常盤公園と畠山重忠にまつわる伝承 | 埼玉いいじゃん。

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常盤公園は、浦和地方裁判所の跡地が昭和51年に公園とされたところで、裁判所があった頃に造られた煉瓦の塀や園内の造形が残されています。その中で丸く整備された石垣の内側には、キャラの木がありました。

昭和44年に浦和市指定天然記念物となった木で、指定当時は、高さ4m、幹回り2.2m、
根回り3.7m、枝張り径8mという堂々たる姿であったと記録には残されていますが、今はその姿はありません。

そのキャラの木は、秩父にあったもので畠山重忠に因むと伝えられていました。

平安末期~鎌倉時代初めの武将・畠山重忠は、30歳の頃、親の供養のため、墓地にキャラの木を植えました。

その後畠山家の墓地が取り壊されるとき、地元の名主がキャラの木を引き取り自分の庭に移植したところ、間もなくその家は潰れ、次の名主もこの木を引き取りましたが、その家も潰れてしまいました。三代続いて没落してしまったので、土地の人々はこの木のタタリであると誰も引き取らなくなりました。

大宮の旧家で小島勘大夫という人が、親類縁者が止めるのも聞かずにこの木を買い取り、大八車で運んだそうです。その頃既に相当大きく育っていましたから、道幅が狭くて通れないところは道幅を広げ、家が邪魔なら一時移転してもらって運んでと、たいへんな苦労をして運び、庭先に植えたそうです。

すると、この家では子供が生まれても男の子が生まれないということが続きました。毎年のように子供が生まれても12人も続けて女の子だけだったそうです。

これもキャラの木のタタリといわれ、その頃浦和に裁判所が出来たので、他に移して不幸をもたらすより、裁判所なら誰も不幸な目に合わないだろうと裁判所へ寄付することとなりました。

以来、裁判所の大キャラと親しまれましたが、裁判所が移転するときには移植困難ということで、常盤公園に残されていました。

この小島勘大夫の祖先は足立遠元といわれています。足立遠元は娘を畠山重忠に嫁に出していました。畠山重忠が二俣川で討たれたときに一緒に討死したこの重秀は、足立遠元の娘の息子だったのです。