Seasons In The Sun
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計画

4月に、最後にブログを書いて

いま8月だが

私は何ひとつ変わっていないようだ。

それどころか、酷くなっている。


昔の仲間と会えば、彼等の楽しげな話に、自分とのいろいろな種類の圧倒的・絶望的な差を痛感し、まるで私の人生という時間だけが止まっているか、あるいは既に朽ち果てているかのような錯覚にさえ陥る。

私の痛みや絶望は、行き場がない。消えもしない。

私にはすべてが怖くて遠い。人間が。社会が。私自身が。

世界というのは、健全な人々による、健全な人々のための舞台であり、強者が弱者を徹底的に虐げることによって自らの地位を保つ舞台である。

今や健全な体も心も失った私は、弱者に違いなく、虐げられに行くようなものだ。

言葉を失っていることに気づく。
何もない自分に気づく。
信じることも笑うこともできない自分がいる。
誰にも話すことはできない。屈辱である。

圧倒的に無力であり、抗えども抗えども、何も変えられない自分に気づく。


私は、ただただ絶望に耐えるためのみに生きているのか。

私には願望がない。
私には欲望がない。
満たす力もない。

私は永久に、劣等感に苛まれながら、惨めな思いで人生を生きていくのか。

たいていの人はそれなりに生きていけるが
私は違うらしい。
本当のどん底まで落とされても、奇跡など起きる気配もない。

もはや何かに頼るしかできない私の身にも、何ひとつ起きはしない。

すべては私の敵であり、すべてが私に牙を向き、抗う。力のない私は負ける。


そう考えると私は、自ずと具体的な自殺の計画を立て始めている。

我が儘な事だが、なるべく苦しまない方がいい。
オーバードーズか、ピストルか、青酸カリか。

考えるのはそればかり。

この無限とも思える地獄の苦しみから逃れるための、最後の手段。

それですべてが終わるなら、それ程に嬉しいことはない。


だが

母の顔を見ると
私にはどうしても踏み出せない。
母は悲しむに違いない。

母の顔を見ると、私は、自殺ができない。


死にたい。
私のやり方で。

私の死が、私にとっての、最期の大きな波となり、何かを起こせることを密かに願う。
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