母親への「ニセの敬意」の代償~part2~
私の「早期回想」で最初に呼び出された記憶、母への反抗。「『母の望む私』になりたいけど、なれない」という私の葛藤でした。「母の望む私」とは、世間的に良しとされる人間像です。良い学校へ行き、良い企業で勤め、良い人と結婚する。そういう人間です。本来、私は「母の望む私」になりたいと思っていました。でもなれない現実を目の当たりにすることが次第に増え、なれないことを悟りました。そして「母の望む私」なることを拒まざるを得なくなった。これが反抗です。なれなかった理由は、「『母の望む私』になりたい」の欲求よりも「勉強したくない」「友達と遊びたい」等の欲求が勝ったからです。しかしそれは私の理想に反する現実でした。理想はその逆です。「勉強したくない」「友達と遊びたい」等の欲求を抑えて、「母の望む私」になりたかった。この理想と現実のギャップは、私にとって大きな精神的外傷を幾度となく負わせました。「本当はこんなことしたいんじゃないのに、してしまう」。絶望感。葛藤。焦燥感。後悔。自責の念で自分を傷付け、母にも叱られ傷付けられ…私の心は蝕われていきました。私の心が確実に壊れていくのをいつも感じていました。その経験を経て、私の中で「母の望む私」でない私=悪、という固定観念が完成されました。「母の望む私」=良、「母の望む私」=「私の望む私」でもある、と。常に「母の望む私」でいなければならない。それに一歩でも背こうものなら恐怖心・不安が襲うようになりました。そんなシーンは数えきれない程経験しました。例を言うならば、私は幼少期から美術系(絵画等)に興味があり、その道へ進みたい意向を母に持ち掛けましたが、「美術の道へ進んだって食っていけない。上には上がいる。」と即却下されました。上記のように、無論、母自身も「母の望む私」に背くことは断じて許しませんでした。この固定観念は、25歳になった現在も未だ崩されていません。高校・大学は母の望む最良クラスへは進学できず、やはり心のどこかでずっと罪悪感を抱えて生活していました。しかし就職はそこそこ良い企業へ実現でき、やっと軌道修正、途中脱線はしたけど「母の望む私」になれた!と喜んでいました。でも、今。私は休職をしています。私はこの現実にひどく絶望していました。休職に入ってから、ずっと。「病気なんだから仕方ないじゃない」「今までよく働いたよ」と言われれば確かにその通りなんですが、そんな簡単な慰めでは済まない、得も言われぬ深刻な絶望感がありました。心に大きな鉛があるような。「この絶望感の正体は何なんだろう…早くなくならないかな…」と思い、助けを乞うように自己啓発本を読み漁っていました。「そのままの、今のあなたでいいんだよ」という内容の自己肯定感を高める本を読み漁っても、一時的な心的回復はしてもまた戻ってしまう、の連続でした。しかし、前回のブログでご紹介した星一郎さんのアドラー心理学の解説書を読み、それに沿って自己分析を進めると、やっとコレだと思える結論に辿り着きました。それこそ、既述の「母の望む私」に背いていることによる絶望、だったのです。休職、は「母の望む私」ではありません。それにより、反抗期当時と同じ感情を再び味わっているのです。反抗期ピークの小中学生の頃は、その感情を負っても割と回復が早く、寝たら忘れる節もあったのですが、今はそうはいっていません。病気を招き、数か月単位の療養を要するほどです。その違いの理由ははっきりとはわかりませんが、小中学生の頃はなんだかんだ学校へは行っていたのに、今は会社へ行っていない事実が更に私をネガティブな感情にしているのかもしれません。何がともあれ、私の信念は、「人生、なるべくときになる」です。最良なタイミングで全ての事象は発生していると信じています。今の私の状況が、5年後・10年後でなくて良かったのです。今、この状況になったおかげで、5年後・10年後はもっとHappyになったかもしれない。そう思うと胸がワクワクします。楽しみです。夜明け前が一番暗い。ツラい思いをした分だけ、幸せな思いになれる。ありがたいことに、私を励ます言葉は世の中にたくさん溢れています。だから、どんなときも、どんな現実も受け入れる。そして幸せを感じる。そうして生きていきたいです。