かめたほうがいいのかもしれない」

幸せならそれでいいとまで思っていたのに、母を捨て、家を捨て、どこかに去ってしまった父に対して初めて面と向かって話したいと思った。

「うん・・・・。朝人ならそういうと思った」


夏休みまでまだ日にちはある・・・焦る気持ちばかりが募っていく。

貯金はいくらあっただろうか、泊まるところは見つかるだろうか・・・先の事ばかり考えていると詩織が静かに言った。

「大丈夫、私に任せて」